水素取引の新時代!東京都「グリーン水素トライアル取引」の全貌を解説

脱炭素社会の実現に向け、エネルギー業界で注目を集めている「グリーン水素」。特に東京都が推進する「グリーン水素トライアル取引」は、企業が環境価値を取引し、SDGs(持続可能な開発目標)を実践するための新しい選択肢として期待されています。

しかし、なぜ「トライアル取引」が話題になっているのか?その仕組みやメリット、課題となっているポイント、あるいはそもそもグリーン水素とは具体的に何なのか?など、分かりづらい点も多いのではないでしょうか。そこで本記事では、東京都の「グリーン水素トライアル取引」について、分かりやすくかつ網羅的に解説していきます。

そもそもグリーン水素とは?

グリーン水素トライアル取引を説明する前に、まずはグリーン水素とはそもそもどういった水素なのかを押さえておきましょう。水素自体はエネルギーを生み出すクリーンな燃料として知られていますが、その製造方法によって「環境にやさしい水素」と「そうでない水素」に分かれるのをご存じでしょうか?

従来、水素は主に天然ガスや石炭を使って作られています。この方法では、大量の二酸化炭素(CO₂)が排出されるため、せっかく水素がクリーンな燃料として活用されても、製造過程で環境負荷がかかるという矛盾を抱えていました。このタイプの水素は「グレー水素」と呼ばれ、現在流通している水素の多くがこれに該当します。

一方、グリーン水素はまったく異なるアプローチで生み出されます。太陽光や風力などの再生可能エネルギーを使って水を電気分解し、水素(H₂)を取り出すのです。この方法では、化石燃料を使わないため、製造過程でCO₂を排出しません。つまり、水素が持つクリーンな特性を製造段階から徹底することができるという訳です。

このグリーン水素は、脱炭素社会の実現を目指す各国のエネルギー政策において、重要な役割を果たすと考えられています。例えば、欧州連合(EU)は「EU水素戦略」のもとで2030年までに400万トンのグリーン水素生産を目指しており、ドイツやフランスでは政府主導で大規模な水素インフラの整備が進んでいます。

また、日本も「グリーン成長戦略」に基づき、グリーン水素の普及と価格低減を推進しており、東京都が実施する「グリーン水素トライアル取引」はその一環と位置付けられます。こうした国際的な潮流の中で、グリーン水素の生産・取引をどのように拡大していくかが、今後のエネルギー政策の鍵となっています。

グリーン水素については下記の記事でも詳しく解説しています。

グリーン水素トライアル取引の概要

出典:東京都「東京都グリーン水素トライアル取引供給記念セレモニーを実施」

東京都では、エネルギーの安定供給の確保や脱炭素化に向け、都内における水素エネルギーの需要拡大・早期社会実装化に取り組んでおり、その一環としてグリーン水素の市場形成を目指す「グリーン水素トライアル取引」を開始しています。

この構想は、2024年11月にアゼルバイジャン・バクーで開催されたCOP29(国連気候変動枠組条約第29回締約国会議)において小池百合子東京都知事によって正式に発表されたもので、市場形式でのグリーン水素取引では世界初の事例となっています。

本トライアルの令和6年度実施事業者には株式会社東京商品取引所が選定(令和7年度以降については2025年3月現在、公募中)されており、既存のコモディティ取引のノウハウを活かしながら市場原理を活用し、より柔軟な取引を実現することを狙いとしています。

📅実施期間 :令和6年12月から令和9年(3か年度で実施)
🎯取引対象 :以下を満たすグリーン水素
       ・再生可能エネルギー由来の電力を使用し、水電解により製造された水素
       ・ISO14687 Grade Dに準拠した水素
📍実施場所 :指定のウェブフォームにて入札を実施
🔄取引の流れ:
① 取引プラットフォームへの登録
売り手・買い手が東京都が提供する専用プラットフォームに参加登録します。

② 入札・価格提示(ダブルオークション方式
売り手は供給できる水素の量と希望価格を提示し、買い手は希望する量と購入上限価格を入力します。

③ マッチングと価格決定
オークション形式で最適なマッチングが行われ、最終的な取引価格が決定されます。ただし、供給者と利用者の価格差については東京都による価格差支援が実施されます。

④ オークション結果の公表
供給側及び利用側双方の落札者決定後、供給者及び利用者のN㎥単位の落札単価、落札数量などが東京都の公式サイトや事業実施者のホームページで公表されます。

⑤ 水素の供給・受け取り
売り手は決められた日時・場所で水素を供給し、買い手は受け取ります。輸送に伴っては東京都が指定する輸送事業者による配送を行い、費用の一部については都が負担します。

(参考)令和6年12月実施取引の入札結果

入札者入札者数落札単価落札量
供給側
(各コース共通)
1者300円/N㎥
入札側
(トレーラー輸送コース)
2者89円/N㎥期間中週2回輸送
入札側
(カードル輸送コース)
2者230円/N㎥期間中計10回輸送
出典:東京都「グリーン水素トライアル取引 入札結果の公表」

グリーン水素トライアル取引の目的

グリーン水素トライアル取引は、単なる実証実験ではなく、東京都が掲げる水素社会の実現に向けた重要なステップです。東京都は、2050年のカーボンニュートラル達成を目標に、再生可能エネルギー由来の水素を社会に普及させることを目指しています。

ここでは、東京都がグリーン水素を推進する背景と、トライアル取引が果たすべき役割について詳しく見ていきましょう。

東京都が目指す水素社会の実現

東京都がグリーン水素に力を入れる理由は、単なる環境対策にとどまりません。エネルギーの多様化、産業競争力の強化、災害時のレジリエンス向上といった、都市の未来を左右する課題に直結しているのです。

現在、日本のエネルギー事情は大きな転換点を迎えています。日本の産業の動力源となっている化石燃料の自給率は、天然ガスが2%、石油と石炭が0%(IEA、2022年発表)とほとんど全量を輸入に頼っている上に、これらの産出国は政治情勢が不安定な中東地域に集中しています。つまり、地政学的なリスクの高いエネルギー源なのです。

したがって、これら化石燃料への依存度を下げ、再生可能エネルギーの活用を増やすことは、国の政策としても急務です。しかし、太陽光や風力は天候に左右されやすく、「使いたいときに使えない」という課題があります。そこで、余剰電力を水素として貯蔵し、必要なときに活用できる「水素社会」の実現が求められています。

東京都は、全国に先駆けてこの水素社会を実現しようとしています。すでに、都内の一部では燃料電池バスの運行や、水素ステーションの整備が進められており、これらの整備を進めるにあたっては、2024年度から水素関連の予算も倍増させるなど、公共交通機関や物流に水素を活用する動きが本格化しています。

出典: Instagram「東京都知事 小池百合子の活動レポート」

また、啓発活動にも抜かりありません。「羽田みんなのみらい 水素エネルギー展」や「水素フェスタ」、「HENCA Tokyo 2024」といった水素活用を促進するようなイベントを定期的に開催し、都民の環境意識を高めると同時に、最新のテクノロジーを積極的に発信して企業の水素への関心も惹きつけています。こうした都としての姿勢は、福島県やクイーンズランド州(オーストラリア)との連携協定締結という形で実を結んでいます。

しかし、こうした取り組みをさらに広げるためには、安定的な水素の供給と、企業が参入しやすい市場環境の整備が不可欠です。この課題を解決するために生まれたのが、今回のグリーン水素トライアル取引です。東京都は、この取引を通じて、企業が水素の調達や供給をスムーズに行える市場を整え、水素社会の実現を後押ししようとしています。

脱炭素化への貢献

東京都は前述の通り、水素社会の実現に注力していますが、今回のトライアル取引でグリーン水素にフォーカスしたのは、脱炭素社会の実現という明確な目標があるからです。日本政府は2050年までにカーボンニュートラルを達成する方針を掲げており、それを実現するためには、再生可能エネルギーを活用した水素の普及が欠かせません。特に東京都は、大都市としてエネルギー消費量が膨大であり、脱炭素化の取り組みが全国のモデルケースとなることが求められています。

この取り組みの一環として、東京都は、グリーン水素の生産から供給、利用までのサプライチェーンを整備することに力を入れています。例えば、東京都が主導する「ゼロエミッション東京戦略」では、水素エネルギーの活用を拡大し、二酸化炭素排出量の削減を加速する計画が明示されています。

出典:ゼロエミッション東京

また、産業界と連携しながら、グリーン水素の利用を促進する政策も進められています。東京都内の一部の工場やオフィスビルでは、水素を活用した燃料電池の導入が始まっており、今後は商業施設や一般家庭への普及も視野に入れられています。さらに、東京都が進める公共交通機関の水素化も、脱炭素化に向けた重要な取り組みの一つです。

このように、東京都が進めるグリーン水素トライアル取引は、脱炭素化への貢献を目的とした広範な戦略の一環として位置付けられており、都市全体のエネルギー構造を変革する鍵となっています。

脱炭素については下記の記事でも詳しく解説しています。

水素取引市場の活性化

グリーン水素の普及を加速させるには、安定的な供給と流通を可能にする取引市場の整備が不可欠です。しかし、従来の水素取引は、限られた企業間の長期契約に依存しており、市場の透明性や流動性に課題がありました。

この状況は、かつての日本の卸電力市場にも似ていますね。以前の電力市場は特定の大手電力会社が独占的に供給しており、新規事業者が参入しにくい構造でしたが、電力自由化による市場開放と取引制度の整備により、多様な事業者が参加する市場へと変化しました。同様に、グリーン水素の市場も、より多くのプレイヤーが参加しやすい環境を整えることで活性化が期待できます。

東京都は、グリーン水素トライアル取引を通じ、この取引市場の活性化を図ろうとしており、オークション方式を採用することで需要と供給のバランスを適正に保ちつつ、企業が適正価格で水素を調達できる仕組みを構築しています。市場形式でのグリーン水素取引は史上初の取り組みですが、新規参入のハードルを下げて多様な事業者が取引に参加できる環境を整えるという点では、クリーンエネルギー普及の分岐点にもなりうる重要なポイントなのです。

また、この市場の活性化は、水素インフラ整備の加速にも寄与します。水素ステーションの増設や輸送・貯蔵技術の向上が進むことで、水素の供給網が強化され、利用可能な範囲が広がります。実際、日本の卸電力市場の自由化が進んだ結果、再生可能エネルギーの導入が加速したのと同様に、水素市場の活性化が進めば、グリーン水素の流通量が増え、より多くの企業や自治体が水素エネルギーを活用しやすくなるでしょう。

すでに海外の水素生産地との協力関係が進められており、東京都が水素取引のハブとして機能する可能性もあります。こうした市場の活性化を通じて、東京都は水素社会の実現に向けた具体的な一歩を踏み出しているのです。

グリーン水素トライアル取引のメリット

出典:Shutterstock

東京都が開始したグリーン水素トライアル取引は、水素供給者と需要者の双方にとって、新たなビジネスチャンスを生み出す画期的な取り組みです。では、ここからは具体的に供給側と需要側にどのようなメリットがあるのかを見ていきましょう。

供給側のメリット

グリーン水素の供給側にとって、最大のメリットは市場への参入障壁が大幅に低下することです。従来、グリーン水素の流通は限られた企業に依存していました。例えば、再生可能エネルギーを調達し、それを水電解装置で水素に変換するスキームは、大手商社によって運用・統括されることが多く、装置の製造も特定の大手メーカと手を組んで直接契約を行う、あるいはそれらを内製化できる大企業にしかグリーン水素の活用はできませんでした。

しかし、取引市場が確立されることで、これまで直接の取引ルートを持たなかった事業者もグリーン水素を売買できるようになります。例えば、地方自治体が所有する再生可能エネルギー発電所や規模の小さな水素製造業者が、既存の大手企業と同じ土俵で競争できる環境が整います。これにより、グリーン水素の供給網が多様化し、競争が促進されることで、市場全体の成長が加速する可能性があります。

また、オークション形式の取引により、リアルタイムで需要と供給のバランスを把握しながら価格を設定できるため、供給側は適正な利益を確保しやすくなります。これまでのように、長期契約の固定価格に縛られるのではなく、市場価格に応じて柔軟な販売戦略を立てることが可能です。水素製造には大規模な設備投資が必要ですが、将来的な需要予測がしやすくなることで投資も呼び込みやすくなり、技術革新や新規プレイヤーの参加も促進されることでしょう

このように、グリーン水素の供給側にとって、取引市場の確立は市場参入の容易化だけでなく、販売戦略の柔軟化や投資環境の改善といった多面的なメリットをもたらします。

需要側のメリット

一方で、グリーン水素の需要側にとっても、本取引は大きな利点をもたらします。従来、水素の調達は限られた供給者との直接契約が主流であり、長期契約を結ばなければ安定した供給を確保することが難しい状況でした。しかし、取引市場が開かれることで、複数の供給者から最適な価格で水素を調達できるようになります。

前述の通り、オークション方式の導入によって供給側の価格設定が最適化されますが、それは需要側にも同じことがいえます。これまで、グリーン水素の価格は供給者ごとに異なり、予測が立てにくいという問題がありましたが、本取引では過去の取引データを分析することで、将来的な価格変動の見通しを立てやすくなり、事業計画の安定性を向上させることができます

トライアルの段階では、まだまだ入札が少なく「価格競争」と呼ぶには足りないものでしたが、将来的に入札者が増えていくと市場原理が働き、供給側はさらに価格が下がり、利用側の価格は上がっていくものと想定されます。

また、本取引を通じて水素供給網が拡大すれば、需要者がインフラ整備の負担を軽減できる可能性もあります。これまで、水素エネルギーを活用したい企業は、自前で水素供給設備を導入するか、特定の供給者と独自の契約を結ぶ必要がありました。しかし、取引市場が機能すれば、供給網が整い、インフラ整備にかかる初期投資を抑えながら水素エネルギーを導入できるようになります。特に、物流業界や発電事業者にとっては、導入コストの低減は大きなメリットとなるでしょう。

このように、グリーン水素トライアル取引は、水素供給者・需要者双方にとって大きな利点をもたらし、市場の活性化を促す重要な取り組みとなっています。

グリーン水素トライアル取引が抱える課題

出典:Shutterstock

グリーン水素トライアル取引は、水素市場の活性化と脱炭素化の推進に向けた重要な取り組みですが、まだ市場として発展途上にあり、いくつかの課題を抱えています。本章では、主な課題とその背景を整理し、解決に向けた展望について考察します。

取引量の限定性と市場流動性の低さ

現在の水素市場では、参加事業者の数が限られており、取引量も十分ではありません。グローバル企業で構成されている水素協議会の報告によると、グリーン水素の供給力は欧米が突出しており、山間部の多い日本は再生可能エネルギーの適地が乏しいため、石油や天然ガスと同様に水素の輸入に頼らざるを得ないと指摘されています。

出典:日経ビジネス「205X年の最悪シナリオ 水素不足の日本、電気足りず鉄つくれず」

この状況が何を意味するかというと、日本国内のグリーン水素市場の流動性が低く、供給が限定されることで、価格変動リスクが高まる危険性があるということです。こうした再生可能エネルギー供給の難しさは、かつてグリーン電力証書などの環境価値を取引する市場の初期段階でも見られた共通の課題であり、需要に対して安定的な供給が確保できなければ、企業が安心して市場に参加することが難しくなります。

市場流動性を高めるためには、より多くの事業者の参入を促すためのインセンティブ設計が必要です。例えば、政府の補助金制度や税制優遇措置を活用し、水素製造業者や消費者にとって市場参加のメリットを高めることが考えられます。また、長期的には、水素貯蔵技術の向上や、輸送インフラの整備によって供給の安定化を図ることが重要となるでしょう。

インフラ整備の遅れ

グリーン水素の普及には、水素ステーションやパイプラインといったインフラの整備が欠かせません。しかし、現時点では国内の水素インフラは発展途上であり、供給網の整備が市場成長のボトルネックとなっています。特に、地方では水素の輸送手段が限られており、大都市圏に比べて普及が進みにくい状況です。

また、水素ステーションの設置には高額な投資が必要となるため、民間企業単独では十分な整備が難しく、政府の支援や官民連携が不可欠です。例えば、日本政府は「水素基本戦略」において、水素関連インフラへの補助金を拡充する方針を示していますが、依然として欧米と比較すると支援額は十分とはいえません。

水素インフラの整備を加速させるには、政府の補助金制度の強化だけでなく、インフラ投資への民間資本の流入を促す仕組みが必要です。例えば、カーボンクレジット市場と連携し、水素インフラの構築を行う企業が環境価値を取引できるようにすることで、投資の魅力を高めることが考えられます。実際に、ヨーロッパでは欧州連合(EU)が「欧州水素銀行」と呼ばれるグリーン水素市場形成のための財政的な支援メカニズムを推進しており、水素バリューチェーンへの民間投資を呼び込んでいます。

出典:資源ミライ開発「欧州水素銀行の役割」

このように、日本でも東京都が単体で取り組むのではなく、国や他の自治体も、民間資本など様々なプレイヤーが協力する形でインフラ整備に向けた取り組みがなされることが必要となってくるでしょう。

取引の透明性と効率性の確保

現在のトライアル取引では、取引データの管理や価格決定プロセスにおいて透明性が十分に確保されていないという課題があります。特に、リアルタイムの取引データは事前の申請が認められた参加者にしか公開されておらず、外部の企業が市場の健全性を判断しづらい状況にあります。

この課題に対する解決策の一つとして、ブロックチェーン技術の活用が考えられます。ブロックチェーンは、取引履歴を改ざん不可能な形で記録し、参加者全員が同じ情報をリアルタイムで確認できる仕組みを提供します。これにより、取引の透明性が向上し、市場の健全な成長を支えることが可能になります。

また、取引の効率性向上のためには、スマートコントラクトの導入も有効です。スマートコントラクトとは、ブロックチェーン上であらかじめ定めた条件を満たすと自動的に契約が実行されるプログラムのことで、手作業による確認作業を削減し、迅速かつ正確な取引を実現します。これを水素取引に応用することで、事業者間の取引プロセスを簡素化し、取引コストを削減するとともに、透明性を向上させることが可能となるでしょう。

まとめ:グリーン水素トライアル取引の今後の展望

グリーン水素トライアル取引は、持続可能なエネルギー社会の実現に向けて注目を集めています。今回の取引では、山梨県が製造したおよそ700万円分のグリーン水素が落札されましたが、第二回目以降では今回のプレスリリースや連携協定を基に、全国様々な地域からグリーン水素が調達されることが予想されます。

また、東京都では大田区の都有地に新たなグリーン水素製造プラントが整備予定であり、今後の国内生産能力の向上が期待されており、グリーン水素のトライアル取引市場は今後数年間で急速に発展すると予測されています。政府の支援策やカーボンクレジット市場との連携が進むことで、市場の流動性が高まり、商業ベースでの取引が拡大する可能性があるでしょう。

今後、企業がどのようにグリーン水素市場に参入し、自社の脱炭素戦略に活用するかが、持続可能なエネルギー社会の実現に向けた重要なポイントとなるでしょう。記事内でも紹介したブロックチェーン等を活用した取引プラットフォームの開発はプレイヤー間の信頼性という点で非常に重要になっていくはずです。今後も、グリーン水素トライアル取引には注目が必要ですね。

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自己主権型アイデンティティ( SSI:Self-Sovereign Identity)とは?個人情報管理の新たな姿を徹底解説!

インターネットが普及し、ネットショッピングやSNS、銀行のオンラインサービスなどが登場したことで私たちの生活は非常に便利になりました。一方で、「顔の見えない世界」では、あらゆる場面で個人情報の入力が求められます。こうした個人情報の管理を企業や政府に委ねた結果、大量のデータ漏えいやプライバシーの侵害といった課題が生じており、従来のアイデンティティ管理が問題視されています。

そこで近年、大きな注目を浴びているのが、「自己主権型アイデンティティ(Self-Sovereign Identity, SSI)」という新しい概念です。本記事では、SSIの基本から関連技術、その仕組みやメリット・デメリット、さらには最新の動向までを詳しく解説します。SSIを理解することで、今後のデジタル社会のあり方や、新規ビジネスの可能性について考えるヒントを得ることができるでしょう。

自己主権型アイデンティティ(SSI)とは?

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SSIは、より安全かつ柔軟なアイデンティティ管理が可能になる仕組みとして注目を集めています。SSIについて解説する前に、従来のアイデンティティ管理とSSIの違いを明確にするため、まずは現在のID管理手法の課題を整理していきましょう。

従来のアイデンティティ管理の問題点

現代社会では、企業や政府が個人情報を管理するのが一般的です。多くのサービスでは、ユーザーがアカウントを作成し、氏名やメールアドレス、電話番号などを登録したうえで、IDとパスワードを設定する必要があります。一見すると合理的な仕組みに見えますが、この方法にはいくつもの問題が潜んでいます。

まず、データ漏えいのリスクです。個人情報が企業のサーバーに集中しているため、サイバー攻撃の対象になりやすく、大規模な情報流出事件が後を絶ちません。近年では、FacebookやYahoo!のような大手企業でさえ、大規模な個人情報漏洩が発生し、被害を受けたユーザーが多数います。

次に、個人が個人情報のコントロール権を持てないという課題もあります。一度登録した情報は、企業のデータベースに保管され、ユーザーが完全に削除することはできません。さらに、企業が収集したデータがどのように利用されているのか不透明なケースも多く、知らない間に広告のターゲティングやマーケティングに活用されていることもあります。

また、ID・パスワードの管理が煩雑になりがちです。サービスごとに異なるアカウントを作成し、それぞれのIDとパスワードを覚えておく必要があるため、パスワードの使い回しが増え、セキュリティリスクが高まります。

さらに、プライバシー侵害の可能性も無視できません。企業や政府が個人の行動履歴を収集し、分析するケースが増えており、監視社会への懸念も高まっています。特に、広告業界ではユーザーの興味・関心を把握するためにデータを活用することが一般的になっており、個人の意思とは無関係に情報が利用されることが問題視されています。

こうした諸所の課題を解決するために登場したのが、自己主権型アイデンティティ(SSI)です。

自己主権型アイデンティティ(SSI)=個人情報は自分で管理すべし!

SSIの基本的な考え方は至ってシンプルです。これまで企業や政府に依存していたアイデンティティ管理を、ユーザー自身が行えるようにすることで、「企業が個人情報を管理する時代」から「個人が自ら情報を管理する時代」への転換を図ろうというものです。

従来のアイデンティティ管理の仕組みでは、個人情報はユーザーの手元を離れる形で企業が管理していましたが、SSIの元では個人が自分の情報を管理するため、「必要に応じて特定の情報だけを選んで提供する」ということが可能になります。例えば、年齢確認が必要な場面では、生年月日ではなく「成人である」という情報のみを提示することで、必要最小限のデータ提供にとどめることができます。

また、企業や組織を介さずに本人確認が行えるため、サービスごとに新しいアカウントを作成する必要もなくなり、ID・パスワード管理の手間を大幅に削減できるほか、情報漏えいのリスクも低減すると考えられています。

このように、SSIは従来の中央集権的なアイデンティティ管理のあり方を根本から変える可能性を持っている概念だといえるでしょう。

自己主権型アイデンティティ(SSI)が注目される背景

アイデンティティ管理の新たな潮流として注目されるSSIは、個人情報管理の重要性が高まるにつれて、市場規模も急速に拡大しています。株式会社グローバルインフォメーションのレポートによると、2024年のSSI市場は18億ドル規模と推定されており、2029年には471億ドルに達すると予測されています。では、なぜここまでSSIが注目されているのでしょうか。

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一番大きな要因は、昨今相次いでいる個人情報の大量流出や不正利用が、ユーザーのデータ管理に対する不安を高めていることでしょう。従来の中央集権型のアイデンティティ管理では、個人情報が企業や政府機関のデータベースに集中してしまい、サイバー攻撃や不適切な情報管理を招いてしまいます。中には大学や医療機関、保険会社や地方自治体など、プライバシーに深く関係する情報が流出したケースもあります。

こうした状況を受け、ユーザーが、必要な情報のみを選択的に開示できるSSIの概念への関心を持っていったというのはある意味で自然な流れといえます。プライバシー保護への意識が高まる中で、「細心の注意を払います」という姿勢だけではなく、ユーザー自身が情報をコントロールできる認証方法そのものが求められているのです。

次に、技術の進歩もSSIの普及を後押ししているといえるでしょう。個人が情報の主導権を握るSSIの実現の壁となっていたのは「情報がセキュアな状態に置かれているか」、つまりは耐改ざん性の問題です。旧式のアイデンティティ管理がいくらサイバー攻撃の標的となりやすいとはいっても、(むしろ、だからこそ)セキュリティ体制を構築していることがほとんどです。したがって、通常のデータ基盤でSSIを具現化してしまうと、セキュリティ体制が脆弱化し、情報漏洩のリスクが高まってしまう可能性がありした。

しかし、近年、ブロックチェーン技術(詳しくは後述)などの耐改ざん性に優れた技術が登場し、中央機関を介さなくても安全かつ信頼性の高いアイデンティティ管理を行うことが可能になりました。また、W3C(World Wide Web Consortium)やDIF(Decentralized Identity Foundation)といった国際的な標準化団体が、SSIの技術仕様を策定しており、システム実用化に向けた枠組みも整い始めました。こうした技術面の発展によって、現在、SSIは机上の空論から脱しつつあるのです。

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さらに、各国政府の取り組みもSSIの成長を加速させています。欧州連合(EU)では、eIDAS(Electronic IDentification, Authentication and trust Services)規則が導入され、電子的な身分証明や信頼サービスの標準化が進められています。2024年2月にはeIDAS 2.0が正式に承認され、個人が自身のデジタルアイデンティティを管理できる「European Digital Identity Wallet(EUDIW)」の導入が提案されました。EUでは、自分のID情報や各種証明書のどの項目を個々のサービサーに提供するかを選択できるSSIの概念と共に、加盟国間でIDの規格を統一するための規制改正を進めることで、いわゆる「デジタル単一市場」の実現を目指しています。

こうした動きを受けて日本国内でも、大手企業や金融機関がSSIを活用した実証実験を進めており、政府レベルでもデジタル庁を中心にSSIを視野に入れたデジタル社会の実現が検討されています。したがって、SSIは各国のデータ管理の取り組みの土台となっており、これに連動する形で企業や国民がSSIへの注目を集める結果となっているのです。

このように、SSIはデータプライバシーへの意識の高まり、技術革新、デジタル化の加速、各国政府の政策といった様々な要因によって次世代のアイデンティティ管理の有力な手段として注目を集めています。

自己主権型アイデンティティ(SSI)の関連技術

SSIを理解する上で欠かせないのが、その実現を支える技術です。従来の中央集権型のアイデンティティ管理とは異なり、SSIではユーザー自身が情報を管理し、必要なときに必要な相手へ選択的に提供する仕組みが求められます。これを可能にするのが、「DID(分散型識別子)」「VCs(検証可能な証明書)」「ブロックチェーン」といった技術群です。

これらの技術がどのように機能し、SSIの実現にどのように貢献しているのか、それぞれ詳しく見ていきましょう。

DID(Decentralized Identifier、分散型識別子)

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DID(Decentralized Identifier、分散型識別子)は、SSIの基盤となる技術の一つです。これは、従来のメールアドレスやSNSアカウントのように中央管理者が発行する識別子とは異なり、ユーザー自身が発行し、管理することができる識別子を意味します。

従来のオンライン認証では、GoogleやFacebookなどの企業がユーザーのIDを管理し、それを使って他のサービスにログインする仕組みが一般的でした。しかし、この方法では、プラットフォーム側にID管理の主導権があり、アカウントの停止やデータの利用制限といったリスクが伴います。これに対し、DIDはユーザー自身が識別子を作成・管理できるため、特定の企業に依存せずにアイデンティティを証明できるのが特徴です。

DIDの仕組みとして、以下の点が重要になります。

  • 中央管理者なしで識別子を発行できる:ユーザーが独自の識別子を生成し、第三者の許可なしに使用できる。
  • IDの信頼性が高い:DIDの情報は後述するブロックチェーンなどの分散型台帳に記録され、データの改ざんや不正アクセスが困難。
  • 相互運用性が高い:異なるプラットフォームやサービス間で利用でき、DIDを使った統一的な認証が可能。

この技術の標準化も進められており、W3C(World Wide Web Consortium)がDIDの技術仕様を定めた「DID Core 1.0」を2022年に正式勧告として発表しました。これにより、DIDの普及が加速し、さまざまな分野での活用が期待されています。

詳しくは下記の記事で解説しています。

VCs(Verifiable Credentials、検証可能な証明書)

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VCs(Verifiable Credentials、検証可能な証明書)は、DIDと並んでSSIの重要な技術です。VCsは、デジタル上で個人の資格や属性を証明する仕組みであり、物理的な運転免許証やパスポートと同じような役割を果たします。ただし、デジタルならではのメリットも多く、情報の選択的開示や検証の迅速化が可能になります。

例えば、銀行口座を開設する際、従来であれば本人確認のために運転免許証やマイナンバーカードのコピーを提出し、銀行側が目視で確認する必要がありました。しかし、VCsを活用すれば、「この人物は日本国内の居住者である」「成年である」といった情報のみを提示し、個人情報を必要以上に開示せずに認証を済ませることができます。

VCsの特長は以下の通りです。

  • 選択的開示が可能:必要な情報だけを提示し、不要な個人情報を隠すことができる。
  • オンラインで即座に検証できる:従来の証明書のように紙やPDFの提出が不要になり、デジタルで即時に認証可能。

この技術により、SSIは単なる「自己管理型のID」にとどまらず、信頼性の高いデジタル証明システムとしても機能するようになります。

詳しくは下記の記事で解説しています。

ブロックチェーン

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SSIの実現には、データの改ざんを防ぎ、安全に情報を管理する仕組みが不可欠です。その役割を担うのが、取引データを分散型ネットワークに記録し、一度登録されたデータの改ざんを防ぐ技術であるブロックチェーンです。この特性を活かし、SSIではDIDやVCsのデータをブロックチェーン上に記録し、信頼性を確保します。

ブロックチェーンがSSIにもたらすメリットは以下の通りです。

  • 耐改ざん性が高い:分散型の仕組みにより、情報の書き換えが困難。第三者による不正アクセスのリスクを低減できる。
  • 検証の透明性が高い:DIDやVCsの証明データがブロックチェーン上に記録されるため、情報の真正性を迅速に確認できる。
  • 分散的な管理ができる:ユーザーが自身のアイデンティティを管理でき、特定の企業や機関に依存しない仕組みを構築できる。

従来の本人確認プロセスでは、個人情報を企業や機関に預ける必要がありました。しかし、ブロックチェーンを活用すれば、本人確認のデータは分散型ネットワーク上に記録され、第三者が不正に操作することができなくなります。

ブロックチェーンがすべてのSSIシステムに必須というわけではありませんが、セキュリティと透明性を向上させるうえで、非常に有力な選択肢となっています。

詳しくは下記の記事で解説しています。

自己主権型アイデンティティ(SSI)のメリット

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DIDやVCs、ブロックチェーンといった技術について紹介したところで、今度はこれらの技術を使って実現されるSSIにどのようなメリットがあるのかについても解説します。SSIがもたらすメリットは、単にセキュリティ向上にとどまらず、利便性やプライバシー保護の面でも大きな変革をもたらします。ここでは、具体的なメリットについて詳しく見ていきましょう。

プライバシーの保護

オンラインサービスを利用する際、多くの場合、必要以上の個人情報を提供しなければなりません。「この情報、どこまで使われるのだろう?」と不安を感じたことがある人は少なくないでしょう。SSIは、この不安を根本から解決します。

例えば、SSIを実現するための技術の一つに「ゼロ知識証明(ZKP)」というものがあります。ゼロ知識証明とは、「ある事実が真であることを証明しながら、その詳細なデータは明かさない」技術を指します。(理解すれば簡単な概念ですが、初見ではややこしい概念でもあるので、以下の米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のAmit Sahai教授の解説動画を参考にすると良いでしょう。)

この技術を活用すれば、年齢確認を行う際に、生年月日や名前、顔写真や大学等を開示することなく、「私は成人である」という事実のみを提示することができます。SSIには、こういった過剰な個人情報の開示を防ぐための様々な技術が活用されており、ユーザーのプライバシー保護に貢献しています。

また、従来のアイデンティティ管理では、企業がユーザーの情報を保持するため、その使い道には不透明な部分が多く存在しました。しかし、SSIでは個人情報がユーザー自身の手元にあり、必要なときに必要な情報だけを開示するため、企業のデータベースに保存される情報量が大幅に減少します。個人情報が企業の管理下に置かれ続けることがなくなり、「知らないうちにデータが第三者に渡っていた」といった事態を防ぐこともできるでしょう。

ID管理コストの削減

企業にとって、ユーザーのIDを管理することは想像以上に大きな負担です。新規ユーザーの本人確認(KYC)、パスワードの管理、アカウントの不正利用防止…。どれも避けて通れない業務ですが、これらの対応は膨大なコストがかかる上に、運用の手間も年々増大しています。特に、パスワードのリセット対応や、不正アクセスが発生した際のセキュリティ対策には、多くの企業が頭を悩ませているのが現状です。

SSIが導入されれば、こうした負担を大幅に軽減できます。その理由の一つが「自己主権型アイデンティティ(SSI)の関連技術」でもご紹介した「DID(Decentralized Identifier、分散型識別子)」の仕組みです。

従来の仕組みでは、企業ごとにユーザーIDを発行・管理し、それを自社のデータベースに保存していました。しかし、DIDを活用すれば、ユーザーが自身のデジタルIDを所有・管理し、企業はそのIDを検証するだけで済むようになります。これにより、企業側は個別のアカウント情報を抱え込む必要がなくなり、システムの管理コストが大幅に削減されるのです。

銀行口座の開設を考えてみましょう。通常、銀行ごとに本人確認書類を提出し、審査を受ける必要がありますが、SSIを活用すれば、一度認証されたデジタルIDを使い回すことが可能になります。ユーザーは毎回同じ手続きを繰り返す必要がなくなり、企業側も個別のKYC業務を簡略化できるため、時間とコストの削減につながります。同様に、オンラインサービスでも、新規登録時のID確認プロセスを簡素化できるため、業務効率が向上するでしょう。

セキュリティの向上

インターネットを利用する上で、不正ログイン等の様々なセキュリティリスクはユーザーと企業の双方にとって深刻な問題です。こうした課題に対処すべく、パスワードを設定したものの、「どのサービスでどのパスワードを設定したか覚えていない」「セキュリティのために複雑なパスワードを設定したのに、結局メモを見ないとログインできない」——そんな経験がある人も多いはずです。

SSIがもたらす大きな変革のひとつが、「パスワードレス認証」です。従来の認証方法では、ユーザーがIDとパスワードを入力し、それを企業のサーバーが照合する仕組みでしたが、この方法ではパスワードが流出すれば簡単に不正アクセスされてしまいます。実際、過去に発生した多くの大規模な情報漏えい事件では、流出したパスワードが原因で不正ログインが相次ぎ、大きな被害を生んでいます。

SSIでは、前述の「VCs(Verifiable Credentials、検証可能な証明書)」によって本人確認を行うため、パスワードを使う必要がなくなります。スマートフォンやデジタルウォレットに保存された証明書を提示するだけで認証が完了するため、企業側のサーバーにパスワードも保存されず、そもそもパスワードを入力する必要すらなくなるのです。

ユーザーにとっては、パスワード管理の手間が省けるだけでなく、不正アクセスのリスクが大幅に減るというメリットがあり、企業側にとっても、セキュリティ対策のコストを削減できるという利点があります。SSIの概念が浸透することにより、より安全で使いやすいオンライン環境の実現にも期待が膨らみますね。

自己主権型アイデンティティ(SSI)のデメリット

出典:Shutterstock

これまで見てきたようにSSIは我々に多くのメリットをもたらす一方、いくつかの課題も抱えています。特にスケーラビリティ(拡張性)とインターオペラビリティ(相互運用性)という問題は、SSIを語る上で切っても切れない関係にあります。順番に解説します。

スケーラビリティ(拡張性)

SSIは、個人が自分のアイデンティティを自由に管理できる仕組みですが、その大規模な普及には「スケーラビリティ(拡張性)の課題がつきまといます。スケーラビリティとは、システムが負荷の増加に応じて適切に対応できる能力のことを指します。

現在、SSIの多くはブロックチェーン技術を活用しています。ブロックチェーンは、データを改ざんできない形で分散管理できる点で優れていますが、処理速度が遅く、トランザクション(取引)のコストがかかるという課題があります。つまり、一度に処理できるトランザクション数に限界がある「スケーラビリティが低い」技術なのです。

例えば、SSIを使って本人確認を行うたびにブロックチェーンへアクセスする必要があるとすると、ネットワークの混雑時には処理が遅延し、場合によっては数分〜数十分待たなければならないかもしれません。

また、ユーザーが管理するVCの数が増えると、それらを安全かつ効率的に保管・管理するためのシステム負荷も増大します。例えば、運転免許証、医療記録、学位証明など、複数のVCを一つのデジタルウォレットで管理する場合、それらを素早く照合・認証できるインフラが必要になります。現在の技術では、このような大規模運用をスムーズに行うための最適な方法がまだ確立されていません。

こうした問題を解決するために、現在ではレイヤー2技術(メインネットの外で取引を処理する技術)や、オフチェーン(取引の一部だけをブロックチェーンで処理する仕組み)でのデータ管理が検討されています。簡単にいえば、本体のブロックチェーンには認証の「証拠」や「重要な情報」だけを保存し、それ以外のデータ自体は個別のサーバーやユーザーのデバイス上で管理することで処理負荷を軽減させるという訳です。

また、特定の業界や企業グループ内で共通の認証基盤を構築することで、ブロックチェーンを使わずにSSIのメリットを活かす試みも進められています。とはいえ、スケーラビリティの問題は、SSIが社会に広く普及する上で避けて通れない課題であり、今後の技術革新に大きく依存する部分といえるでしょう。

インターオペラビリティ(相互運用性)

SSIは、個人がどこでも自由に使えるデジタルアイデンティティを実現することを目的としています。しかし、その理想を実現するためには、異なるシステム同士が互換性を持ち、シームレスに連携できる必要があります。このようなシステム間の連携のしやすさを「インターオペラビリティ(相互運用性)」と呼びます。

現在、SSI関連の技術にはDIDやVCsなど、標準化が進められているものもありますが、SSIを提供する企業や団体によって採用する技術仕様が異なる場合があります。これが原因で、同じ「SSI」という概念のもとで開発されたサービスでも、相互に互換性がないことがあります。例えば、ある大学が発行した卒業証明VCsが、企業の採用システムで認識されないといった問題が起こる可能性があります。

この問題を解決するため、W3C(World Wide Web Consortium)が中心となってDIDやVCsの共通仕様を策定しており、多くのSSIプロジェクトがこの標準に準拠することを目指しているものの、国や業界によって異なる規制が存在するため、一部のSSIソリューションは特定の地域や用途に限定されてしまうことがあります。

例えば、欧州ではGDPR(EU一般データ保護規則)の影響でデータの取り扱いに厳格なルールが求められる一方、米国では業界ごとに異なる認証方式が存在するため、一つのSSI標準で全てをカバーするのは容易ではありません。

このように、インターオペラビリティの向上はSSIの普及にとって不可欠な要素でありながらも、各国の政府機関や企業、技術団体の足並みが揃わずに標準化は遅れ気味となっています。それだけ熾烈な「利権争い」の対象となっているのは決して悪いことではありませんが、今後、互換性に関する取り組みが進むことで、より多くのサービスや業界でSSIが実用化されていくでしょう。

まとめ

自己主権型アイデンティティ(SSI)は、個人が自らの情報を管理し、安全かつ効率的に認証を行える新たなアイデンティティ管理の仕組みです。従来の中央集権型の管理とは異なり、SSIではユーザーが必要最小限の情報のみを開示できるため、プライバシーの保護やセキュリティ向上といったメリットが期待できます。一方で、スケーラビリティや相互運用性といった技術的課題もあり、今後の発展が求められる分野でもあります。

SSIの導入を検討する際には、業界やビジネスモデルに適した技術選定が不可欠です。特に、ブロックチェーン技術との組み合わせや、オフチェーン処理を含めたシステム設計が求められるケースも多くあります。トレードログ株式会社では、ブロックチェーン技術を活用した非金融分野のシステム開発・運用を手がけており、要件定義や設計フェーズから貴社のニーズに合わせた導入支援を提供しています。

SSIの活用を含め、ブロックチェーンを用いた認証・管理システムの導入を検討されている方は、ぜひ当社までお問い合わせください。貴社の課題やビジネス要件に応じた最適なソリューションをご提案いたします。

分散型ID(DID)とは?ブロックチェーンとの関係性や特徴・メリット等を徹底解説!

インターネットの発展とともに、私たちは日常的にオンラインサービスを利用するようになりました。しかし、それに伴って個人情報の管理やセキュリティに関する課題も増えています。これまでのIDは、企業や政府が管理する「中央集権型ID」が主流でしたが、近年では「分散型ID(DID)」という新しい概念が注目を集めています。

本記事では、DIDの基本概念から、従来型IDとの違い、具体的なメリット・デメリット、そして将来性までを詳しく解説します。

分散型ID(DID)とは?

出典:Shutterstock

分散型ID(DID)は、近年注目されている新しいID管理の概念です。従来の中央集権型IDとは異なり、DIDは個人が自らのデジタルIDを管理できる仕組みを持っています。この違いを明確にするため、まずは「中央集権型ID」と「分散型ID」の違いを詳しく見ていきましょう。

従来型のIDは中央集権型ID

これまでのID管理は、企業や政府が一元的に管理する「中央集権型ID」が主流でした。例えば、GoogleやFacebookのアカウント、あるいは運転免許証やパスポートなどの公的なIDも、この中央集権型の仕組みによって管理されています。この方式には利便性がある一方で、いくつかの深刻な課題も存在します。

まず、中央集権型IDはデータが特定の管理主体に集中しているため、不正アクセスのリスクが高まります。一度ハッキングが成功すると、芋づる式にすべてのデータが流出する可能性があり、攻撃者にとって魅力的なターゲットとなりやすいのです。企業や政府がセキュリティ対策を講じていたとしても、過去には大手企業のサーバーが攻撃され、大量の個人情報が流出する事件が何度も発生しています

次に、本人確認(KYC:Know Your Customer)のプロセスにおいて、運転免許証やパスポートなどの中央集権型IDを提出する際、利用者は必要以上の個人情報を開示してしまうという問題もあります。年齢確認が必要なサービスを利用する場合、本来なら「18歳以上である」という事実だけを証明すればよいはずです。しかし、実際には名前や住所、顔写真といった不要な個人情報まで開示しなければならないケースが多く、プライバシーリスクが発生します。

さらに、中央集権型IDでは、複数のサービスを利用する場合、それぞれのID管理主体ごとに異なるIDを発行してもらう必要があり、ユーザーは複数のアカウントやパスワードを管理しなければなりません。この結果、パスワードの使い回しや管理ミスによるセキュリティ事故のリスクが高まります。近年では、IDとパスワードを一度入力するだけで複数のサービスにログインして利用できるシングルサインオン(SSO)などの技術も発展していますが、結局のところGoogleやAppleなど特定の企業に依存する形となり、根本的な解決にはなっていません。

このような問題を解決するために、近年注目を集めているのが「分散型ID(DID)」の概念です。

分散型ID(DID)=自分自身でコントロールできるID

出典:PwC Japan「求められる次世代のデジタルアイデンティティ管理モデルSSIと
実現手段としてのDID」

分散型ID(DID)とは、「Decentralized Identifier」の略で、日本語では「分散型識別子」を意味します。これは、中央集権的なID管理の課題を解決するために生まれた新しい概念であり、ユーザー自身が自らのデジタルアイデンティティを管理できるIDのことを指します。

DIDは元々、Web技術の標準化団体であるW3C(World Wide Web Consortium)が2022年に勧告した標準規格であり、認証情報の管理を特定のIDプロバイダー(IdP)に依存せず、サービスを利用するユーザー自身がコントロールできるようにすることを目的としています。したがって、従来の中央集権型IDの課題であった情報漏えいやプライバシーの過剰な開示といった問題が解決されると期待されています。

定義だけでは具体的な姿をイメージしづらいですが、DIDの核心にあるのは「SSI(自己主権型アイデンティティ:Self-Sovereign Identity)」という概念です。これは、「個人情報は個人自身が管理し、必要なときに必要な情報のみを開示すべきである」という考え方を基盤とするものです。DIDは、このSSIを技術的に実現するための手段のひとつと考えれば良いでしょう。

また、DIDの特徴のひとつに、「発行主体が存在しない」点が挙げられます。従来のIDは、政府や企業といった特定の機関が発行・管理するものでしたが、DIDはそうした中央管理者を必要とせず、個人が自分自身で識別子を生成・管理できます。そのため、サービス提供者に依存することなく、IDを自由に運用できるのです。

なお、DIDという用語は、時として「Decentralized Identity(分散型アイデンティティ)」の略称として使用されることがあります。「Decentralized Identifier」は特定の技術を指す用語ですが、「Decentralized Identity」は「特定のIdPに依存しないデジタルアイデンティティ管理の考え方そのもの」を指します。基本的には文脈でどちらの概念を指しているのかを判断する必要がありますが、この混乱を避けるために、「Decentralized Identifier」を「DIDs」と表記することもあります。

分散型IDの仕組みをより深く理解するために、次のセクションでは、その技術的な詳細について解説していきます。

分散型ID(DID)の仕組み

DIDは単なる識別子ではなく、それに紐づくDIDドキュメントと密接に関係しています。DIDを利用することで、個人や組織は独自の識別子を作成し、それを用いて信頼できるデジタルアイデンティティを確立できるのです。ここからは、こうしたDIDの基本構造、DIDドキュメントとの関係、そしてDIDの解決プロセスについて詳しく解説していきます。

DIDの基本構造

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出典:W3C「Decentralized Identifiers (DIDs) v1.0」

DIDは特定のルールに基づいた文字列で構成されており、「スキーマ」「DIDメソッド」「DIDメソッド固有の識別子」の3つの要素から成り立っています。

まず、スキーマはDIDであることを示す文字列であり、すべてのDIDは共通して「did:」という接頭辞から始まります。これは、W3Cが定める「DID Syntax ABNF Rules」に則った形式で記述されます。

次に、DIDメソッドは、DIDがどの基盤(レジストリ)に登録され、どのように生成・管理されるのかを定義する文字列です。W3Cの要件に基づいて開発者が独自にDIDメソッドを作成できるため、現在では多くの種類のDIDメソッドが存在します。例えば、Bitcoinをレジストリとして利用する「did:ion」や、Ethereumを活用する「did:ethr」、Webサイトのドメインを基にする「did:web」などが代表的なものとして挙げられます。ただし、DIDメソッドは相互運用性を持たないため、一度発行したDIDを別のDIDメソッドに移行することはできません。

最後に、DIDメソッド固有の識別子は、各DIDメソッド内で一意となるものであり、どのように発行されるかはメソッドごとに異なります。例えば、「did:ethr」の場合はEthereumアドレスを基にした識別子が生成され、「did:web」ではWebドメインが識別子として使用されます。

具体的な情報取得の流れ

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出典:W3C「Decentralized Identifiers (DIDs) v1.0」

上図はW3Cが提唱するDIDのアーキテクチャの概念図です。DIDエコシステムにおける各コンポーネントの役割は以下の通りです。

  • DIDサブジェクト:DIDの所有者(例:個人、企業、IoTデバイスなど)。
  • DIDドキュメント:DIDに関連するデータを格納するドキュメントで、DID自身の情報や公開鍵などが記載されている。
  • DIDコントローラー:DIDドキュメントを更新・削除する権限を持つ主体。多くの場合、DIDサブジェクトと同一だが、異なる場合もある。
  • DID URL:DIDにパスやクエリパラメータを追加したもので、DIDドキュメント内の特定の情報(例:公開鍵)を指し示すために使用される。
  • 検証可能データレジストリ:DIDとDIDドキュメントが保存される場所。多くの場合、ブロックチェーンや分散型台帳が利用される。

DIDは、所有者情報や公開鍵の情報などを格納したDIDドキュメントと一対一で対応しており、DIDを利用するためには、DIDを解決(resolve)することでDIDドキュメントを取得する必要があります。DIDの解決プロセスは、以下のように進行します。

  1. DIDの指定
    まず、ユーザーは解決したいDIDを指定します。例えば、「did:example:123456789abcdef」といった形式のDIDを入力し、リゾルバ(DID解決ツール)に対してDIDの解決を要求します。
  2. DIDメソッドの特定
    次に、DIDのスキーマ部分を解析し、使用されているDIDメソッドを特定します。各DIDメソッドは、それに対応するDIDドキュメントの取得方法を持っています。DIDメソッドによって、データの保存場所(ブロックチェーン、IPFS、Webサーバーなど)や、DIDの生成・管理方法が異なります。
  3. DIDドキュメントの取得
    DIDメソッドが特定されたら、リゾルバはそのメソッドに適したプロトコルを使用してDIDドキュメントを取得します。DIDドキュメントは通常、分散型台帳(ブロックチェーン)、IPFS、もしくはDIDメソッドによって指定されたストレージに格納されています。例えば、「did:web」の場合はWebサーバーからDIDドキュメントを取得し、「did:ethr」の場合はEthereumのブロックチェーンから取得します。
  4. DIDドキュメントの検証
    取得したDIDドキュメントが改ざんされていないかを確認するため、デジタル署名を検証します。DIDドキュメントには、所有者の公開鍵や署名情報が含まれているため、リゾルバはそれらの情報を用いてドキュメントの正当性をチェックします。これにより、不正に改ざんされたDIDドキュメントを排除し、信頼性のある認証を実現できます。

公開鍵暗号方式とは?

公開鍵暗号方式とは、情報を通信する際に、送信者が誰でも利用可能な公開鍵を使用して暗号化を行い、受信者が秘密鍵を用いて暗号化されたデータを復号化するという手法のこと。

図1:公開鍵暗号方式における鍵のやり取り出典:サイバーセキュリティ情報局「キーワード事典」

秘密鍵は特定のユーザーのみが保有する鍵で、この秘密鍵から公開鍵を生成することは可能。しかし、公開鍵から秘密鍵を特定することは現実的には不可能。公開鍵で暗号化されたデータは対応する秘密鍵でしか復号化できないため、秘密鍵さえ厳重に管理していれば、データの保護と情報漏洩の防止が可能となる。

分散型ID(DID)のメリット

出典:Shutterstock

分散型ID(DID)は、従来の中央集権型IDの課題を解決する技術として注目されていますが、その大きな利点は、セキュリティとプライバシーの向上、ユーザー自身によるID管理の強化、そしてオンライン認証の利便性の向上にあります。以下では、DIDがもたらす主なメリットについて詳しく説明します。

情報漏えいのリスクが低い

DIDは、リスが餌のなくなる冬に備えて食料を複数の場所に分散して隠す「貯食」とよばれる習性に似ています。巣穴など一箇所に全ての食料を蓄えた場合、もし巣が天敵に襲われたり、災害に見舞われたりすると、全ての食料を失ってしまいますが、分散して食料を埋めておけば一つの隠し場所が失われても、他の場所に隠した食料は無事です。

同様に、従来のID管理システムでは、一箇所のサーバーに大量の個人データが集約されているため、サーバーが「単一障害点」となり、ここが攻撃を受けるとシステム全体が停止したり、多くのユーザーの情報が一括して流出するリスクがありました。実際、大量の顧客情報が流出して企業の役員陣が謝罪会見を開く、という光景も現代では珍しいことではないかと思います。

一方で、DIDは中央管理者を介さずにユーザーが自身のIDを管理するため、単一障害点が存在しません。もし一部のノードが攻撃を受けても、他のノードは正常に稼働し続けるため、システム全体が停止するリスクを軽減できます。したがって、ハッキングのハードルも高く、芋づる式に個人情報が流出するリスクを最小限にできるのです。

このように、DIDは「情報セキュリティ」という観点において、中央集権的なID管理システムが抱える脆弱性を克服し、より安全で堅牢なID管理を実現するための有効な手段となり得るでしょう。

小見出し:必要最小限の情報提供で認証が可能

私たちが居酒屋などでアルコール類を注文する際、「20歳以上であること」を証明するために身分証明書を提示することが求められることがあります。しかし、これらの身分証には名前や住所、顔写真といった本来不要な情報まで含まれています。実際に相手が確認したいのは「この人が法律上、飲酒が可能な年齢かどうか」だけのはずが、不要な個人情報まで開示してしまうのです。

DIDがあれば、こうした過剰な情報開示を防ぐことができます。「この人が20歳以上である」という事実だけを証明し、それ以外の個人情報を一切見せることなく、年齢確認を完了できるのです。これにより、身分証を提示するたびに不必要な情報まで渡してしまうリスクを軽減できます。

この仕組みを可能にするのが、「ゼロ知識証明(Zero-Knowledge Proof)」と呼ばれる暗号技術です。ゼロ知識証明とは、「ある事実が正しいことを証明する際に、その根拠となるいかなる情報も明かさずに済む」仕組みです。

少し難しい概念であるため、本格的にゼロ知識証明を理解したい方は、以下の米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のAmit Sahai教授の解説動画を参考にすると良いでしょう。

このように、DIDは単なる認証技術ではなく、「プライバシーを守りながら、必要な情報のみを適切に提供できる新しいデジタルアイデンティティ管理の枠組み」として、今後ますます重要な役割を果たすと考えられています。

ID管理が簡素化される

日常的に使うオンラインサービスが増えるにつれ、私たちは多くのアカウントを管理しなければならなくなっています。SNS、ネット通販、銀行、サブスクリプションサービスなど、それぞれのサービスで異なるIDとパスワードを設定し、覚えておくのは非常に手間がかかります。パスワードを忘れればリセット手続きを行う必要があり、煩雑な手間がかかるだけでなく、パスワードの使い回しによるセキュリティリスクも高まります。

DIDは、特定の企業や組織に依存せずにユーザー自身がIDを管理できる仕組みを提供し、ID管理の負担を大幅に軽減できます。例えば、DIDをデジタルウォレットに保存しておけば、各サービスごとに異なるIDやパスワードを覚えておく必要はなく、DIDを使ってシームレスにログインが可能になります。従来の「IDとパスワードを入力する」というプロセスを省略し、より直感的でスムーズな認証体験を実現できるのです。

「ソーシャルログインでいいのでは?」 と思われる方もいるかもしれません。確かに、GoogleやFacebookなどのアカウントを利用したソーシャルログインは便利です。しかし、これらのサービスはあくまで中央集権的なプラットフォームに依存しています。つまり、これらのプラットフォームがサービスを停止したり、アカウントが乗っ取られたりした場合、利用者はサービスにアクセスできなくなる可能性があるのです。

一方、DIDは分散型のID管理システムであり、特定のプラットフォームに依存しません。ユーザーは自身のDIDを完全にコントロールでき、プラットフォームの都合に左右されることなく、様々なサービスにアクセスできます。

このように、DIDの導入によって、ユーザーはパスワード管理の煩わしさから解放され、企業側もセキュリティ対策の負担を軽減できます。こうしたシンプルかつ安全なID管理も、DIDのメリットの一つといえるでしょう。

見出し:分散型ID(DID)のデメリット

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DIDは多くのメリットをもたらしますが、一方でいくつかの課題も抱えています。特に管理の責任がすべてユーザーに委ねられることや標準化という問題は、DIDの普及に向けた大きなハードルとなっています。順番に解説します。

管理リスクとユーザー責任

中央集権型のID管理システムでは、パスワードを忘れた場合でも、運営元に問い合わせればリセット手続きを行うことができます。しかし、DIDでは話が違います。DIDの認証には秘密鍵が不可欠であり、その秘密鍵の管理は完全にユーザーの責任となります。もし秘密鍵を紛失すると、アカウントを復旧する手段はほぼ存在せず、DIDに紐づいたデータや権利をすべて失う可能性があります。

これは、同じく分散型管理を行っている暗号資産(仮想通貨)のウォレットの秘密鍵を紛失した場合に似ています。 例えば、ビットコインを保有している人が秘密鍵を紛失した場合、どれほど多額のビットコインを保有していても、誰もアクセスすることができなくなります。銀行口座の暗証番号を忘れた場合とは異なり、ビットコインの場合は、秘密鍵が唯一のアクセス手段であるため、紛失は即座に資産の喪失に繋がります。

「ビットコイン2億ドル以上」の資産、パスワード紛失でアクセス不可に | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

DIDも同様であり、秘密鍵を失えばIDそのものが無効になり、再発行も難しくなります。

また、セキュリティの観点からも、従来のID管理よりも慎重な運用が求められます。例えば、秘密鍵を適切に保管するためには、ハードウェアウォレットやオフライン環境での管理が推奨されますが、これは一般ユーザーにとってはハードルが高いでしょう。従来の「パスワード管理が面倒」という問題から解放される一方で、「秘密鍵の管理が厳格であるべき」という新たな課題が発生するのです。

こうしたリスクに対処するため、現在、業界ではいくつかの解決策が検討されています。「ソーシャルリカバリー」という仕組みでは、ユーザーが信頼できる複数のコンタクト(友人や家族、企業)を「回復代理人」として登録し、秘密鍵を失った際に彼らの承認を得ることで復旧が可能です。

すでにEthereumのウォレット「Argent」などではこの手法が採用されており、DIDにおいても類似の仕組みが導入されつつあります。このような技術が進展すれば、秘密鍵の紛失によるリスクは大幅に軽減されるでしょう。

標準化の遅れや普及の課題

DIDは中央管理者に依存しない仕組みを実現していますが、それゆえに標準化の遅れや相互運用性の問題が生じています。現在、W3CによってDID全般の基本仕様は定義されているものの、特定のDIDメソッドを標準化しているわけではありません。そのため、各サービスにおいて独自のDIDメソッドが開発されており、異なるDIDメソッド間での互換性が十分に確立されていません。

このような相互運用性の問題は、DIDの普及を妨げるだけでなく、利用者側の混乱を招く可能性もあります。どのメソッドでDIDを取得すればよいのか、どのサービスでどのメソッドが利用できるのか、といった情報が分かりにくく、DIDの利用をためらう要因となっています

しかし、こうした課題に対処するため、すでに業界ではDIDメソッドごとの違いを吸収し、異なるメソッド間でもスムーズにDIDを利用できるようにする技術開発が行われており、Microsoft、IBM、Hyperledgerといった企業もこの分野に積極的に参画しています

また、普及の観点では、すでに一部の行政サービスや金融機関がDIDを活用した実証実験を開始しています。欧州連合(EU)は「European Self-Sovereign Identity Framework(ESSIF)」を推進し、DIDを活用したデジタルアイデンティティの構築を進めており、日本でも地方自治体や民間企業がDIDを活用した本人確認の仕組みを試験的に導入する動きがあり、今後の展開が期待されています。

こうした標準化の進展や企業・政府の取り組みが加速すれば、DIDの相互運用性の課題は徐々に解決し、より多くの場面で実用化が進むことが予想されます。DIDが普及することで、私たちはより安全で便利なデジタル社会を実現できる可能性があります。

分散型ID(DID)とブロックチェーンとの関連性

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これまで見てきたように、分散型ID(DID)は従来の中央集権型ID管理の課題を解決する新しい仕組みとして注目されています。しかし、DIDが安全かつ分散的に機能するためには、そのデータをどこに記録し、どのように管理するかが重要なポイントとなります。その解決策の一つとして活用されているのが「ブロックチェーン」です。DIDとブロックチェーンはどのように関連しているのか、その理由を解説していきます。

ブロックチェーンとは?

ブロックチェーンは、サトシ・ナカモトと名乗る人物が2008年に発表した暗号資産「ビットコイン」の中核技術として誕生しました。ブロックチェーンの定義には様々なものがありますが、噛み砕いていうと、「取引データを暗号技術によってブロックという単位にまとめ、それらを鎖のようにつなげることで正確な取引履歴を維持する技術」です。

ブロックチェーンはデータベースの一種ですが、そのデータ管理方法は従来のデータベースとは大きく異なります。従来の中央集権的なデータベースでは、全てのデータが中央のサーバーに保存されるため、サーバー障害やハッキングに弱いという課題がありました。

一方、ブロックチェーンはネットワークに参加する各コンピュータ(ノード)がデータのコピーを持ち、分散して保存します。そのため、サーバー障害が起こりにくく、ハッキングにも強いシステムだといえるでしょう。

また、ブロックチェーンでは、ハッシュ値と呼ばれる関数によっても高いセキュリティ性能を実現しています。ハッシュ値とは、あるデータをハッシュ関数というアルゴリズムによって変換した不規則な文字列のことで、データが少しでも変わると全く異なるハッシュ値が生成されます。新しいブロックを生成する際には必ず前のブロックのハッシュ値が記録されるため、誰かが改ざんを試みると、それ以降のブロックのハッシュ値を全て再計算する必要があり、改ざんが非常に困難な仕組みとなっています

さらに、ブロックチェーンでは、マイニングという作業を通じて取引情報のチェックと承認を行う仕組み(コンセンサスアルゴリズム)を持っています。マイニングとは、コンピュータを使ってハッシュ関数にランダムな値を代入する計算を繰り返し、ある特定の条件を満たす正しい値(ナンス)を見つけ出す作業のことです。

最初にマイニングに成功した人に新しいブロックを追加する権利と報酬が与えられるため、この報酬がネットワークの維持に貢献するインセンティブとなり、ブロックチェーンエコシステム全体の安定性を支えています。

このように、ブロックチェーンは分散管理、ハッシュ値、マイニングなどの技術を組み合わせることで、データの改ざんや消失に対する高い耐性を持ち、管理者不在でもデータが共有できる仕組みを実現しています。

詳しくは以下の記事でも解説しています。

なぜブロックチェーンがDIDのレジストリに適している?

出典:i Magazine「ブロックチェーンの今 ~Token、分散ID管理、Provenanceへと広がる活用と
技術の最新動向」

DIDの概念を技術的に支えるためには、そのID情報を安全かつ分散的に保存する必要があります。ブロックチェーンは、その特性上、DIDのレジストリとして非常に適した技術の一つとされています。

自己主権型アイデンティティ(SSI)では、個人が自分のアイデンティティを管理することが求められます。しかし、デジタルID保有者が虚偽の情報を登録したり、資格を偽造したりするリスクがあるため、透明性と改ざん耐性が求められます。ここで、分散台帳技術(DLT)や公開鍵暗号など、ブロックチェーンの技術が活用されることで、デジタルIDの信頼性を向上させることができます。

また、DIDを管理するデータベースは特定のサービス事業者や中央機関に依存しないことが重要です。ブロックチェーンのノードは分散的に運営され、単一の管理者が存在しないため、特定の企業や政府がDIDを恣意的に管理することができません。特に、パブリックブロックチェーンは中央集権的な機関に依存せずに運用できるため、DIDの基盤として適していると考えられています。

ただし、DIDのレジストリとして必ずしもブロックチェーンが唯一の選択肢というわけではありません。DIDの仕様上、ブロックチェーン以外の分散台帳技術やその他のデータ管理手法を用いることも可能であり、今後さらなる技術革新が進むことで、より柔軟なDID管理の方法が登場する可能性もあります。

ですが、ブロックチェーンに記録されたIDは、他者によって勝手に更新・削除されることがないという類を見ない特徴があり、この点が、ユーザー自身がIDの生成・更新・削除を行うという自己主権型アイデンティティの思想と相性が良いということも相まり、ブロックチェーンがDIDの基盤としてファーストチョイスであるという構図は大きくは変わらないでしょう

分散型ID(DID)とVCs(Verifiable Credentials)との関連性

出典:Shutterstock

デジタルアイデンティティを管理する際、DIDだけでは十分ではありません。DIDはあくまで「識別子」であり、そこに資格や証明書といった追加情報を付与することで、オンライン上での信頼性を確立できます。その役割を担うのが「VCs(Verifiable Credentials)」です。DIDとVCsの関係を理解することで、より実践的なデジタルアイデンティティ管理の仕組みが見えてきます。

VCs(Verifiable Credentials)とは?

VCsとは「Verifiable Credentials」の略であり、日本語では「検証可能な資格証明」と訳されます。具体的には、個人が所有できるデジタル上の証明書でありながら、その正当性については信頼できる第三者機関によって検証される仕組みを指します。

出典:Internet Infrastructure Review(IIR)Vol.52

VC(個々の資格証明の流れについて見ていく場合はVCと略します)は、主に次の4要素で構成されています。

  • 発行者(issuer):VCを発行する者
  • 所有者(holder):VCを発行者から取得し、保有・利用する者
  • 検証者(verifier):保有者が提示したVCが信頼できるものであるかを検証する者
  • レジストリ(Registry):分散型台帳やブロックチェーンといった各種データベース

VCはまず発行者によって発行がなされます。この発行者は、運転免許証であれば都道府県公安委員会、学歴証明書であれば国立大学法人や学校法人、健康診断結果であれば医療機関などが該当します。発行時には暗号技術の仕組みを利用してVCにデジタル署名を付与し、復号に必要な鍵(公開鍵)は改ざんができない仕組みを持つレジストリに登録します。

次に、所有者は発行者から受け取ったVCをデジタルウォレットと呼ばれる保管場所に格納し、必要に応じて利用します。利用の際には、VCをそのまま検証者に提示するのではなく、VP(Verifiable Presentation)という提示用のフォーマットに変換したものを提示します。

検証者は、所有者からVPの提示を受けた後、レジストリに登録されている発行者の公開鍵を使ってVPを検証し、デジタル証明書の信頼性を確認します。そして、その検証結果に応じてサービスの提供の可否を判断したり、提供プランを変更したりすることができます。

VCsを活用することにより、不透明な情報の可視化や真偽の疑わしい情報を公正に検証することが可能になり、デジタル上で個人情報を様々なサービスで利用できるでしょう。こうした可視化できない個人情報を証明する仕組みは、企業だけでなく行政や医療機関なども注目しており、VCsに関する取り組みは今後さらに活発になっていくものと考えられます。

DIDは「誰」かを証明し、VCsは「どのような資格や権利を持っているか」を証明する

ここまでの説明を聞くと、DIDとVCsは共に個人情報を安全に管理し、プライバシーを保護するための技術であり、デジタルアイデンティティを構成する上で重要な役割を果たしていることは理解できたかと思います。しかし、「結局DIDとVCsはどう違うのか?」という点が、まだはっきりしないと感じる方も少なくないのではないでしょうか?

両者の違いを簡単に説明すると、「DIDはあなたが誰であるかを証明し、VCsはあなたがどのような資格や権利を持つ人物なのかを証明するもの」です。イメージしやすい例として、「学生証(≒DID)」と「成績証明書(≒VCs)」を考えてみましょう。

学生証は、あなたがその大学に在籍している学生であることを証明するものです。学生証には、あなたの名前や学籍番号、顔写真などが記載されており、あなたが確かにその大学の学生であることを示します。これはまさにDIDの役割であり、「あなたが誰であるか」を証明するものです。

学生証だけでは、「学生である」という情報以外の情報は分かりません。学割の適用や単なる年齢確認であればそれだけでも問題ないですが、例えば採用面接など、その人の内面や能力を推し量る指標としては不十分です。

一方、成績証明書は、あなたがどのような授業を履修し、どのような成績を修めたかを証明するものです。成績証明書には、あなたの名前や学生番号、履修した授業科目名、成績などが記載されており、あなたがどのような学習成果を上げたかを具体的に示します。これはVCsの役割であり、「あなたがどのような資格や権利を持つ人物なのか」を証明するものです。

しかし、成績証明書だけには氏名や学生番号が記載されているものの、それが本当に本人のものかどうかを証明する手段はありません。顔写真がついている学生証と学習の履歴が記載されている成績証明書が組み合わさることで初めて、あなたが確かにその大学の学生であり、特定の授業を履修し、一定の成績を修めた人物であることを証明できるのです。

同様に、DID単体では身元の証明以外にはあまり役に立たず、VCsと組み合わせることで初めて信頼性と利用可能性のあるアイデンティティを確立できます。つまり、DIDは識別子としての役割を担い、VCsはその識別子に対して意味を付与するものだと考えると分かりやすいでしょう。

出典:「DID/VCを用いた自己主権型アイデンティティの実現(安酸円秀,2023/1/9,p16)」

また、DIDとVCsを連携させれば、「発行者(Issuer)」と「検証者(Verifier)」が直接コミュニケーションを取る必要もなくなります。従来、企業が応募者の学歴を確認する際、大学に直接問い合わせるケースがありました。しかし、この方法では大学側に負担がかかるだけでなく、確認に時間がかかるというデメリットもありました。そのため、企業が確認作業を省略してしまい、結果的に学歴詐称が発生することもあります。

他方、VCsには発行者のDIDが紐付けられており、公開鍵によってデジタル署名が検証可能です。そのため、検証者は発行者に直接問い合わせることなく、VCsのデータが改ざんされていないことを即座に確認できます。これは、本人確認の精度を高めるだけでなく、手続きの効率化にもつながります。

このように、DIDとVCsを組み合わせることで、オンライン上でも信頼性の高いデジタルアイデンティティを構築できます。中央集権的な認証システムに頼ることなく、ユーザー自身がデータを管理し、必要な情報を必要な範囲で提供できるという点で、DIDとVCsはデジタル社会の新たなインフラとして重要な役割を担っていくでしょう。

VCsについては以下の記事でも詳しく解説しています。

分散型ID(DID)の市場規模とは?

出典:Shutterstock

これまで見てきたように、DIDは従来の中央集権型ID管理が抱える課題を解決する新しい仕組みとして注目されています。セキュリティの強化、プライバシー保護の向上、そしてユーザーが自身のIDをコントロールできる点が大きな魅力となり、さまざまな業界で導入の動きが進んでいます。こうした背景を受け、DID市場は急速に成長しつつあります。

株式会社グローバルインフォメーションのレポートによると、DID市場の規模は2024年時点で11億5,300万米ドルに達しており、2033年には896億2,800万米ドルにまで拡大すると予測されています。この成長率は年平均62.2%という非常に高い数値であり、DIDが今後のデジタルアイデンティティ管理において重要な役割を果たしていくことを示しています。

DID市場の拡大を支える要因の一つが、個人データの管理と所有権に対する意識の高まりです。GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)をはじめとする企業が収集・管理する個人データの量は年々増加しており、ユーザーの間では「自分のデータを自分で管理したい」というニーズが強まっています。データ漏えいや不正利用が頻発する中で、企業や政府による一元管理のリスクを回避し、ユーザー自身が情報の開示範囲をコントロールできるDIDへの関心が高まっているのです。

また、オンライン上で共有される個人情報の増加も、DID市場を後押しする要因となっています。従来の認証システムでは、IDプロバイダーがユーザーの情報を管理し、サービスごとに個人情報を提供する必要がありました。しかし、その反面でサイバー攻撃やデータ侵害の標的になりやすく、特に金融機関や医療機関など、高度なセキュリティが求められる業界では深刻な問題となっています。DIDを活用すれば、第三者を介さずに安全な認証が可能となり、こうしたリスクを低減できます。そのため、ヘルスケアや消費財、製造業、小売業など、多様な業界でDIDを活用したソリューションの導入が進んでいます。

さらに、技術の進化もDID市場の成長を支えています。人工知能(AI)や機械学習(ML)、モノのインターネット(IoT)といった分野では、DIDと組み合わせることでより高度な認証技術が実現可能になります。例えば、IoTデバイスがDIDを活用することで、安全なネットワーク環境を構築し、スマートホームや自動運転車などの分野でのセキュリティ強化が期待できます。

このように、DID市場の拡大は、デジタル社会の在り方そのものを変える可能性を秘めています。これまでは個人情報は企業や政府が一括して管理するのが当たり前でしたが、DIDの普及により「自分のデータは自分で守る」という新しい概念が一般化していくのかもしれませんね。

まとめ

本記事では分散型ID(DID)について解説しました。

DIDは、ユーザー自身がデジタルアイデンティティを管理することで、従来の中央集権型ID管理が抱えていたセキュリティリスクやプライバシー問題を解決する画期的な技術である一方、標準化の遅れや秘密鍵の管理といった課題も存在しており、技術的な発展とともに、実用化に向けた環境整備が求められています。

DIDの技術的な進化や法整備の進展とともに、今後の市場の成長がどのように進んでいくのか、引き続き注目する価値があるでしょう。

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グリーン水素って何?サステナビリティの鍵を握るキーワードを完全解説!

サステナブルな未来を築くために、私たちがどのようなエネルギーを選択するかは重要な課題です。その中でも「グリーン水素」は、クリーンエネルギー革命の鍵を握る存在として注目を集めています。しかし、具体的にどのような技術で作られ、なぜ環境に優しいのかを詳しく理解している人は少ないかもしれません。本記事では、グリーン水素の基本からその作り方、そして社会での活用法までを解説します。

グリーン水素とは?

グリーン水素とは、風力や太陽光などの再生可能エネルギーを活用して水を電気分解し、製造される水素を指します。一般的に水素は、燃焼時に二酸化炭素(CO₂)を排出しないクリーンなエネルギー源として注目されていますが、カーボンニュートラルの実現には製造段階においてもCO₂を排出しない仕組みが不可欠です。そこで注目されているのが、グリーン水素です。

現在、産業界で使用される水素の多くは化石燃料を原料として製造されていますが、これらは製造時にCO₂を排出するか、その排出を補うための追加技術が必要になります。一方で、グリーン水素は再生可能エネルギーを用いて製造されるため、製造・使用の両面でCO₂排出ゼロを達成できます。

また、グリーン水素の生成には再生可能エネルギー由来の電力を大量に消費するため、電力の需給調整の手段としての側面も重要視されています。再生可能エネルギーは発電量が天候に左右されやすく、需要と供給のバランス(同時同量)を取ることが課題となります。この点で、余剰電力を活用して水素を生成・貯蔵し、必要に応じてエネルギーとして利用することで、電力系統の安定化にも寄与するのです。

同時同量についてはこちらの記事でも解説しています。

なお、グリーン水素と混同しやすい言葉に「クリーン水素」があります。クリーン水素は「CO₂排出が少ない、または排出ゼロで製造された水素」の総称であり、グリーン水素はその中の一種です。例えば、化石燃料を使用して製造し、CO₂回収技術を活用したCO₂排出ゼロの水素はクリーン水素に分類されますが、グリーン水素とは明確に区別される点には注意が必要です。

グリーン水素の作り方

グリーン水素を作るためには、「水分解」という方法を使って水素と酸素に分けるプロセスが必要です。中学校の理科の授業を思い出しますね。ビーカーに水を入れて水中の電極に通電すると、陰極側では水素が発生し、陽極では酸素が発生する、懐かしのアレです。

理科の実験であればこの方法でも構いませんが、大規模に水素を生成するには、もう少し複雑な仕組みが必要になってきます。現在、グリーン水素の製造には「アルカリ型水電解装置」と「固体高分子型水電解装置(PEM型)」の主に二つの電気分解技術が使われています。

出典:松定プレシジョン「次世代エネルギー「水素」のすべて」

アルカリ型水電解装置 – 低コストで大規模向き

アルカリ型水電解装置は、化学反応に使う電解質として「水酸化カリウム」という物質を使用し、水酸化イオンだけが通れる隔壁を通して陽極と陰極を分離しながら水素と酸素を発生させる仕組みです。

この装置の最大の強みは「コストの低さ」と「大規模生産への適性」です。長年の実績があり、技術が成熟しているため、設備コストが比較的安価に抑えられるのが特徴です。また、大容量の水素を安定して生産するのに向いており、工業用途などで広く活用されています。

ただし、デメリットもあります。まず、反応速度がやや遅く、エネルギー変換効率もPEM型に比べると劣ることです。また、装置のサイズが大きくなりがちで、設置場所に制約が出ることもあります。そのため、十分なスペースと安定した電力供給がある環境での利用が求められます。

固体高分子型水電解装置(PEM型) – 高効率で小規模向き

一方、固体高分子型水電解装置(PEM型)は、固体の高分子膜を使って電解反応を行います。実は、この固体高分子は「燃料電池」にも使われているもので、燃料電池車や家庭用エネルギーシステムでもよく利用されています。

PEM型の最大の強みは「反応速度の速さ」と「高いエネルギー変換効率」です。電流を流すとすぐに水素が生成されるため、起動と停止が容易で、変動する再生可能エネルギーとの相性が良いのが特徴です。また、装置の小型化が可能なため、都市部や限られたスペースでも導入しやすく、分散型の水素製造拠点に向いています。

しかし、欠点もあります。最大の課題は「コストの高さ」です。PEM型の電極には白金などの貴金属が必要であり、これが装置の価格を押し上げる要因になっています。また、電解質が酸性であるため、材料の耐久性を確保するのが難しく、メンテナンスコストもかかります。そのため、現状では小規模な水素製造や、再生可能エネルギーを活用した分散型のシステムに適した技術とされています。

次世代技術 – 高温水蒸気電解と人工光合成

このように、従来の技術を使って作られるグリーン水素は、すでに実用化が進んでいますが、さらに効率的で環境負荷の少ない方法を模索する研究が進められています。その一つが「高温水蒸気電解」と呼ばれる新しい方法です。

この方法では、水蒸気を高温に加熱し、その熱を利用して水分子を分解します。高温を利用することで、電力の消費を抑えつつ、より効率的に水素を取り出すことが可能になります。特に、火力発電所などで発生する廃熱を有効活用できる可能性があり、産業界でも注目されています。

出典:東芝「高温水蒸気電解による 水素製造システム」

また、「人工光合成型光触媒」という技術にも脚光が集まっています。これは植物の光合成を模倣し、太陽光と光触媒を利用して水分子を分解し、水素を取り出す方法です。光合成の仕組みを応用したこの技術は、環境への負荷をほとんどかけずに水素を作ることができるため、安全性や環境負荷という観点でも高く評価できます。

出典:資源エネルギー庁「太陽とCO2で化学品をつくる「人工光合成」、今どこまで進んでる?」

このように、グリーン水素の製造方法は進化を続け、私たちが使うエネルギー源としての可能性を広げています。今後、より多くの技術が組み合わさり、効率的で環境に優しい水素製造が実現する日も近いかもしれません。

グリーン以外にも水素には色がある!?

出典:Unsplash

水素は本来、無味無臭で無色透明な気体ですが、実はその製造方法やエネルギー源に応じて色分けされています。この「水素の色」は、環境への影響や製造過程を理解する上で重要な指標となります。ただし、国際機関や認証機関によってその基準が必ずしも統一されているわけではなく、同じ色でも表現方法に違いがある場合がある点は注意が必要です。

グレー水素

グレー水素は、主に化石燃料、特に天然ガスを原料にして製造される水素です。製造過程で発生するCO₂はそのまま大気中に放出され、環境負荷が高いとされています。グレーという色は、無色透明の水素が製造過程で汚染され、環境負荷を象徴する色として用いられているものの、世界全体で工業用に生産されている水素の90%以上は、このグレー水素が占めており、現在の水素産業においては主流となっています。カーボンニュートラルを目指す社会においては、この製造方法は脱炭素化の目標に逆行しているため、削減策が求められています。

ブルー水素

ブルー水素も化石燃料を原料として製造されますが、異なる点は製造過程で発生するCO₂を回収し、地中に貯留する技術(CCS: Carbon Capture and Storage)を使用することです。この技術を使うことで、CO₂の排出を極力ゼロに近づけることができます。ブルーという色は、CO₂排出の削減を意識したクリーンな方法を象徴する色として選ばれています。そのため、ブルー水素はクリーン水素として注目されており、環境への影響を低減できる可能性を持っています。ただし、CO₂回収技術にも限界があり、全体のコストやエネルギー消費も考慮する必要があります。

ブラウン水素

ブラウン水素は、グレー水素の一種で、石炭、とりわけ褐炭を原料にして製造される水素を指します。石炭を燃焼させる過程でCO₂を大量に排出するため、ブラウン水素の環境負荷は非常に高いとされています。「ブラウン」という色は、褐炭の色を象徴しており、環境への負荷の大きさを反映しています。現在では環境面から避けるべきとされる製造方法であり、脱炭素化を進めるためには他の方法への転換が望まれています。

ターコイズ水素

ターコイズ水素は、メタンを熱分解することによって製造されます。この方法ではCO₂が生成されず、代わりに固体の炭素が生じます。この固体炭素は、適切に処理することで環境への悪影響を抑えることができます。ターコイズという色は、炭素(黒)とメタンの化学的性質(青)を象徴し、炭素が環境に与える影響を最小限に抑える特色を表現しています。ターコイズ水素はCO₂排出がないため、環境に優しい選択肢として注目されていますが、固体の副産物が生成されることから大規模な商業化には課題が残る技術とされています。

オレンジ水素

オレンジ水素は、廃棄物や残留物を原料にして製造される水素です。リサイクルの観点から、廃棄物処理とエネルギー生成を同時に行うことができるため、持続可能なエネルギー源として期待されています。オレンジという色は、廃棄物のリサイクルや再利用といったポジティブなエネルギー循環を表現しており、環境負荷の低減に貢献する水素としてグリーン水素と同様に研究が進んでいます。

イエロー水素/ピンク水素/パープル水素

これらの水素は、原子力発電を利用して水を電気分解することによって製造されます。イエロー水素は、ウラン鉱石(イエローケーキ)を精製した製品が一般に黄色の粉末であることに由来しています。ピンク水素やパープル水素と呼ばれることもあります。これらの水素は、CO₂排出ゼロですが、原子力に対する安全性や環境への懸念が存在するため、導入には慎重な議論が求められています。

ホワイト水素

ホワイト水素は、人工的に製造されたものではなく、地下の堆積物中で自然に生成された水素を指します(製鉄所の溶鉱炉などで産業の副産物として得られる水素も指す場合もあります)。ホワイト水素は、自然の過程で発生するため、製造時にCO₂を排出することはありませんが、採掘や利用には特定の制約が伴うため、利用範囲は限られるとされています。

グリーン水素は何に使う?

出典:Unsplash

グリーン水素は、そのクリーンな特性と再生可能エネルギーを活用した製造方法により、様々な分野での活用が期待されています。では、具体的にどのようなシーンで活用されるのでしょうか?ここからは、持続可能な社会へと移行するための重要なエネルギー源として注目されるグリーン水素の用途について詳しく見ていきます。

環境保全

グリーン水素は、環境保全において非常に大きな可能性を秘めています。前述したように、グリーン水素の生産から利用に至るまで、二酸化炭素(CO₂)を一切排出しないことがその最大の特徴です。化石燃料に依存する従来のエネルギーシステムに代わり、グリーン水素を利用することで、地球温暖化の主要因であるCO₂排出を大幅に削減できると期待されています。

この背景には、パリ協定や各国のカーボンニュートラル宣言など、世界規模で進む脱炭素化への取り組みがあります。国際社会では、産業構造やエネルギー利用の変革を通じて、CO₂削減目標を達成するための動きが加速しており、再生可能エネルギーを利用した水素生産技術は、その中核的存在となり得ます。

また、環境保全だけでなく、生物多様性の保護にもつながる可能性があります。例えば、グリーン水素が普及すれば、化石燃料の採掘による環境破壊や、石油精製の過程で発生する有害物質の削減が見込まれるでしょう。これにより、自然生態系への負担を軽減し、人々がより良い環境で生活できる未来を切り開くことが期待されます。

グリーン水素を基盤としたエネルギーシステムの構築は、単なる技術革新にとどまらず、持続可能な社会の実現に直結しています。私たち一人ひとりの生活から地球全体の環境まで、さまざまなスケールで恩恵をもたらすグリーン水素の役割は、今後ますます重要性を増していくでしょう。

エネルギー安全保障

「エネルギー安全保障」という言葉をご存じでしょうか?これは、私たち人間が生活していく上で必要となる石油や天然ガス、電気といった各種エネルギーを「妥当な価格」で「安定的」に供給することを指す地政学的にとても重要な概念です。

石油や天然ガスといった化石燃料は、太古の生物の死骸などが地下に堆積し、地下の高い温度や微生物の分解作用などによって長い期間かけ、地層内でエネルギー資源に変わったものだといわれています。したがって、現代社会における経済活動を動かす動力源にも関わらず、採掘可能なスポットは特定の国や地域に集中している状況なのです。

こうしたエネルギーの供給源が限定的である懸念は、安全保障上の大きな障壁となります。近年ではロシアによるウクライナの軍事侵攻に伴ってロシアからのエネルギー供給が不安定になった例が示すように、資源保有国の意思決定によってこれらの供給が不安定になるリスクがあります

一方、グリーン水素はその製造に再生可能エネルギーを利用するため、製造施設さえ確保してしまえば極論、世界中どこでもエネルギーを製造することができます。また、水素自体は気体、液体、固体など様々な状態で貯蔵・輸送すること(エネルギーキャリア)ができ、保管性と運搬性にも優れています。そのため、電力の供給が不安定な地域に国内で製造した水素をあらかじめ輸送しておけば、必要に応じて供給することもできる訳です。

このようにグリーン水素を活用することで、特定の国に依存することのない、広い意味でのエネルギーの地産地消に期待できます。これは、国家のエネルギー安全保障を強化し、平和な世界を築く一歩となるでしょう。グリーン水素はもはや、単なるエネルギー源ではないのです。

産業競争力の強化

グリーン水素の普及は、日本の産業競争力を高める絶好の機会となります。日本は水素エネルギーに関連する技術分野で長年にわたり研究と開発を進めてきた結果、世界でもトップクラスの技術的優位性を持つ国として評価されています。例えば、燃料電池や水素供給インフラの分野で数多くの特許を取得しており、水素社会の実現に向けた基盤を築いています。

この技術的優位性を生かして、世界市場での競争力を高めることが可能です。現在、多くの国が脱炭素社会の実現を目指して水素エネルギーの活用を模索している中で、日本の技術やノウハウは国際的な需要を集めています。特に、水素製造・貯蔵・輸送といった幅広いプロセスでの技術提供や、再生可能エネルギーを活用したグリーン水素生産のモデル構築は、国際社会における日本の地位をさらに高めるでしょう。

さらに、水素エネルギーの普及は国内産業の活性化にもつながります。グリーン水素を活用した新たなエネルギーシステムの開発や、その普及に伴うインフラ整備によって、国内での雇用創出が期待されるだけでなく、地域経済の活性化にも寄与する可能性があります。また、水素技術を基盤とした次世代産業の育成は、持続可能な経済成長を支える鍵となります。

このように、グリーン水素は、地球規模の課題解決に貢献するだけでなく、日本が持つ技術力を最大限に発揮し、国際競争力を高める可能性を秘めた技術です。日本がこの波に乗ることで、エネルギー分野でのプレゼンスをさらに強化し、グローバルリーダーとしての地位を確立する道が開かれるでしょう。

グリーン水素が注目されている理由

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日本においても、グリーン水素の推進は重要な政策の一環となっており、その活用方法が急速に進展しています。グリーン水素の使い道について学んだところで、今度は脱炭素化に向けたソリューションとして近年、脚光を浴びるようになった理由についても見ていきましょう。

水素基本戦略

日本政府が策定した水素基本戦略は、単なるエネルギー政策に留まらず、国の未来を形作る重要なロードマップです。この戦略において、水素はエネルギー自給率の向上と脱炭素化を両立するための中心的な役割を担っています。これは前述した「産業競争力の強化」というグリーン水素のメリットと密接しており、単なる「クリーンエネルギー」という枠を超えた産業政策としてのグリーン水素を全面的に押し出した形です。

この目的を達成するために、2023年6月に6年ぶりに改訂された水素基本戦略では、2040年までに年間で1,200万トンの水素を導入するという目標が掲げられました。アメリカの「国家クリーン水素戦略」では、2030年までに年間1,000万トンのクリーン水素製造、欧州委員会の「水素戦略」では2030年までに最大年間1,000万トンのグリーン水素の域内生産目標が掲げられていることを考慮すると、これは単なる数字ではなく、日本企業の技術力で次世代のエネルギー競争をリードしようという政府の考えが見え隠れします。

実際に国内では官民合わせて15兆円の投資も行われる予定であり、水電解装置などの技術開発を重点支援していくとしています。また供給側への支援と同様に需要の創出についても、グリーンイノベーション基金の活用や地方自治体との連携を通して2030年までに水素コストを30円/Nm3に引き下げるという目標を達成するとしています。

この戦略に則って政府の支援が一気に拡大すれば、水素はより多くの産業に浸透し、さらなる脱炭素化を促進するでしょう。このように、グリーン水素は単なるエネルギー源にとどまらず、経済の新しいエンジンとしての熱視線を浴びているのです。

グリーン水素トライアル取引(東京商品取引所)

東京都が2024年11月に発表したグリーン水素のトライアル取引は、日本のエネルギー市場における新たな試みとして注目されています。この動きは、単なる取引市場の設立にとどまらず、地方自治体レベルでのグリーン水素の普及促進と脱炭素社会の実現に向けた重要なステップといえるでしょう。

グリーン水素は再生可能エネルギーで生産される水素ですが、その供給と需要のバランスをどう取るかが大きな課題です。本取り組みは、供給者が提供する水素の価格や供給量を基に、最も高い価格を提示した購入者と供給者が取引を結ぶというシンプルでありながらも、非常に重要なシステムを試験的に機能させています。

あくまで実証的な位置付けのため、今回の試験取引においては価格差を東京都が全額補助するとしながらも、将来的にはダブルオークションを機能させることで、1対1の相対取引よりも柔軟で活発な水素取引へとつなげる狙いがあるようです。

また、東京都では都産のグリーン水素を原材料とした化粧品や肥料など、様々な産業での利用を促進する取り組みも加速させており、2025年度の予算にもこれらに関連する項目が盛り込まれる予定になっています。

東京という日本の中心において、水素の製造を支援するという第一歩的な実証から、再生可能エネルギーを使って製造された水素をマーケットで取引し、化学製品や農業関連産業にまで利用するというアイデアにまでフェーズが進んでいるということは特筆すべき事柄です。今後は東京だけでなく、他の地域でもグリーン水素を使用した水素社会の実現が検討されていくはずです。

グリーン水素の課題・デメリットとは?

出典:Unsplash

グリーン水素の普及に向けて各国でさまざまな取り組みが進められていますが、その過程で直面している課題は少なくありません。特に、製造コストやエネルギー損失、さらには一般社会での認知度など、越えなければならないハードルが存在します。順番に解説します。

製造コストが高い

グリーン水素は、再生可能エネルギーを使って水を電気分解する方法で生産されますが、エネルギーを大量に使用するため、製造コストが高いという課題があります。特に電解槽の設置費用や運用時に必要となる電気代が悩みのタネとなっています。これは、他の種類の水素と比べても、かなり高額な製造コストです。

国際エネルギー機関(IEA)の報告書によると、現在のグリーン水素の製造コストは1キログラムあたり3〜12ドルとされており、ブルー水素やグレー水素のコスト(1〜3ドル程度)よりも高いことがわかります。技術革新や再生可能エネルギーの発電コスト低下によって、2030年までに1.3〜3.5ドルまで削減できる可能性があるとされていますが、現状では依然として経済的負担が大きい状態です。

また、グリーン水素の生産が一部の地域に集中していることも、一つの矛盾点となっています。グリーン水素は理論的にはエネルギー安全保障に資するエネルギー源であり、地理的な制約を受けにくいはずです。しかし、現実には、世界全体のグリーン水素生産の約75%が中国、欧州、米国に偏っています。この偏在は、コストやインフラ整備、政策支援の有無などが影響しており、グリーン水素の持つ潜在力が最大限に発揮されていない要因だといえます。

エネルギー損失が高い

グリーン水素を生産する水電解技術は、エネルギーの観点からも課題があります。グリーン水素の生産方法は、再生可能エネルギーを使って水を電気分解する技術ですが、これには2回のエネルギー変換(電気→化学エネルギー)が必要であり、現時点では、そのエネルギー効率は25〜30%程度と推定されていることから、効率性の悪さが指摘されています

また、グリーン水素の貯蔵や輸送にも追加のエネルギーが必要です。例えば、電力需要が高まる時期に備えて水素を事前に製造し、貯蔵しておくにはさらに多くのエネルギーを消費します。こうした効率面での課題は、再生可能エネルギーが十分に普及していない地域で特に顕著です。

したがって、現状のグリーン水素にはエネルギー供給と需要のバランスの維持が必要不可欠であり、貯蔵方法の効率化や輸送インフラの整備が求められます。これらの技術的課題を解決することが、グリーン水素の本格的な普及に向けた重要な鍵となるでしょう。

認知度が低い

グリーン水素は、まだ一般的な認知度が低いのが現状です。特に、私たちの生活に身近なエネルギー源として広く認知されているわけではなく、多くの人々にとっては「水素=危険」といったイメージが先行しているかもしれません。こうした認識が障壁となり、普及を妨げている側面もあります。

水素社会の実現には、製造・供給インフラの整備に加え、一般市民への啓発活動が不可欠です。例えば、グリーン水素がCO₂を排出しないクリーンなエネルギーであることや、その長期的な経済的利点を理解してもらうことで、企業や自治体が進める取り組みへの支持が高まる可能性があります。

したがって、国や企業がグリーン水素の利点や可能性を積極的に発信し、教育活動を通じて国民の理解を深めることが求められます。認知度の向上は、グリーン水素の普及と水素社会実現への第一歩となるのです。

グリーン水素を活用している企業事例

グリーン水素が注目を集める中、実際にその可能性を形にする企業が増えています。ここでは、グリーン水素の活用に積極的な企業の事例をいくつかご紹介し、最前線で展開されている取り組みを深掘りしていきます。

パナソニック

出典:パナソニック ホールディングス株式会社「純水素型燃料電池・太陽電池・蓄電池による
3電池連携制御 水素を活用するエネルギーソリューション「Panasonic HX」始動」

パナソニックでは、脱炭素社会の実現に向けた革新的な取り組みとして、イギリス西部カーディフの電子レンジ製造工場でグリーン水素を活用した発電設備を導入しています。このプロジェクトは、工場のエネルギーを100%再生可能エネルギーで賄うことを目指すものであり、グリーン水素を用いた純水素型燃料電池による発電施設としては世界初の事例です。

この設備では、燃料電池21台、リチウム蓄電池2台、そして既設の太陽光パネルを組み合わせてエネルギーを供給しています。地元ウェールズで生成されたグリーン水素を使用し、年間約1ギガワット時の電力を安定的に供給することを可能にしています。さらに、発電時に生じる廃熱を工場の暖房や温水として再利用することで、エネルギー効率を最大化しています。

このプロジェクトは、同社が推進する「RE100ソリューション」の一環であり、太陽光パネルと蓄電池、純水素型燃料電池を組み合わせた「3電池連携」という技術が用いられています。この仕組みにより、天候や時間帯による電力供給の変動を克服し、安定的なエネルギー供給が可能となっています。また、災害時の停電にも対応できる利点があり、持続可能なエネルギー供給モデルとして注目されています。

2025年3月には、同様の発電設備をドイツの工場にも導入する計画が進行中です。同社の社長を務める品田氏は、この実証で得られるエネルギー管理データを蓄積・分析し、各地域の気候やエネルギー需要に合わせた最適な管理方法を提供していく意向を述べており、今後は欧州市場における事業化も視野に入ってくるはずです。

同社はこの技術を「Panasonic HX」というブランド名で展開し、2030年代には水素関連事業で1000億円規模の売上を目指していることからも、この取り組みは欧州をはじめとする世界各地のエネルギー安全保障や脱炭素化の試金石となるでしょう。

北海道電力・出光興産・ENEOS

出典:日経クロステック「出光・ENEOS・北電の3社が北海道で年間1万トンのグリーン水素
生産へ、国内最大級」

北海道電力、出光興産、ENEOSの3社が手を組み、北海道苫小牧西部エリアでグリーン水素を基盤としたサプライチェーンの構築を目指す壮大なプロジェクトを進めています。このプロジェクトにおいては国内最大規模となる水電解プラントの建設が計画されており、2030年頃には年間1万トンものグリーン水素を製造するという野心的な目標が掲げられています。この水素は新設されるパイプラインを通じ、苫小牧の工業地帯へと供給される予定で、地域に新たなエネルギー基盤を築く一大挑戦です。

各社がそれぞれの強みを活かしながら役割を分担しており、北海道電力は再エネ電力調達や水電解プラントの建設・運用を、出光興産は水素を利用した合成燃料の製造、ENEOSは事業性評価や水電解プラントの設計、水素販売を担う予定となっています。

このプロジェクトが苫小牧で展開される背景には、北海道という地域特性があります。風力や太陽光などの再生可能エネルギー資源に恵まれながらも、需要が限られているため、発電量と消費量のバランスに課題を抱えているのです。したがって、再生可能エネルギーで発電された余剰電力を活用し、水を電気分解して水素を作り出すという仕組みは、ただのエネルギー源としてだけではなく、地域全体のエネルギー需給を調整するバランサーとしても機能します。

また、水素を使った合成燃料の可能性にも注目が集まっています。この燃料は、自動車や飛行機、船舶といった幅広い分野で利用できるだけでなく、既存のエンジンやインフラをそのまま活用できるという利点があります。例えば、船舶の燃料として使用すれば、現在課題となっている海運業界の二酸化炭素排出量削減にも貢献することも可能です。

北海道電力では22年から、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の調査事業としてグリーン水素の供給網について研究しており、苫小牧西港周辺の企業では年間約7万トンの水素需要が見込まれるとしています。こうした点からも、地元で製造された水素を地元で消費する、まさに“地産地消”の形でエネルギーを循環させる仕組みは、地域経済を活性化させる鍵となるでしょう。

まとめ

グリーン水素は、脱炭素社会の実現に向けた革新的なエネルギー技術です。その製造プロセスや利用可能性は、環境負荷を軽減しながら持続可能な発展を支える要となります。再生可能エネルギーの普及と共に、グリーン水素の利用は今後さらに拡大していくでしょう。

私たち一人ひとりが正しい知識を持ち、この新たなエネルギーの可能性を理解することが、未来の地球を守る第一歩となります。サステナブルな社会を目指す上で、ぜひ「グリーン水素」というキーワードを頭に入れておきましょう!

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ブロックチェーン×アルコール!?転売対策や品質管理、コレクションなどで進化が進む酒類業界の導入事例を紹介!

近年、酒類業界ではブロックチェーン技術が注目されています。アルコールの転売対策や品質管理、サプライチェーンの管理など、さまざまな領域でその導入が進んでいます。特に高額なヴィンテージもののアルコールやコレクション需要の増加に伴い、ブロックチェーン技術がどのように活用されているのか、具体的な事例とともに紹介します。

ブロックチェーンとは?

出典:shutterstock

そもそもブロックチェーンとはどういう技術なのでしょうか?ブロックチェーンは2008年にサトシ・ナカモトと呼ばれる謎の人物によって提唱された暗号資産「ビットコイン」の中核技術として誕生しました。ブロックチェーンは知らずとも、ビットコインの名前はほとんどの方が一度は聞いたことがあると思います。

ブロックチェーンの定義には様々なものがありますが、噛み砕いていうと「取引データを暗号技術によってブロックという単位でまとめ、それらを1本の鎖のようにつなげることで正確な取引履歴を維持しようとする技術のこと」です。取引データを集積・保管し、必要に応じて取り出せるようなシステムのことを一般に「データベース」といいますが、ブロックチェーンはそんなデータベースの一種でありながら、特にデータ管理手法に関する新しい形式やルールをもった技術となっています。

ブロックチェーンにおけるデータの保存・管理方法は、従来のデータベースとは大きく異なります。これまでの中央集権的なデータベースでは、全てのデータが中央のサーバーに保存される(クライアントサーバ型)構造を持っていました。したがって、サーバー障害や通信障害によるサービス停止に弱く、ハッキングにあった場合に、大量のデータ流出やデータの整合性がとれなくなる可能性があります。

これに対し、ブロックチェーンは各ノード(ネットワークに参加するデバイスやコンピュータ)がデータのコピーを持ち、分散して保存(P2P型)します。そのため、サーバー障害が起こりにくく、通信障害が発生したとしても正常に稼働しているノードだけでトランザクション(取引)が進むので、システム全体が停止することがありません。また、データを管理している特定の機関が存在せず、権限が一箇所に集中していないので、ハッキングする場合には分散されたすべてのノードのデータにアクセスしなければいけません。そのため、外部からのハッキングに強いシステムといえます。

さらにブロックチェーンでは分散管理の他にも、ハッシュ値ナンスといった要素によっても高いセキュリティ性能を実現しています。

ハッシュ値は、ハッシュ関数というアルゴリズムによって元のデータから求められる、一方向にしか変換できない不規則な文字列です。あるデータを何度ハッシュ化しても同じハッシュ値しか得られず、少しでもデータが変われば、それまでにあった値とは異なるハッシュ値が生成されるようになっています。

新しいブロックを生成する際には必ず前のブロックのハッシュ値が記録されるため、誰かが改ざんを試みてハッシュ値が変わると、それ以降のブロックのハッシュ値も再計算して辻褄を合わせる必要があります。その再計算の最中も新しいブロックはどんどん追加されていくため、データを書き換えたり削除するのには、強力なマシンパワーやそれを支える電力が必要となり、現実的にはとても難しい仕組みとなっています

また、ナンスは「number used once」の略で、特定のハッシュ値を生成するために使われる使い捨ての数値です。ブロックチェーンでは使い捨ての32ビットのナンス値に応じて、後続するブロックで使用するハッシュ値が変化します。コンピュータを使ってハッシュ関数にランダムなナンスを代入する計算を繰り返し、ある特定の条件を満たす正しいナンスを見つけ出す行為を「マイニング」といい、最初にマイニングを成功させた人に新しいブロックを追加する権利が与えられます。

ブロックチェーンではマイニングなどを通じてノード間で取引情報をチェックして承認するメカニズム(コンセンサスアルゴリズム)を持つことで、データベースのような管理者を介在せずに、データが共有できる仕組みを構築しています。参加者の立場がフラット(=非中央集権型)であるため、ブロックチェーンは別名「分散型台帳」とも呼ばれています。

こうしたブロックチェーンの「非中央集権性」によって、データの不正な書き換えや災害によるサーバーダウンなどに対する耐性が高く、安価なシステム利用コストやビザンチン耐性(欠陥のあるコンピュータがネットワーク上に一定数存在していてもシステム全体が正常に動き続ける)といったメリットが実現しています。データの安全性や安価なコストは、様々な分野でブロックチェーンが注目・活用されている理由だといえるでしょう。

詳しくは以下の記事でも解説しています。

酒類業界においてブロックチェーンが求められる背景

酒類業界においてブロックチェーンが求められる背景には、以下のような業界の課題や特性が関係しています。

  • 偽造品対策
  • サプライチェーン管理
  • コレクション要素
  • キャッシュフローの安定

順番に解説します。

偽造品対策

出典:Pexel

入手困難なアルコールやヴィンテージもののアルコールは、市場価値が高く、購入価格の何倍もの高値で転売されるケースが増えています。特に日本酒やワイン、ウイスキーなど、限定品や希少性の高い商品は、転売市場で取引されることが多く、その結果、正規の流通ルートから外れた製品に対して品質や信頼性の保証がなくなってしまいます。転売市場で販売される商品は、開封済みであったり、品質に問題があったりするケースがあり、消費者にとって大きなリスクを抱えることになります。

特に日本酒は、海外からの人気が高いため、転売が横行しやすい市場です。フリマサイトやオークションサイトでは、個人が簡単に商品を出品できることから、悪意を持った人間による偽造品の流通も問題になっています。これらのサイトでは、匿名配送が一般的であり、購入後に偽物だと判明しても、返品や返金が困難な場合が多いため、消費者が被る損失は甚大です。

ブロックチェーン技術を活用することで、各製品の流通経路や製造履歴を確実に記録し、消費者に対して本物であることを証明する手段を提供できます。これにより、偽造品や不正な転売のリスクを大幅に減少させることが可能になります。

サプライチェーン管理

出典:ぱくたそ

酒類の製造・販売を行う企業の中には、長年にわたる歴史を持つ大企業が多く、社会的責任として「責任ある調達」や「持続可能な調達」に積極的に取り組んでいる企業も増えてきました。しかし、これらの企業が抱える大きな課題は、サプライチェーンの透明性の確保とデータ収集の自動化です。

酒類業界では、サプライチェーン全体のCO2排出量の公表を行う企業もありますが、人手に頼ったデータ収集やデータ改ざんのリスクが問題となっています。さらに、透明性を欠いた「グリーンウォッシュ」などが指摘されるケースもあります。こうした問題に対して、ブロックチェーンは効果的に機能します。ブロックチェーンを導入することで、サプライチェーン全体のデータが改ざん不可能な形で記録され、透明性の高い管理が実現します。

また、フードロス削減の観点からも、酒類業界は注目されています。例えば、品質に問題はないものの、規格外となってしまっている果物などが果実酒などに有効活用されることで、無駄を減らすことができます。ブロックチェーンにより、どの果物がどの製品に使用され、どれだけの量が廃棄されることなく利用されたのかを消費者が確認できるようになれば、エシカル消費を促進することができ、業界全体の信頼向上にもつながります。

コレクション要素

出典:Unsplash

なぜアルコールが高額で取引されるのか、その理由のひとつは資産価値の高さです。ウイスキーやワインなど、長期間にわたって熟成させる必要があるアルコールは希少性が高くなります。特にウイスキーの場合、樽で熟成させるため、製造期間が非常に長く、数量が限られているため、コレクションとしての価値が生まれやすいのです。

しかし、高価なお酒であっても視覚的な楽しさを提供しにくいため、コレクションとしては他のアイテム(絵画やスニーカーなど)に比べて視覚的な魅力は劣る面があります。ここでブロックチェーン、特にNFT(非代替性トークン)の技術が重要になります。NFTは、デジタルアイテムとしてユニーク性を証明することができるため、物理的なアルコールとデジタル資産を結びつけることが可能になります。

NFTには、デザイン性が優れているものが多いため、アルコールが持つ本来の「味わう」という価値に加えて、所有感や希少価値を視覚的にも感じられるようにします。デジタルプラットフォーム上でNFTを二次流通できるようになれば、コレクションとしての価値はさらに高まることでしょう。

キャッシュフローの安定

出典:ぱくたそ

ブロックチェーン技術がもたらす最も大きな利点のひとつは、キャッシュフローの安定化です。特に酒類業界では、製造から販売までに時間がかかり、キャッシュフローの管理が難しいという問題があります。日本酒などの熟成酒は、数年単位で熟成させる必要があり、その間にかかる費用や資金繰りが問題となります。

ここでもNFTが登場します。NFTを活用することで、まだ未完成のお酒を先行して販売しながら、購入者はただ待つだけではなく、デザイン性に優れたNFTを楽しむことも可能になります。酒造側は販売によって得られた資金によって事業のキャッシュフローを改善し、資金繰りの安定化を図ることができます。

さらに、購入権が紐づいたNFTは、マーケット上でユーザー主体での二次流通もできるため、販売先の確保がしやすくなります。これにより、過剰在庫を防ぎ、効率的な経営を実現できるのです。

このようにNFTを使用した販売は、一般的により高い市場価値を生む可能性があるため、酒蔵にとっては資金調達の新たな手段として非常に有用です。従来の販売方法では難しかった新たなプロジェクトや熟成酒の開発に対して、NFTを活用することで新しい価値を見いだし、酒蔵の存続や成長を支える力となるでしょう。

酒類業界におけるブロックチェーン導入の課題

出典:ぱくたそ

酒類業界におけるブロックチェーン導入には、期待される利点が多い一方で、

  • 法規制の複雑さ
  • 既存システムとの互換性
  • 初期投資と運用コスト

といった課題があります。これらの課題を解決しないまま導入を進めると、期待通りの効果が得られなかったり、業界全体の信頼性が損なわれたりするリスクがあります。順番に紹介します。

法規制の複雑さ

酒類業界は国ごとに異なる法規制を受けており、これがブロックチェーンの導入における大きな障壁となります。例えば、酒類の取引においては輸出入規制、販売許可証、税務処理などが複雑に絡み合っており、ブロックチェーン技術がこれらの規制とどのように整合性を取るかが不明瞭です。特に、酒類の追跡や透明性を確保するためにデータをブロックチェーンに記録した場合、そのデータの法的効力や証拠能力が疑問視される可能性もあります。

この課題を放置すると、導入したブロックチェーンシステムが法的に有効と認められず、業界の関係者が不安を抱きながら導入を進めることになり、結果的に技術の普及が妨げられます。さらに、法規制に違反した場合には、業界全体の信頼性や企業のブランドに対する深刻な影響が生じる可能性もあるでしょう。

既存システムとの互換性

酒類業界では多くの企業が既存の取引システムや物流管理システムを使用しており、これらとの互換性の問題が導入の大きなハードルとなります。ブロックチェーンは分散型であるため、従来の中央集権型システムと連携するためには、システムの大規模な改修や新たなインフラ整備が求められることがあります。特に、酒類の取引には多くの関係者(製造業者、流通業者、販売業者など)が絡んでおり、各者が異なるシステムを使用しているため、データの連携や交換が難しくなります。

この課題は、情報の一元管理の難しさやデータ重複の発生しやすさの観点で、非常に重要な課題です。最悪の場合、ブロックチェーンの透明性や信頼性を損ない、導入目的である追跡システムが機能しなくなる恐れもあるでしょう。

初期投資と運用コスト

ブロックチェーンの導入には初期投資が大きく、さらに運用にかかるコストも無視できません。特に、酒類業界のような多様な業者が関わる業界では、すべての関係者に対して統一されたシステムを導入するためのコスト負担が企業にとって大きな負担となります。新しい技術に対する理解不足や既存のプロセスとの調整も含め、導入までにかかる時間とリソースも問題となります。

もしこれらのコストが適切に管理されないままで導入が進めば、企業が経済的に破綻するリスクを抱えることになります。また、長期的に見てもコスト削減を実現できなければ、技術導入の目的が果たせず、業界全体の信頼が損なわれることにつながります。

酒類業界におけるブロックチェーン導入のポイント

出典:ぱくたそ

酒類業界におけるブロックチェーン導入には多くの課題があるものの、それを克服するための具体的な方法も存在します。適切なパートナーシップや段階的な導入戦略を取り入れることで、法規制への対応やシステムの互換性の問題を解消し、初期投資や運用コストを抑えることが可能です。本章では、これらの課題を乗り越えるためのポイントを紹介します。

法規制に対応するための専門知識とパートナーシップの活用

ブロックチェーン技術の導入において法規制をクリアするためには、専門的な知識が求められます。複雑な規制を理解し、遵守するためには、法務や規制対応の経験豊富なパートナーと連携することが重要です。特に、業界内で規制の専門家がいるコンサルタント企業や、法務に強いブロックチェーン開発会社と提携することで、法的リスクを軽減し、スムーズな導入を実現できます。

既存システムとの互換性を確保するための段階的導入

既存システムとの互換性の問題を解決するためには、フルスクラッチで開発を進めるのではなく、既にパッケージ化されたブロックチェーンソリューションを採用するのが有効です。これにより、開発の負担を軽減でき、既存システムとの統合が容易になります。さらに、大企業との取引実績が豊富なブロックチェーン開発企業やコンサルティング業務を提供する企業を仲介者として起用し、社内調整やプロジェクト管理を効率化することが、円滑な導入の鍵です。

初期投資と運用コストを抑えるためのアウトソーシング活用

初期投資と運用コストを削減するためには、内部開発の負担を軽減し、既存のブロックチェーン技術を提供する外部企業にアウトソーシングすることが有効です。すでに確立された技術基盤を活用することで、開発コストを大幅に抑えることが可能になります。また、運用コストについても、定期的なメンテナンス契約や、システムの安定性向上を支援するパートナーとの契約を締結することで、長期的な運用負担を減らすことができます。

実際の導入事例

ここからは、酒類業界における実際のブロックチェーン導入事例をご紹介します。

事例①:開封検知と正規品証明を導入した「獺祭」(旭酒造)

出典:PR TIMES

旭酒造株式会社は、最高峰の日本酒「獺祭 Beyond the Beyond 2024」に、世界初となるチタン素材対応の開封検知機能付きNFCタグと、ブロックチェーン技術を融合させた新しいアプローチを採用しています。この技術により、未開封の正規品であることを証明するだけでなく、消費者が開封した瞬間にその情報が記録されます。

酒の新鮮さを保つだけでなく、消費者が製品の品質や真贋を確認できる仕組みとしてNFCタグを利用することで、商品の履歴や製造者から消費者に至るまでのトレーサビリティを実現しました。この取り組みは、消費者にとっては透明性と信頼感を提供し、ブランドとのエモーショナルなつながりを強化するものです。また、ブロックチェーンを活用することで、不正の防止や偽造品の流通を防ぐとともに、製品に関する詳細な情報を消費者に提供することで、購買体験をより充実させています。

同社のこの取り組みは、ブランドの価値を高め、顧客のロイヤリティを向上させる新たな戦略として大きな関心を集めており、製品の信頼性と消費者の安心感の確保にブロックチェーンの有効性を検証する選考事例といえるでしょう。

事例②:開栓を検知しNFTを付与する瓶ビール(サントリー)

出典:Avalanche公式X

サントリーグループは、アバランチブロックチェーンを活用して、「ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム〈山崎原酒樽熟成〉2024」の特別ボトルにNFCタグを導入し、開栓時にユニークなNFTを消費者に付与する新しい体験を提供しています。この技術により、消費者はビールを楽しんだ証として、デジタルコレクターズアイテムであるNFTを手に入れることができます。NFTはビールの開栓後にその証として自動的に発行され、消費者は自分だけのオリジナルなデジタルアイテムを取得することができます。

単なる商品購入にとどまらず、消費者にとって新しい価値を提供するこの取り組みは、NFTを活用してビールの消費体験をよりプレミアムなものにし、ブランドとの深い関係性を築くことを目的としています。また、アバランチブロックチェーンを使用することで、取引履歴の透明性と信頼性が担保され、ブロックチェーンの技術を積極的に取り入れた新しい販売戦略が形成されています。

同グループは、23年3月にベンチャー子会社であるGoodMeasure社を立ち上げてweb3領域に本格参入しており、NFT以外にもデジタルアイテムを活用した新しい消費体験を提供し、顧客ロイヤリティを向上させる動きを強めています。今後の動向にも注目です。

事例③:サプライチェーンが可視化された「氷結®」(キリンビール)

出典:グルメwatch

キリンビール株式会社は、サプライチェーンの透明性を確保するために、ブロックチェーン技術を駆使した「氷結®mottainaiプロジェクト」を立ち上げました。このプロジェクトは果実のトレーサビリティ提供を目指しており、廃棄予定の果実を活用してその果実がどのようにサプライチェーンを通過して製品として完成するかの情報をすべてブロックチェーン上で記録しています。この仕組みにより、消費者は自分が購入した発泡酒の果実がどの農場から来たのか、どのように処理されて製品化されたのかを確認することができます。

また、通常の氷結シリーズに比べて高い価格設定ではあるものの、1本売り上げるごとに1円を農家に寄付する仕組みも設けられており、消費者は購入を通して果実の生産者を支援することもできます。ブロックチェーンは、こうした情報に透明性を与えることにより、商品の追跡可能性を確保しながら消費者に対してはサステナブルな選択肢を選んでいるという満足感も提供することができます。同社のこの取り組みは、企業のエコ意識を高めるとともに、消費者との信頼関係を深め、サステナブルなブランドとしての認知を拡大しています。

事例④:ブロックチェーン技術によるビール製造・流通の変革(AB InBev)

出典:ブロックチェーン技術によるビール製造・流通の変革

AB InBevは、自社ブランド「Leffe」の大麦サプライチェーンにおいて、ブロックチェーン技術を活用して完全な透明性を実現するためのパイロットプログラムをヨーロッパで開始しました。この取り組みでは、ビールの原材料となる大麦の生産から消費者に至るまで、すべての情報がブロックチェーン上で追跡されます。この技術により、消費者は商品の由来を完全に把握することができ、原材料の品質や流通過程に関する情報を手軽に確認することができます。

サプライチェーンの効率化や品質保証を強化する本プロジェクトは、透明性のある情報提供により、消費者はより安心して製品を選ぶことができ、同時に企業の持続可能な取り組みが評価されることになります。サプライチェーン全体の改善に寄与し、業界全体におけるブロックチェーン技術の普及にも貢献する事例として注目すべき事例です。

事例⑤:クラフトビール産業発展のための広報・支援活動「Crypto Beer Punks」

出典:Crypto Beer Punks

「Crypto Beer Punks」は、クラフトビール業界の発展を目的とした広報活動と支援活動を行うコミュニティです。世界各地のクラフトビールメーカーとのコラボや、人と人とをつなぐ「コミュニケーションツール」としてのビールを発信することによって、新時代の「乾杯」体験を提供しています。

同プロジェクトではビール愛飲家はもちろん、ビールが苦手な参加者でも楽しんでもらえる仕掛けとしてブロックチェーンとNFT技術を活用しています。ファウンダーの漢那氏は本業の若年層向けのプロモーション経験からNFTイラストのクオリティを特に重視しており、参加証明としてのNFTだけではなく、視覚的に楽しめるコレクティブなNFTを提供しています。

不動産やアートなどで活用が進むNFTですが、購入までのハードルが高いこうした分野のNFTとは異なり、ビールという誰もが手に取れる価格帯のNFTは実物の商品とも相性がよく、キャラクターデザインはビール瓶のラベルにも採用されているため、リアルイベントの「乾杯」を楽しむ過程でもNFTが活用されています。

クラフトビールブランドがブロックチェーン技術を活用してデジタルプラットフォーム上の消費者との新しい接点を作り出すことで、消費者との関係をより深く築くことができ、業界全体の発展を促進しているという点で、興味深い事例です。

まとめ

本記事では酒類業界におけるブロックチェーンの導入事例についてまとめました。

アルコールと聞くと飲んで楽しむものというイメージが強いかもしれませんが、最新テクノロジーであるブロックチェーンと結びつくことで、我々、生活者に新たな消費体験を提供しつつあります。記事内でも言及した通り、ブロックチェーンは偽造品対策やサプライチェーン管理など、今後の食品分野で重要になってくるテーマにもコミットしているため、酒類業界以外にも普及が進むことも大いに予想されます。

ここで紹介した事例はごく一部のため、興味のある方はぜひ他の事例も調べてみてください。あなたが普段味わっているお酒の中にも、実はブロックチェーンが使われていた、という可能性もあるかもしれませんね。

トレードログ株式会社では、非金融分野のブロックチェーンに特化したサービスを展開しております。ブロックチェーンシステムの開発・運用だけでなく、上流工程である要件定義や設計フェーズから貴社のニーズに合わせた導入支援をおこなっております。

ブロックチェーン開発で課題をお持ちの企業様やDX化について何から効率化していけば良いのかお悩みの企業様は、ぜひ弊社にご相談ください。貴社に最適なソリューションをご提案いたします。

カーボンフットプリント(CFP)とは?意味や注目される背景、計算方法も紹介します!

「2050年カーボンニュートラル」の実現に向け、企業活動における温室効果ガス、特に二酸化炭素の排出削減が重要な課題となっています。自社の排出量削減だけでなく、調達や輸送、保管などサプライチェーン全体での排出削減が求められる中で、消費者が環境に優しい製品やサービス、いわゆる「グリーン製品」を選べる仕組みを整えることが、企業の競争力を高める鍵となります。このような取り組みを支援する手段として注目されているのが「カーボンフットプリント」です。

本記事では、カーボンフットプリントの基本概念、算定方法、課題について詳しく解説し、今後の展望も紹介します。経営者やサステナビリティ担当者の方々にとって、カーボンフットプリント導入の参考となる情報をお届けしますので、ぜひご覧ください。

カーボンフットプリント=製品単位のCO2排出量の見える化

カーボンフットプリント(Carbon Footprint of Product、CFP)とは、一つの商品やサービスの原材料調達から廃棄・リサイクルに至るまでのライフサイクルの全過程において排出されるCO2の排出量を、商品やサービスに分かりやすく表示する仕組みです。直訳すると「炭素の足跡」という意味で、その製品にかかわる複数の事業者と消費者の双方が、低炭素な消費生活へ自ら変革していく上での指針となっています。

出典:経済産業省「サプライチェーン全体でのカーボンニュートラルに向けたカーボンフット
プリントをめぐる動向」

経済産業省が公表している「サプライチェーン全体でのカーボンニュートラルに向けた カーボンフットプリントを巡る動向」では、紙パック牛乳におけるカーボンフットプリントの例が示されており、乳牛の飼育・紙パック生産の「原材料調達」、牛乳製造 ・パッケージングでの「生産」、輸配送 ・冷蔵輸送における「流通・販売」、商品を冷蔵しておく「使用・ 維持管理」、紙パック収集 ・リサイクル処理における「廃棄・ リサイクル」までに排出されるCO2排出量全てがカーボンフットプリントであると紹介されています。

日本におけるカーボンフットプリントの歴史は、2008年の経済産業省によるCFP制度の検討から始まり、試⾏事業を経て、2012年度から⺠間に移⾏して「カーボンフットプリントコミュニケーションプログラム」として運用が開始されました。現在は、「SuMPO環境ラベルプログラム」に運用が移管され、様々な分野でカーボンフットプリントの表示が進められつつあります。

カーボンフットプリントの目的

前述の通り、カーボンフットプリントに対応しようとするとかなり細かな単位で情報を収集しなければなりません。このような手間をかけてまで、多くの企業がカーボンフットプリントを導入する目的は一体何なのでしょうか?

「カーボンフットプリントコミュニケーションプログラム」を運営しているCFPプログラムのウェブサイトによると、以下の2点が主な目的とされています。

  • 事業者がサプライチェーンを構成する企業間で協力して更なるCO2排出量削減を推進すること
  • 消費者がより低炭素な消費生活へ自ら変革していくこと

カーボンフットプリントは、消費者と企業の双方にとって意味のある仕組みです。消費者にとっては、自分が使う商品やサービスがどれだけの温室効果ガスを排出しているのかを知る手がかりになります。この情報があれば、環境負荷の小さい商品を選ぶという行動につなげることができます。

特に、「カーボンフットプリントマーク」が表示されている商品なら、CO2排出量の大小が一目で分かるため、より意識的な選択がしやすくなります。カーボンフットプリントマークとは、対象の商品のライフサイクルで発生するCO2量を数値で表示したマークのことで、第三者機関が、申請者が提出したカーボンフットプリントの算定結果を審査して問題がない場合に取得できるものです。

もちろん、単純に「排出量が少ない=良い」とは限りませんが、環境への配慮を重視する消費者にとっては、カーボンフットプリントそのものが有力な判断基準の一つになることも確かでしょう。

また、企業側もこうした消費者の動きを無視するわけにはいきません。エシカル消費が広がる中で、環境負荷の低い製品やサービスを提供することは、競争力の向上につながります。そのため、カーボンフットプリントを削減する取り組みが企業全体、さらにはサプライチェーン全体に広がる流れが生まれています。単なる企業イメージの向上にとどまらず、排出削減の努力が企業の持続可能な成長にもつながるのです。

消費者と企業の相互作用によって、社会全体でCO2排出の削減が進んでいく。このサイクルを生み出すことこそが、カーボンフットプリントの大きな目的だといえるでしょう。

日本においてカーボンフットプリントが重要視されている背景

出典:Unsplash

我が国において特にカーボンフットプリントが重視されている理由には、次の点が挙げられます。

  • 気候変動対策が喫緊の課題となっている
  • 企業はCO2排出の主体である
  • ESG投資が主流になりつつある
  • 世界ではカーボンフットプリントの義務化が始まっている

それぞれ解説します。

気候変動対策が喫緊の課題となっている

2024年7月、日本の平均気温は観測史上最も高い水準となり、前年の「地球沸騰」と形容された異常気象をさらに上回る記録を更新しました。これで2年連続の過去最高となり、気候変動がもはや遠い未来の課題ではなく、現実の危機として顕在化していることが改めて明らかになっています。熱波や豪雨、台風の大型化など、日本国内でも気候変動の影響が多方面に及び、農業やインフラ、健康リスクといった社会全体に深刻な影響を与えています。

こうした状況の中、日本はパリ協定に基づき、2050年までに温室効果ガス(GHG)の排出を実質ゼロにする目標を掲げています。その達成には、2030年までにカーボンフットプリントに基づくCO2排出量を67%削減し、2050年までには91%の削減が必要だといわれています。

目標を実現するためには、省エネルギー対策や再生可能エネルギーの導入だけでなく、サプライチェーン全体のCO2排出量を正確に把握し、具体的な削減策を講じることはもはや必要不可欠でしょう。この点において、カーボンフットプリントのような定量的かつ客観的な指標が重要視されているのは当然の結果ともいえます。

企業はCO2排出の主体である

温室効果ガスインベントリオフィスのデータによると、日本国内のCO2排出量のうち家庭部門が占める割合はわずか15%程度であり、残りの大部分は企業活動に起因しています。製造業、輸送、エネルギー産業など、多くの業種がサプライチェーン全体で直接的・間接的にCO2を排出しており、消費者の日常生活におけるCO2排出量をはるかに上回ります

例えば、ある製品が市場に流通するまでには、原材料の採掘・精製、部品の製造、組み立て、輸送、販売、使用、廃棄といったさまざまなプロセスがあり、それぞれの段階でCO2が排出されます。企業が自らのカーボンフットプリントを正確に把握することで、どの工程での排出が多いのかを特定し、削減策を講じることが可能になります。

すべての企業が生産活動を停止すればCO2排出量は劇的に減少しますが、それは現実的な解決策ではありません。経済活動と環境保全の両立が求められる中、企業は省エネ技術の導入や再生可能エネルギーの活用、サプライチェーンの最適化といった多様な手法で排出量の削減を進める必要があります。その指標として、カーボンフットプリントの算定が果たす役割は大きいといえるでしょう。

ESG投資が主流になりつつある

近年、企業の財務的な指標だけでなく、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の要素を考慮したESG投資が拡大しています。2015年には26.6兆円だった日本国内のESG投資額は、2023年には537.6兆円に達し、総運用資産の65.3%を占めるまでに成長しました。投資家は企業の長期的な持続可能性を重視し、環境負荷の低減や社会的責任を果たす企業への資金流入が進んでいます。

特に欧州や米国では、企業のカーボンフットプリント開示が投資判断の重要な要素となっており、透明性の高い企業ほど資金調達の面で有利になります。この流れは日本にも波及し、金融機関や機関投資家が企業に対して環境負荷の低減を求める動きを加速させています。

ESG投資の拡大に伴い、企業がカーボンフットプリントを積極的に開示し、削減に取り組むことは、投資家からの評価向上だけでなく、ブランド価値の強化にもつながります。環境配慮型の経営が競争力の源泉となる時代において、カーボンフットプリントは企業戦略の中核を担う存在となっています。

世界ではカーボンフットプリントの義務化が始まっている

世界各国では、カーボンフットプリントの開示義務化が進んでおり、日本企業もこの動きに対応する必要があります。例えば、欧州委員会ではGHG排出削減目標の達成に向け、CO2排出量の多い産業に対して厳格なルールを設け、排出削減を促しています。特にフランスでは、衣料品のカーボンフットプリント表示を義務付け、食品に関しても持続可能な表示を推進する政策を進めています。

ファッションのサステナビリティー動向(フランス)(2)環境規制 | 地域・分析レポート – 海外ビジネス情報 – ジェトロ

さらに、EUのバッテリー規制では、2025年から特定の基準を超えるCO2排出量を持つバッテリーは市場流通が制限されることが決定されており、企業には具体的な削減努力が求められます。アメリカでも、政府が調達する電子製品の95%以上はEPEAT適合品でなければならず、その評価基準にはカーボンフットプリントの算定が含まれています。

電池のライフサイクル全体を規定するバッテリー規則施行(EU) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース

こうした国際的な動向は、日本企業にとって無関係ではありません。海外市場で競争力を維持するためには、製品のカーボンフットプリントを適切に管理し、国際基準に適合させる必要があります。日本政府もこれを受け、企業のCO2排出量開示を推奨する方針を打ち出しており、今後さらに厳格な規制が導入される可能性が高まっています。

こうした背景から、日本においてもカーボンフットプリントの重要性は一層高まりつつあります。環境対策の遅れは、競争力の低下や市場からの信頼喪失につながるため、企業は早急な対応が求められています。

カーボンフットプリントの計算方法

具体的な算定方法については、以下の4つのステップで進めます。

算定方針の検討

出典:経済産業省・環境省「カーボンフットプリント ガイドライン」

最初に、CFP算定の目的と用途を明確にすることが重要です。目的によって、データの精度や算定方法が変わるため、以下のような視点で方針を決定します。

(1) 目的の明確化

  • 企業内での活用(脱炭素戦略・排出削減の基礎データ)
  • 消費者向けの情報提供(環境ラベル、エコ商品の認証取得)
  • 他社製品との比較(競争優位性の確保)
  • サプライチェーンの排出量管理(Scope 3の排出量把握)

特に他社製品と比較する場合は、国際的な算定基準(ISO 14067やカーボンフットプリントガイドラインなど)に沿ったルールを統一しなければなりません。

(2) 参照する算定基準の選定

算定にあたっては、国際的な温室効果ガス排出量の算定・報告の基準として「GHGプロトコル」が広く活用されており、それをISO化した「ISO 14067」もカーボンフットプリント算定の国際ルールとして定められています。これらの基準に則ることで、企業や国を超えた比較が可能になり、CFP算定の透明性や信頼性が向上します。

(3) 使用データの方針

一次データ(直接測定されたデータ)を活用するとより正確な結果が得られますが、実務上は二次データ(既存のデータベースや文献を基に推定したデータ)を用いた計算が一般的です。二次データを用いた方がデータ収集が容易で一次データが取得困難な場合でも活用できるメリットがありますが、企業ごとの排出削減努力が反映されにくいという課題もあります。このため、政府は2024年3月を目途に一次データを活用した算定方法の方針を示し、企業がサプライチェーン全体の排出量をより正確に把握できるよう求めています。

代表的な二次データのデータベースには、PCR(Product Category Rule)や国が整備したライフサイクルアセスメントデータベースを基にした原単位データベースがあります。しかし、これらを利用する場合、原材料メーカーが実施したCO2削減策が最終的なカーボンフットプリントに反映されにくい点には注意が必要です。

算定範囲の設定

出典:経済産業省・環境省「カーボンフットプリント ガイドライン」

ライフサイクルのプロセスを以下のように分類し、どこまで含めるか決定します。

  • 原材料調達(採掘・精製・輸送)
  • 製造(加工・組立・生産工程)
  • 輸送・流通(物流・配送)
  • 使用(消費者による使用時のエネルギー消費)
  • 廃棄・リサイクル(処理・再利用・埋立)

影響が小さい要素を除外できるカットオフ基準を設定できますが、主要な排出源を除外すると算定結果の精度が低下するため注意が必要です。

カーボンフットプリントの算定

カーボンフットプリントの算定方法には、大きく分けて二つのアプローチがあります。一つはGHG排出量を直接測定する方法、もう一つは排出を伴う活動の活動量(マテリアルやエネルギーの投入量)を基に計算する方法です。特に後者では、「活動量」×「排出係数(単位活動量あたりのGHG排出量)」の計算式を用いて排出量を算定します。

出典:経済産業省・環境省「カーボンフットプリント ガイドライン」

この方法には二つの計算パターンがあり、一つ目は活動量に対してGHGの種類ごとに決められた排出係数を乗じ、それらをCO2相当量に換算して合算する方法、二つ目はCO2相当に予め換算された排出係数を活動量に直接掛ける方法です。いずれの方法でも、算定範囲となるライフサイクル全体を分析し、各活動に伴うGHG排出量を合算することでカーボンフットプリントを求めます。

検証・報告

カーボンフットプリントの算定後は、結果の正確性と信頼性を担保するために検証を実施することが重要です。検証には、内部検証と第三者検証の2種類があり、目的に応じて適切な方法を選択します。

  • 内部検証: 社内の品質管理部門や環境管理担当者がデータを精査し、整合性を確認。
  • 第三者検証: 認証機関や専門機関による独立したレビューを受け、透明性と比較可能性を高める。

特に消費者向けの情報開示や他社製品との比較を行う場合は、第三者検証の取得が望ましいですが、コストがかかるため、目的に応じた選択が必要です。

検証後は、結果を算定報告書として取りまとめます。その際には、算定ルールに定められた基準を満たしていることを証明できるよう、透明性を確保し、十分な詳細を記載することが求められます。報告書には、以下の内容を含める必要があります。

  • 算定範囲(ライフサイクルプロセスの詳細)
  • 使用したデータの出所(一次データ・二次データの区別)
  • 排出係数およびカットオフ基準
  • 検証の有無と方法(内部または第三者検証)
  • 今後の削減目標と改善策

ここで紹介したプロセスはあくまで基本的なものに過ぎないため、本格的にカーボンフットプリントに取り組むのであれば、経済産業省・環境省が公表している「カーボンフットプリント ガイドライン」を参考にすると良いでしょう。

カーボンフットプリントが抱える今後の課題

出典:Unsplash

次はカーボンフットプリントの今後の課題となる5つの点について、それぞれ解説していきます。

カーボンフットプリントの算出に明確なルールがない

カーボンフットプリントの算出に関するルールは、確立されたガイドラインが存在するものの、実際の運用には多くの課題が残っています。経済産業省や環境省が発表したガイドラインにより、カーボンフットプリントを算出するための基本的な枠組みは提供されていますが、二次データの使用や算出基準に関しては曖昧さが依然として存在します。

例えば、サプライチェーン全体でのCO2排出量を評価する際、取引先やサプライヤーからのデータが不完全であったり、調達先によって排出量の計算基準が異なる場合が多いです。このような場合、企業は独自に仮定を設けて算出しなければならず、その結果が他の企業のカーボンフットプリントと比較した際に不正確である可能性が高まります。

また、製品カテゴリーや業種別のガイドラインが不足している分野もあり、これにより各業界における標準的な計算方法が欠如している現状があります。特に、新興分野や技術の進展が早い業界においては、規定が遅れがちで、結果として業種間での整合性を欠いたデータが生まれてしまうのです。このような不確実性は、企業間での公正な比較が難しくなるリスクとなるでしょう。

算出に手間がかかる

カーボンフットプリントの算出は、ライフサイクルアセスメント(LCA)という高度な分析手法に基づいています。LCAは製品の全ライフサイクルを通じて環境への影響を評価する手法であり、CO2排出量だけでなく、水資源やエネルギー使用などの多様な指標を考慮するものです。この手法は非常に詳細で精密なプロセスを必要とするため、専門的な知識を持つ人材の確保が不可欠となります。

例えば、各プロセスについて算定対象固有の活動量データが取得できない場合、全体の活動データを取得した上で、重量や個数等に応じて製品一つあたりの相当分として割り振る考え方である「配分」という選択をしますが、この計算は複雑になることも多く、自社製品と算定プロセス双方の理解が求められます。

出典:経済産業省・環境省「カーボンフットプリント ガイドライン」

しかし、LCAを適切に実施できる人材はまだ少なく、そのため専門知識を有するスタッフの確保やトレーニングにも多大なコストがかかるため、スムーズにカーボンフットプリントの算定ができている企業はあまり多くないのが現状です。

また、サプライチェーンのデータ収集に関しても課題があります。取引先から必要なデータを取得するためには、相手方が持つデータの精度や更新頻度に依存するため、データが整備されていない場合、その収集作業は困難であり、場合によってはサプライヤーとの信頼関係が求められます。中小企業においては、大企業と比較してリソースが限られており、これらの課題に取り組むために必要なリソースを投入することが困難な状況にあります。こうした要因が重なり、カーボンフットプリントを正確に算定するには相当な時間と労力が必要となるため、企業にとっては大きな負担となっています。

算出結果を開示することにより他社と比較される可能性がある

カーボンフットプリントの算出結果を開示することにはリスクも伴います。企業が自社のカーボンフットプリントを公表することで、競争相手と比較されることになりますが、原材料の調達先や流通経路といった詳細なサプライチェーン情報が関わる場合、その公開が企業の競争力に直結することがあります。製品に使用する材料や生産方法が明らかになれば、競合他社が同様の方法を採用することが容易になり、ビジネス上の優位性が失われる恐れがあるからです。

加えて、環境負荷を低減するための努力が一部の企業にとってはネガティブに評価される場合もあります。例えば、他社の方が低炭素製品を提供している場合、自社のカーボンフットプリントが高いことで、企業の社会的評価が低下し、顧客や投資家からの信頼が失われるリスクが生じます。このような観点から、環境のための活動で一種の競争が生まれたり、その結果が自社の評判につながることをネガティブに捉える経営者も一定数いることは確かでしょう。

出典:経済産業省・環境省「カーボンフットプリント ガイドライン」

また、カーボンフットプリントの利活用シーンが広がる中で、この報告結果が意図せずに他社の製品との比較に使用されてしまう可能性が高くなっています。特に問題なのが、ステークホルダーに報告するために算定・開⽰したものが、意図せずに他社製品との⽐較に用いられてしまうケースです。基礎要件と⽐較を想定したカーボンフットプリントついては、それぞれ異なる算定ルールで算定されているため、公平に比較を行うことが難しく、誤解を招く恐れがあります。

カーボンフットプリントを算出するだけではCO2は削減できない

カーボンフットプリントの算出は、CO2排出量を「可視化」することが目的であり、それ自体が排出量削減に直結するわけではありません。企業は自社の製品やサービスのCO2排出量を明確に把握することができますが、その数値を減らすためには実際に改善策を実行しなければなりません。

そのためにはまず、製品のライフサイクル全体を通じて、どの工程でCO2排出量を削減できるかを検討することが求められます。例えば、生産過程でのエネルギー効率の改善や、輸送方法の見直し、リサイクル可能な素材の使用などが具体的な削減策として挙げられます。しかし、ここで問題となるのは、企業が実際に排出量を削減するための行動を起こすには、より一層の投資が必要となる点です。

したがって、「カーボンフットプリントの導入」が目的となってしまっていることも多く、その後の排出削減に向けた具体的な施策を伴わない限り、脱炭素社会の実現にはつながらないという点が大きな課題となっているのです。

正確性・客観性の確保が不可欠

カーボンフットプリントの算定において、正確性と客観性を確保することは非常に重要です。企業が独自に算定基準を設定すると、その前提条件や算定方法にばらつきが生じ、製品間で公平な比較が難しくなります。これにより、消費者やステークホルダーが製品の環境影響を比較する際、信頼性の低いデータを基に判断することになりかねません。この問題を解決するためには、業界団体や第三者機関が中心となって、算定基準や検証手順を標準化する必要があります

しかし、現在はカーボンフットプリントを検証するための第三者機関の数が不足しているため、企業が提供するデータの正当性を確認するための検証作業が滞りがちです。これにより、検証結果に対する信頼性が低下し、企業の情報が市場で正しく評価されないリスクが生じます。このような状況を改善するためには、より多くの検証機関を育成し、検証基準を厳格に設けることが求められます。

また、企業側にも不正を防止するための取り組みが見られます。その解決策の一つが、ブロックチェーン技術です。ブロックチェーンは、データの改ざんを防ぎ、透明性を確保するため、カーボンフットプリントの算定結果に対する信頼性を高める手段として有効です。現在、同技術はカーボンフットプリントのみならず、デジタルプロダクトパスポート(DPP)やカーボンクレジットなど様々な法規制対応のシーンにおいてビジネス導入が加速しています。

ブロックチェーンについては以下の記事でも解説しています。

日本のカーボンフットプリント義務化を巡る今後の動向

出典:Unsplash

日本におけるカーボンフットプリントの義務化は、国内外の市場環境や政策の変化を受けて着実に進んでいます。特に、サプライチェーン全体のCO2排出量の可視化が求められる流れは、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)や国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)の開示基準を背景に強まり、製品ごとのライフサイクル排出量を明確にすることが企業活動の透明性を左右する要素になりつつあるでしょう。

日本では、温室効果ガス(GHG)排出量の約10~20%を占める中小企業の脱炭素対応が遅れている状況がありますが、大企業を中心にカーボンフットプリントの開示が求められる圧力が強まっており、特に「Scope1」と「Scope2」の排出量(それぞれ、スコープ1は企業が直接排出する温室効果ガス、スコープ2は企業が使用する電力などの間接的な排出)についての情報開示が進んでいます

さらに、サプライチェーン全体の排出量を含む「Scope3」の開示も、より広範囲に議論されつつあり、これらの排出量を管理し開示することは、取引先企業に対しても強い影響を与える要素となります。その結果、義務化が制度として定められる前から、企業は自主的なカーボンフットプリントの算定に取り組む必要があるといえるでしょう。

また、政府の調達方針においても環境配慮型製品の選定が進んでおり、カーボンフットプリントの開示が公的機関や国際市場での競争力を左右する要因となっています。この動きは、国内市場にとどまらず、海外市場における「グリーン製品」志向の高まりとも連動しており、日本企業が国際競争力を維持するためには、義務化に先駆けた取り組みが不可欠です。しかし、カーボンフットプリントの算定には、サプライチェーン全体の協力が不可欠であり、その複雑さゆえに企業単独での対応は容易ではありません。

そのため、義務化が制度として明確になる前に、企業は独自のカーボンフットプリント管理体制を整え、サプライチェーン全体での協力体制を築くことが重要です。特に、環境対応が遅れた企業は市場競争において不利な立場に置かれるリスクがあり、規制が導入された後に慌てて対応するのではなく、今のうちから積極的に取り組むことが求められます。カーボンフットプリントの義務化は、そう遠くない未来に現実のものとなるでしょう。むしろ、先行して対応することが企業の競争力を高める戦略的な選択肢になっていくはずです。

まとめ

カーボンフットプリントは、企業活動の中での温室効果ガス排出量を可視化し、削減の方向性を示す重要なツールです。サプライチェーン全体での排出削減は、単に環境負荷を減らすだけでなく、企業の競争力強化にも寄与します。消費者がより低炭素な選択をするためには、企業が透明性を持って排出量を開示し、努力を続けることが求められます。

カーボンフットプリントの導入は、ESG投資家の関心を引き、持続可能な経営を支える要素となり得ます。今後、日本国内外でさらに厳格な規制や義務化が進む中、企業は早期に適切な対応を進めることが、社会的責任を果たすだけでなく、長期的な成長を支える鍵となるでしょう。

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脱炭素とは?地球温暖化を止めるための取り組みを徹底解説

企業と環境問題について調べていると目に触れる機会の多い脱炭素。なぜ今脱炭素が求められているのか、どのような取り組みがあるのか分からず困っている方も少なくないのではないでしょうか。この記事では、脱炭素の定義や目的、具体的な取り組み、さらには「カーボンニュートラル」や「ネットゼロ」との違いについてわかりやすく解説します。

「脱炭素」とはどういう意味?

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脱炭素=二酸化炭素の排出をゼロにする取り組み

「脱炭素」とは、地球温暖化の主な原因である温室効果ガス(GHG)、特に二酸化炭素の排出を削減し、最終的に実質ゼロにすることを目指す取り組みです。この目標を達成した社会は「脱炭素社会」と呼ばれます。

この定義を聞くと、「実質ではなく、完全にゼロにした方が良いのでは?」という方もいるかも知れませんが、現実には二酸化炭素は日常生活や経済活動の中で幅広く排出されるため、排出を地球上から完全になくすことは非常に難しいのです。そこで、削減努力を進めると同時に、森林による吸収や技術を活用した回収・貯蔵によって排出と吸収のバランスを取り、温室効果ガスの総量を実質ゼロにするという考え方が採られています。

地球温暖化の深刻化を受け、世界各国で脱炭素に向けた取り組みが加速しており、日本を含む多くの国が2050年までに脱炭素社会を実現することを宣言しています。

脱炭素とカーボンニュートラルとの違い

脱炭素とよく似た言葉に「カーボンニュートラル」があります。違いを簡潔にまとめると、脱炭素とカーボンニュートラルは「対象となるガスの種類」が異なります。

脱炭素は上述の通り、二酸化炭素の排出量ゼロを目指すことですが、カーボンニュートラルは二酸化炭素だけでなくメタンやフロンガス、一酸化二窒素などを含めた温室効果ガスを対象に、排出量の削減・吸収作用によって実質ゼロを目指すものです。温室効果ガスはガスの種類によってその特性や発生源が異なり、排出量の削減に向けそれぞれに準じた対応が必要になるため、カーボンニュートラルの方がより広義のニュアンスを含んだ概念だといえます。

厳密には上記のような違いがあるとされていますが、現状では脱炭素とカーボンニュートラルは同じ意味で使われることが多いため、特に両者の違いを意識する必要はないでしょう。

脱炭素とネットゼロとの違い

もう一つ、脱炭素やカーボンニュートラルと混同される概念に「ネットゼロ(Net Zero)」があります。ネットゼロとは、排出量削減と炭素吸収のバランスを取り、実質的な温室効果ガス排出量を正味(=net)ゼロにする取り組みを総称します。

「正味」と「実質的」がほとんど似たような意味を持つため、カーボンニュートラルとネットゼロは結果的に同じ物事を示すといえます。実際に、資源エネルギー庁のカーボンニュートラルの定義では、「排出を完全にゼロに抑えることは現実的に難しいため、排出せざるを得なかったぶんについては同じ量を「吸収」または「除去」することで、差し引きゼロ、正味ゼロ(ネットゼロ)を目指しましょう、ということ」と、ネットゼロのワードを用いてカーボンニュートラルを定義しています。

したがって、脱炭素とネットゼロについても特段、意識して使い分ける必要はないでしょう。

なぜ脱炭素は注目されている?

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「脱炭素経営」に乗り出すほど、個人・法人を問わず注目を浴びている脱炭素の概念ですが、なぜ今世界では脱炭素社会化の取り組みが推進されているのでしょうか。実は、脱炭素がこれほどまでに重要視されているのは、自然環境だけでなく私たちの生活環境に甚大な影響を与えていることが関係しています。ここからは脱炭素社会を実現する目的について解説します。

地球温暖化の防止

産業革命以降、化石燃料の大量消費により二酸化炭素を中心とした温室効果ガスの排出量が急激に増加し、地球の平均気温は着実に上昇しています。この変化はただ単に「気温が少し上がる」という話では済まず、世界各地で異常気象を引き起こし、生態系や人々の生活基盤に深刻な影響を及ぼしています。例えば、近年頻発している大型ハリケーンや記録的な豪雨、干ばつなどは、温暖化の影響を受けた気象パターンの変化によるものとされています。

こうした状況を背景に、地球を「宇宙船地球号」に例える考え方が広まりました。この表現は、地球という限られた資源と空間を持つ「乗り物」に乗っている全人類が協力し、その維持と管理を徹底しなければならないという警鐘を意味しています。私たちの惑星は、持続可能性を失うと、次の目的地も修理施設もないままに取り残されてしまうのです。

実際に総合地球環境学研究所の研究によると、人類が温室効果ガスを排出し続けた場合、2070年までの気温の上昇幅は7.5度にもなります。したがって、脱炭素化を通じて温室効果ガスの排出を削減し、地球の温暖化スピードを緩やかにすることは、この「宇宙船地球号」を次世代へと繋げるために欠かせないことなのです。

燃料資源の枯渇

地球温暖化への対応と同様に、脱炭素が重要視される背景には、化石燃料資源の枯渇問題も大きく関係しています。石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料は、現在もなお経済活動の中でエネルギー源として中心的な役割を果たしていますが、これらの資源は有限であり、埋蔵量には限界があります。現在の消費ペースが続けば、石油や天然ガスの埋蔵量は数十年以内に枯渇する可能性があるのです。この「Xデー」は、エネルギーの供給にとって深刻なリスクとなり、経済活動や日常生活に広範な影響を与えることが懸念されています。

加えて、化石燃料の偏在性も問題を複雑にしています。特定の地域、特に中東やロシアなどが主要な供給源であるため、地政学的なリスクが常につきまといます。限りある資源が偏在していることは、エネルギー供給の安定性を脅かし、国際的な対立や紛争を引き起こす要因にもなり得ます。石油価格の高騰や供給の不安定化が世界経済に与える影響はみなさんも既知のはずです。

このような状況下で、脱炭素化を推進することはもはや単なる温暖化を防止するという観点だけでなく、エネルギー資源の枯渇への備えとしても重要な役割を果たします。再生可能エネルギーや水素エネルギーといった代替エネルギー源を開発することで、化石燃料に依存した経済から脱却し、持続可能な社会・経済安全保障の実現の一歩となるでしょう。

脱炭素に向けた世界の動向

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ここまで脱炭素を行う目的についてご紹介してきました。これらの状況を踏まえ、世界各国が脱炭素社会への移行を目指し、二酸化炭素を含む温室効果ガスの排出量削減に向けて取り組んでいます。ここからは脱炭素社会の実現に向けた世界全体の動きについて見ていきます。

京都議定書

1997年の第3回地球温暖化防止京都会議(COP3)で採択された京都議定書は、温室効果ガスの削減を目的とした国際協定の中でも、特に歴史的な意義を持つものとして知られています。この協定では、先進国が法的拘束力を持つ削減目標を設定することが求められました。背景には、「気候変動枠組条約」に基づき、過去に温室効果ガスを多く排出してきた先進国が、責任を果たすべきだという理念がありました。

対象となるガスは二酸化炭素に限らず、メタン(CH4)やフロンガスなど多岐にわたりますが、当時途上国とされていた中国やインドは削減義務を負いませんでした。この点が後に議論を呼び、国際協定を形成する際の難しさを浮き彫りにしました。京都議定書は、2020年までを期限とした削減目標を設けており、その成果を踏まえて次の枠組みとしてパリ協定が採択されることになります。

パリ協定

2015年に第21回国連気候変動会議(COP21)で採択されたパリ協定は、京都議定書を基盤としながらも、大きな進化を遂げた枠組みです。最大の特徴は、先進国だけでなく途上国を含むすべての国が参加する点にあります。これにより、各国が自主的に削減目標を設定し、実行する「ボトムアップ方式」が採用されました。

パリ協定では、産業革命以前からの平均気温上昇を2度以内に抑え、さらに1.5度以内を目指すという長期的な目標が掲げられました。この目標達成には、二酸化炭素排出量削減だけでなく、再生可能エネルギーの導入促進や省エネルギー技術の開発が不可欠とされています。また、各国は5年ごとに目標を更新し、進捗を報告する仕組みが設けられています。これにより、協定が持続的かつ動的に運用されることが期待されています。

しかし、政治的な不安定さも見逃せません。ドナルド・トランプ政権下でアメリカが一時的に離脱したことは、協定の信頼性に影響を与えました。そして、2024年に再選を果たしたトランプ氏が再びパリ協定からの離脱を検討する可能性が報じられており、国際的な取り組みに再び不安をもたらしています。

SDGs(持続可能な開発目標)

国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、2030年を目標年として掲げられた17の目標と169の具体的なターゲットを含む包括的な取り組みです。その中でも気候変動や脱炭素社会の実現に関連する目標は、京都議定書やパリ協定のような政府主導の枠組みを補完する役割を果たします。

SDGsは教育や技術開発、国際協力を通じて、脱炭素社会の実現に向けた広範な取り組みを支えています。再生可能エネルギーの導入を加速させるための技術投資や途上国への支援を通じ、世界全体での公平なエネルギー移行を目指す動きが活発化しているのは、肌で感じている方も多いのではないでしょうか。

また、SDGsがユニークなのは、国家や大企業だけでなく、個人レベルでの行動を通じて達成を目指す点です。例えば、家庭での省エネ、再生可能エネルギーを活用した電力契約、職場でのペーパーレス化など、日常生活に取り入れられる行動が多くあります。こうした取り組みは、単に温室効果ガスの削減にとどまらず、社会全体での意識変容を促し、持続可能なライフスタイルの普及にも貢献しています。

脱炭素化に向けて日本が実施している取り組み

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日本は2021年の米国主催気候サミットにおいて、2030年度に温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指すこと、さらに50%の高みに向け挑戦を続けることを表明しました。以降、政府では新たな地域の創造や国民のライフスタイルの転換など、カーボンニュートラルに向けた需要創出の観点に力を入れながら、一丸となって脱炭素化を推進しています。

ここからは、脱炭素化目標の達成に向けて、日本が実施している取り組みを順番に解説します。

産業構造の変革

脱炭素社会の実現に向け、日本は2050年カーボンニュートラル目標に基づく「グリーン成長戦略」を掲げています。この戦略は、産業構造そのものを転換し、持続可能な成長と環境保全の両立を目指すものです。その中核となる施策の一つが「グリーンイノベーション基金」です。この基金は、再生可能エネルギーの開発や炭素回収技術の研究など、新たな技術の創出を支える資金として設定されており、産業界の取り組みを強力に後押しします。

さらに、「カーボンニュートラルに向けた投資促進税制」も導入されました。この税制は、企業が脱炭素化技術に投資した際、最大10%の税額控除(中小企業は最大14%)50%の特別償却といった大きな経済的インセンティブを提供する仕組みです。これにより、多くの企業がリスクを取り、新たな分野への投資を進めやすくなっています。

加えて、日本をアジアの「グリーン国際金融センター」として確立する取り組みも進められています。環境関連分野への資金を引き寄せ、世界の投資家が信頼できる市場としての地位を確立することで、国内外の連携を強化し、経済の脱炭素化を一層促進しようという狙いがあります。これらの取り組みは、従来のエネルギー集約型産業から脱却し、イノベーションを基軸とした新たな成長モデルを築く道筋を示しているといえるでしょう。

脱炭素経営の促進

産業構造が変わったとしても脱炭素化を進める上では、民間事業者への支援が不可欠です。そこで日本政府は、「脱炭素化支援機構」を設立し、企業が脱炭素経営を実現するための支援を行っています。この支援機構は、企業が環境配慮型の技術や事業へ投資できるよう、200億円の投融資を行い、CO2排出量の削減などに役立つ新規事業を後押しするとしています。

また、「SBT(Science Based Targets)」や「RE100」といった国際イニシアチブへ参画した企業に対して補助金を給付し、脱炭素の取り組みが企業活動の実利として還元するスキームも構築しています。これらのイニシアチブでは、事業活動における温室効果ガス削減目標の設定や再生可能エネルギーの利用率を100%にすることが求められており、体力のある大企業以外では脱炭素経営に舵を切ることが困難でしたが、国や地方自治体による支援制度の登場により、中小企業にも持続可能なビジネスモデルへの転換の下地が整いつつあります。

近年では若年層を中心に、環境問題に取り組む企業への需要が高まっていることからも、こうした動きは、脱炭素化を加速する効果をもたらすと同時に、企業の競争力を高めて新たなビジネスチャンスを生み出すきっかけとなるでしょう。

環境価値の取引活性化

環境問題への取り組みを加速させるためには、環境価値を具体的に評価し、それを取引可能な形で活用することが重要です。その一環として、「カーボンクレジット」が注目されています。カーボンクレジットは、企業や団体が削減または吸収した温室効果ガスの量を「クレジット」として市場で取引する仕組みで、排出量削減を促進する効果があります。日本では特にJ-クレジット制度が活用されており、省エネルギー設備の導入や森林保全による吸収量が認証され、取引の対象となります。

また、持続的な成長実現を目指す企業が同様の取り組みを行う企業群や官・学と共に協働するために「GXリーグ」が設立され、企業間の取引が促進されています。その一環として、2023年には東京証券取引所で、「カーボン・クレジット市場」が開設され、本格的かつ大規模な排出量取引の市場が登場しています。

さらに、家庭で埋没していた環境価値も取引できるよう、小口の環境価値取引が可能となる取り組みが進行しています。実際に経済産業省が実施している「グリーン・リンケージ倶楽部」では、太陽光パネル等による発電電力の自家消費分から生まれる環境価値を取りまとめてCO2排出削減の実績としてクレジット化しています。

これらの環境価値の取引を活性化させる取り組みは、脱炭素化の加速に寄与するだけでなく、新たな市場を創出する基盤となります。現在はまだ準備段階ともいえる状態ですが、現在の制度が発端となって今後数年で環境価値の有効活用が一気に進展することが期待されます。

カーボンクレジットについてはこちらの記事でも解説しています。

政府資金を呼び水とした投資

脱炭素社会の実現に向けては、排出削減が困難なセクターを中心に投資を促進することも重要な要素です。排出削減が困難なセクターとは、製鉄、セメント、化学など、高温加熱や大規模な化石燃料の利用が避けられない産業を指します。これらの分野では、排出量を削減するための技術革新や資本投下が必要とされています。

そのため、政府は「トランジション・ファイナンス」と呼ばれる資金調達スキームを推進しています。これは、脱炭素化の過程で必要となる技術や設備への投資を支援する仕組みであり、特にGX(グリーントランスフォーメーション)推進法に基づいて運用されています。この法律のもと、GX経済移行債と呼ばれる国債が発行され、これにより20兆円規模の資金が調達される計画です。この資金は、企業の排出削減プロジェクトや研究開発に活用されるだけでなく、カーボンプライシングを通じて脱炭素経済への移行を支援します。

さらに、企業による技術革新を後押しするための研究開発支援も強化されています。これには、再生可能エネルギーの利用拡大や炭素回収技術の進展を含む広範な分野が含まれ、政府資金が呼び水となって民間投資を一層促進することが期待されています。これらの取り組みは、単なる脱炭素の推進にとどまらず、新たな産業構造の形成や競争力の向上を目指した包括的な戦略として位置付けられています。

再生可能エネルギーの活用

日本政府は民間企業や需要家主導による再生可能エネルギーの主力化とレジリエンス強化を図るため、さまざまな支援策を講じています。例えば、需要家主導型太陽光発電や再生可能エネルギー電源併設型蓄電池導入支援事業に対して補助金を助成しています。令和7年度の概算要求額では、需要家主導型太陽光発電及び再生可能エネルギー電源併設型蓄電池導入支援事業に113億円、民間企業等による再生可能エネルギー導入及び地域共生加速化事業に119億円が予定されています。これにより、需要家が再生可能エネルギーの導入を進めやすくなり、地域におけるエネルギーの自立性向上や災害時のレジリエンス強化が期待されています。

さらに、企業の再生可能エネルギー導入を加速させるために、エネルギーサービス会社が提供するPPA(Power Purchase Agreement)モデルが登場しています。PPAモデルでは、企業が太陽光発電システムを初期費用ゼロで設置し、発電した電力を自家消費するのではなく、PPA事業者に対して使用した電気量の代金を支払う仕組みとなっています。このモデルにより、企業は初期投資なしで再生可能エネルギーを活用できるため、特に中小企業や設備投資に余裕がない企業にとって非常に魅力的な選択肢となっています。また、これにより再生可能エネルギーの導入が進むだけでなく、電力の安定供給とコスト削減も実現し、企業の競争力向上にも寄与しています。

PPAモデルについてはこちらの記事でも解説しています。

脱炭素は意味ない?実現に向けた日本の課題とは?

出典:shutterstock

脱炭素化の実現に向けて日本はさまざまな取り組みを進めていますが、その過程で直面している課題は少なくありません。特に、化石燃料依存の問題や経済的負担、さらには特定の産業における二酸化炭素排出の問題など、脱炭素化を推進する上での大きな障壁が存在します。これらの課題を克服し、脱炭素社会を実現するためには、技術革新や新たな政策が必要とされています。

エネルギーを化石燃料に頼っている

出典:資源エネルギー庁「エネルギーの今を知る10の質問」

日本のエネルギー供給は現在、大きな割合を化石燃料に依存しています。石油、石炭、液化天然ガス(LNG)などが主要なエネルギー源となっており、その使用により二酸化炭素が排出されています。これらの化石燃料は、安定した供給が可能であり、価格が比較的安定していることから、日本のエネルギー供給において重要な役割を果たしています。しかし、化石燃料を使用し続けることは脱炭素化を進める上で最大の障害であり、その依存度を下げることは急務です。

特に石炭は、安価で安定した供給が可能であるため、エネルギー政策において依然として重要な位置を占めていますが、その使用がもたらす環境負荷は無視できません。加えて、東日本大震災以降、原子力発電に対する不安が高まり、原発の稼働が減少しました。これにより、化石燃料に依存する割合が高まり、脱炭素化の進展を阻む要因となっています。

災害時のリスクや供給の安定性を考慮した場合、再生可能エネルギーへの転換が求められていますが、そのためには、太陽光や風力などの安定供給を実現するためのインフラ整備が必要です。このような化石燃料依存からの脱却は、脱炭素社会実現に向けての重要な一歩ですが、現段階では十分に進んでいるとは言えません。

経済的負担が大きい

出典:CDエナジーダイレクト「太陽光発電の設置費用の相場は?補助金についても紹介」

脱炭素社会を実現するための技術や設備の導入は、確かに環境への配慮を反映した重要な一歩ですが、その経済的負担は少なからず大きいのが現状です。特に、再生可能エネルギーや省エネルギー設備の導入には多大な初期投資が必要です。例えば、太陽光発電設備や風力発電設備を導入する際には、設置費用が高額となり、それに加えて設備の維持費やメンテナンス費用が長期的にかかることになります。このような経済的負担は、特に中小企業にとって大きな障壁となり、脱炭素化の遅れを引き起こす要因となっています。

また、設備の耐久性や維持管理の難しさも問題です。例えば、再生可能エネルギー設備である太陽光発電パネルは、設置してから数十年使用することが期待されますが、設置後のメンテナンスや故障対応のために一定のコストがかかることもあります。さらに、設備の一部が壊れやすかったり、技術的な複雑さがあったりすると、修理や交換のために予想以上の費用が発生することもあります。

一方で、事業継続性の観点でも問題が生じます。脱炭素化のための設備導入は、一時的なコストの負担だけでなく、継続的な経営の中でどのようにそのコストを吸収していくかという問題に直面します。事業活動の基盤となる生産設備を更新する際には、事業の効率や生産性が影響を受ける場合もあり、企業は新たな設備投資を行うリスクを避けることがあります。

さらに、再生可能エネルギーの設備には特定の資源を多く使用するため、その資源供給にも限りがあります。例えば、太陽光発電のパネルにはレアメタル(希少金属)が使われることが多く、これらの金属は供給に制約があり、将来的に価格が高騰するリスクも抱えています。特に、太陽光発電に用いられるインジウムやテルルなどはその供給が限られており、レアメタルに依存する再生可能エネルギーの普及には長期的な供給体制の確立が必要です。

こうした課題に対して、技術革新が進んでおり、コストの削減を可能にする方法も模索されています。例えば、ペロブスカイト太陽電池は、その製造コストが従来のシリコンベースの太陽光発電パネルに比べて低く、広範な普及を支える可能性を秘めています。この技術は、主にヨウ素を原料としていますが、ヨウ素は日本が世界で3割の生産量を占め、チリに次ぐ世界第2位の生産量を誇ります。この点は、日本にとって有利な競争力を持つ資源であり、再生可能エネルギーの普及に貢献できる可能性があります。

このように、脱炭素化のコスト負担を軽減するためには、技術革新と資源の有効活用が不可欠です。ペロブスカイト太陽電池などの新技術の発展は、将来的なコスト削減につながるだけでなく、日本の資源供給における強みを活かすことにもつながります。

二酸化炭素排出が避けられない産業がある

出典:経済産業省「トランジションファイナンスに関する鉄鋼分野における技術ロードマップ」

各業界で脱炭素化が進んでいるとはいっても、先に述べた排出削減が困難なセクターのように、一部の産業では構造的にそもそも二酸化炭素の排出が前提とならざるを得ないケースもあります。例えば、国内総出荷額約19兆円を誇る日本の一大産業の鉄鋼業では、産業部門の4割の二酸化炭素を排出しています。これは、製鉄時に高温熱を必要とする工程が多く、ボイラーや工業炉などの大型熱供給機器を使用することで鉄鉱石を還元して鉄を製造する必要があるからです。

石炭の代わりに水素を使用する技術革新(炭素ではなく、水素と結びつけるため、二酸化炭素は発生しない)の研究も始まっていますが、こうしたグリーン・スチールの実用化は今世紀末ともいわれており、まだ時間がかかると見られています。したがって、実務上では現状、鉄鋼業において脱炭素を実現するのはかなり困難といわざるを得ません。

また、理論上・技術上は脱炭素化が可能なテクノロジーが生まれていたとしてもコスト的な問題により実装が進まないこともあります。例えば、エネルギー産業に次ぐ二酸化炭素排出源となっている運輸業では、運搬手段の電動化や、AIを用いた物流の効率化・省人化が技術的には可能とされていますが、すべての車両・倉庫でこうしたテクノロジーを導入するとなると数億円規模のコストが発生します。経営上のリスクを背負ってまで自費で脱炭素経営に取り組む運輸業者が多くないことは想像に難くないでしょう。

こうした、現状で二酸化炭素排出が避けられない産業の存在は脱炭素社会の実現する上で大きな課題となっています。

不正の可能性を排除できていない

脱炭素化が進む中で、一部の企業や団体による「グリーンウォッシュ」や「データ改ざん」の問題が浮き彫りになっています。グリーンウォッシュとは、環境に配慮しているかのように見せかけることで消費者や投資家を誤解させる行為であり、企業が実際にはあまり環境負荷を減らしていないにもかかわらず、エコなイメージを作り出すためのマーケティング手法として悪用されています。例えば、製品に「環境に優しい」などのラベルを付けながら、実際には製造過程で多くのCO2を排出している場合などがこれに該当します。このような行為は、消費者や投資家が持つ「脱炭素化」の期待を裏切り、社会全体の脱炭素化努力を妨げる結果となります。

出典:産経新聞「グリーンウォッシュって?」

また、データ改ざんも大きな問題です。脱炭素化を進める企業が排出削減量や再生可能エネルギーの利用状況を報告する際に、実際よりも良い数値を発表することがあります。これにより、正確な脱炭素化の進捗が把握できなくなり、企業間の公平性が損なわれるだけでなく、社会全体の脱炭素化目標の達成にも悪影響を及ぼします。企業や政府が透明性を保ちながら脱炭素化を進めることが不可欠ですが、現状ではこれらの不正行為が取り締まられきれていないのが現実です。

これらの不正行為を排除するためには、技術的な対策が求められます。その解決策として注目されているのがブロックチェーン技術です。ブロックチェーンは、取引履歴やデータが改ざんできないように記録される分散型台帳技術であり、その透明性と信頼性を活かして、脱炭素化に関連するデータを正確に管理することが可能です。企業がCO2削減量や再生可能エネルギーの使用状況をブロックチェーン上に記録することで、そのデータが後から改ざんされることなく、外部から検証可能な状態に保たれます。実際に、ブロックチェーンを活用した証明書やクレジット制度も登場しており、透明性の高い市場が形成されつつあります。

ブロックチェーンについてはこちらの記事でも解説しています。

まとめ

この記事では、脱炭素の定義や目的、具体的な取り組みについて解説しました。

記事内でも解説した通り、脱炭素は、地球温暖化対策として二酸化炭素の排出を実質ゼロにする取り組みであり、温室効果ガス削減の要であり、その重要性は、地球温暖化防止や燃料資源の枯渇といった深刻な背景からも広く認知されるようになっています

すでにこれらを解決するために国際的な枠組みやSDGsのような共通目標を通じて、国家や企業、個人が協働する流れが加速しています。日本も、産業構造の変革や脱炭素経営の促進、再生可能エネルギーの活用に注力しており、政府の支援と技術革新を基盤にカーボンニュートラル社会の実現を目指しています。

今回ご紹介した内容を参考に、脱炭素化に向けて企業ができる活動について検討されてみてはいかがでしょうか。

IoT、AI、ブロックチェーン。ビッグデータを活用したDXとは?

IoT、ブロックチェーン、AI。一見、無関係にもみえるこれらの概念は、実は、「ビッグデータを活用したDX」という文脈で相互補完的な役割を果たしています。そのなかでもブロックチェーンは、特に不可欠な存在です。今回は初心者向けにざっくりと解説します!

これだけは押さえたい!IoT、ブロックチェーン、AIの基礎知識

IoT、ブロックチェーン、AI(人工知能)は、最近よく話題に上がる技術ですが、それぞれが何を意味するのか、イメージしづらいと感じる人もいるかもしれません。これらは単独でも大きな可能性を秘めていますが、組み合わせることでさらに革新的な展開が期待されています。ここでは、それぞれの基本的な仕組みをわかりやすく紹介していきます。

IoT

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IoT(Internet of Things、モノのインターネット)とは、「世の中のあらゆるモノをネットワークに接続することで、さまざまな付加価値を生み出すことを目的としたITインフラストラクチャJRIレビュー(北野2017))」を指す言葉とされています。このように定義で説明されても、ほとんどの人(少なくともこの記事に行き着いた人)には「イメージが湧くような?湧かないような?」という感じかもしれません。もう少し具体的に見ていきましょう。

インターネットは、アメリカ国防総省(DoD)が進めた研究プロジェクト「ARPANET」を起源にもっており、アメリカ国内の大学や研究機関を接続し、研究者同士が効率的な情報交換を行うために発達してきたものでした。インターネットの利便性が知られるようになると、これを営利目的に使いたいという要望が強くなり、1990年代に入ると商用インターネットが解禁されました。スマホを含むモバイル端末や、PCを通じて人々の暮らしが圧倒的に便利になる一方で、次第にテレビやカメラ、冷蔵庫やエアコンなど、これまではインターネットに接続されていなかったあらゆる機器にまでネットワークを広げようとする動きが出てきます。この概念が、IoTなのです。最近よく聞く単語の割には中身がスカスカだと拍子抜けするかもしれませんが、だからこそ、結びつくアイデアや活用先次第ではその可能性は無限大なのです。

IoTを理解する上で重要なポイントは次の3点です。

  1. モノ(デバイス)をインターネットに接続する
  2. アプリケーションによって付加価値を生み出す
  3. IT基盤(インフラストラクチャ)である

一般に、IoTと聞いて思いつくのはセンサーで自動的に電気をつけたり音声認識でエアコンをつけたりといった「スマート家電」と呼ばれる領域でしょう。スマート家電では、①もともと独立したモジュールであった電気やエアコンといった端末をインターネットに接続し、②スマホアプリ等を用いて手動で起動する手間を省いたり相互に連動することで住宅の快適さを上げるという付加価値を生み出しています。しかし、こうした典型的なIoT概念で見落としがちなのが、3つ目のポイントです。

実は、「自動的に起動する」「連動する」といったことは、あくまで個人消費者向けの小さなメリットに過ぎません。IoTは、そうした小さな範囲にとどまる概念ではなく、センシング技術を通じて集積したビッグデータをAI(人工知能)やブロックチェーンといった技術とともに利活用することで、経済活動の効率性や生産性を大きく向上させ、さらに高齢・人口減少社会における経済、社会保障などの面で生じる課題を解決する手段としても注目を集める、③社会の基盤そのものに成り代わるような概念なのです。

例えば、家電の域を超えて車両がIoTに対応することで、渋滞情報のリアルタイム共有や路線バスの安定運行、自律走行ロボットを活用した無人配送サービスなど交通インフラを整備することさえ可能です。いわゆる「スマートシティ」と呼ばれる構想です。もちろん、ミクロのIoTも技術的には大変興味深いですが、様々な社会課題解決や新たな社会価値を創出していくために、国民生活や経済行動そのものを変容させ得る可能性を秘めているという点は、IoTを語る上で欠かすことのできない視点といえるでしょう。

AI(人工知能)

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近年では、AI(人工知能)の生活への浸透度は非常に高くなっており、身近な製品やサービスで活用されることも珍しくなくなってきました。最たる例はApple社の音声アシスタント「Siri」でしょう。「Hey Siri」とiPhoneに話しかけると起動でき、端末に触れることなく様々な操作をしてくれます。AIについて詳しくない方でも、「AI=便利なもの」という認識はあるはずです。

近年のAIブームを見ていると、つい最近誕生した技術かのように思えますが、AIは1956年にアメリカで開催されたダートマス会議で誕生し、その後はインスタントカメラやルーズソックスなどと同じく、ブーム再燃によって度々脚光を集めてきました。ただし、70年近く前に誕生したとはいっても、何か物理的な完成品が生まれたのではなく、科学者たちが人間のように考える機械を「Artificial Intelligence」と名付けたというだけに過ぎません。そのため、AIという言葉が指す範囲は非常に幅広く、映画「ターミネーター」のような人間を超越しうる存在としてのAI(「強いAI」)から、ビジネスパーソンにおなじみのExcelや電卓(「弱いAI」)まで、およそ人間の知能労働を代替するコンピュータとアルゴリズムが総じてAIと呼ばれているのです。

最初のAIブームはこのダートマス会議の流れを汲んで1950年代に起こりました。この時期の研究は、初期のAI研究者たちが概念的なフレームワークを構築し、人間の思考を模倣するコンピュータープログラムを開発するというものでした。コンピューターを使った論理的な推論自体は実現したものの、基本的には予め特定の問題を解決するための知識をプログラミングする手法をとっていたため、パズルや明確なルールがあるゲーム(トイプロブレム)などには強い一方で、ルールが不明確で複雑な問題を苦手としていました。こうしたアルゴリズムの限界などから期待されたほどの成果が得られず、AIへの関心が下火となりました。

そこから数年は技術の進展が見られず、苦しい時期を過ごしたAI研究ですが、1980年代に入ると再び脚光を浴びるようになります。そのきっかけとなったのが「エキスパートシステム」の実現でした。エキスパートシステムとは、ある分野の専門家の持つ知識をデータ化することで、その分野において人間の専門家に匹敵する知識を持つコンピュータープログラムを開発する手法のことです。それまでのAIに「何でも屋」の役割を要求していた開発手法から脱却することで、医療診断、金融のデータ解析といった限定的な場面でエキスパートシステムが実用的な成果を上げました。ビジネスでの導入例も出現するなど好調に見えた第2次AIブームでしたが、エキスパートシステムは特定のシーンで適用されるには優れていましたが、一般的な知的タスクへの拡張が課題となり、AI研究は再び停滞します。

再び冬の時代に入ったAI業界ですが、2006年にある研究者の発見により転機が訪れます。それが、ジェフリー・ヒントンにより発明された「ディープラーニング」です。ディープラーニングとは、入力データからAI自ら特徴を判別し、特定の知識やパターンを覚えさせることなく学習していくことができる技術のことで、別名「深層学習」とも呼ばれます。こうした技術に加え、マシン性能の向上やインターネットによるデータ収集効率の向上なども相まって過去の一過性のブームとは異なり、AIを私たちの日常生活に深く浸透させる結果を生みました。2022年にOpenAIからChatGPTが発表されると10日足らずでユーザー数が100万人を超え、世間に衝撃を与えたことは記憶に新しいのではないでしょうか。

現時点ではコンピュータの計算能力やデータ自体の精度、機械学習を適切に扱えるデータサイエンティストやビジネスパーソンの存在など、様々なボトルネックが存在していますが、AI研究の第一人者であるレイ・カーツワイル氏は、2029年頃にAIが人間を超えると予測するなど、「シンギュラリティ(技術的特異点)」へ到達する日も遠くないとされており、AIはまだ発展途上にある技術でありながら、社会構造そのものを大きく変える可能性を秘めています。

ブロックチェーン

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上記二つの概念と比べるとまだまだ知名度は低いブロックチェーンですが、2008年にサトシ・ナカモトと呼ばれる謎の人物によって提唱された暗号資産「ビットコイン」の中核技術として誕生しました。ブロックチェーンは知らずとも、ビットコインの名前はほとんどの方が一度は聞いたことがあると思います。

ブロックチェーンの定義には様々なものがありますが、噛み砕いていうと「取引データを暗号技術によってブロックという単位でまとめ、それらを1本の鎖のようにつなげることで正確な取引履歴を維持しようとする技術のこと」です。取引データを集積・保管し、必要に応じて取り出せるようなシステムのことを一般に「データベース」といいますが、ブロックチェーンはそんなデータベースの一種でありながら、特にデータ管理手法に関する新しい形式やルールをもった技術となっています。

ブロックチェーンにおけるデータの保存・管理方法は、従来のデータベースとは大きく異なります。これまでの中央集権的なデータベースでは、全てのデータが中央のサーバーに保存される構造を持っていました。したがって、サーバー障害や通信障害によるサービス停止に弱く、ハッキングにあった場合に、大量のデータ流出やデータの整合性がとれなくなる可能性があります。

これに対し、ブロックチェーンは各ノード(ネットワークに参加するデバイスやコンピュータ)がデータのコピーを持ち、分散して保存します。そのため、サーバー障害が起こりにくく、通信障害が発生したとしても正常に稼働しているノードだけでトランザクション(取引)が進むので、システム全体が停止することがありません。また、データを管理している特定の機関が存在せず、権限が一箇所に集中していないので、ハッキングする場合には分散されたすべてのノードのデータにアクセスしなければいけません。そのため、外部からのハッキングに強いシステムといえます。

さらにブロックチェーンでは分散管理の他にも、ハッシュ値ナンスといった要素によっても高いセキュリティ性能を実現しています。

ハッシュ値は、ハッシュ関数というアルゴリズムによって元のデータから求められる、一方向にしか変換できない不規則な文字列です。あるデータを何度ハッシュ化しても同じハッシュ値しか得られず、少しでもデータが変われば、それまでにあった値とは異なるハッシュ値が生成されるようになっています。

新しいブロックを生成する際には必ず前のブロックのハッシュ値が記録されるため、誰かが改ざんを試みてハッシュ値が変わると、それ以降のブロックのハッシュ値も再計算して辻褄を合わせる必要があります。その再計算の最中も新しいブロックはどんどん追加されていくため、データを書き換えたり削除するのには、強力なマシンパワーやそれを支える電力が必要となり、現実的にはとても難しい仕組みとなっています

また、ナンスは「number used once」の略で、特定のハッシュ値を生成するために使われる使い捨ての数値です。ブロックチェーンでは使い捨ての32ビットのナンス値に応じて、後続するブロックで使用するハッシュ値が変化します。コンピュータを使ってハッシュ関数にランダムなナンスを代入する計算を繰り返し、ある特定の条件を満たす正しいナンスを見つけ出す行為を「マイニング」といい、最初にマイニングを成功させた人に新しいブロックを追加する権利が与えられます。

ブロックチェーンではマイニングなどを通じてノード間で取引情報をチェックして承認するメカニズム(コンセンサスアルゴリズム)を持つことで、データベースのような管理者を介在せずに、データが共有できる仕組みを構築しています。参加者の立場がフラット(=非中央集権型)であるため、ブロックチェーンは別名「分散型台帳」とも呼ばれています。

こうしたブロックチェーンの「非中央集権性」によって、データの不正な書き換えや災害によるサーバーダウンなどに対する耐性が高く、安価なシステム利用コストやビザンチン耐性(欠陥のあるコンピュータがネットワーク上に一定数存在していてもシステム全体が正常に動き続ける)といったメリットが実現しています。データの安全性や安価なコストは、様々な分野でブロックチェーンが注目・活用されている理由だといえるでしょう。

詳しくは以下の記事でも解説しています。

これらの技術が結びつく交点=DX(デジタルトランスフォーメーション)

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これまで長々と見てきたように、IoT、AI、ブロックチェーン、という3つの技術は、それぞれ異なる分野から生まれ、それぞれ独自の発展を遂げてきたものです。バラバラの文脈で語られることも多いIoT、ブロックチェーン、AIという3つの概念ですが、これらを単独で考えるだけでは、現代の技術が持つ本当の可能性を理解することは難しいでしょう。実は、この3つの技術は相互に補完し合う関係にあり、「ビッグデータ活用を前提としたDX」という結節点から分析することで、大きな社会動向の要素として相互に関連づけることができます。

例によって前提となるDX、ビッグデータについて解説します。日本デジタルトランスフォーメーション推進協会によると、DX(Digital Transformation、デジタルトランスフォーメーション)とは「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念を指します。最近ではビジネスシーンでもよく耳にするこの単語ですが、実はDXとは、単にアナログデータをデジタル化(デジタイゼーション)するだけではなく、産業や社会構造全体をデジタル技術によって刷新し、新しい価値を創造する取り組みを意味しているのです。

その中核を担うのが、ビジネスや研究の現場に溢れている大量のデータ、いわゆる「ビッグデータ」の活用です。ビッグデータ活用の大きな流れとは、次の通りです。

  1. データを集める
  2. データを保存・管理する
  3. データを分析する
  4. データを活用する(社会実装する)

まず、ビッグデータを活用するには、そもそもデータ自体が十分に集まっている必要があります。一見、簡単なことのように思えますが、実は、世の中には機械による処理が可能な形のデータ(構造化データ)とそうではない形のデータ(非構造化データ)、そしてデータとしてすら認識されていない情報があり、構造化されたデータは全情報のごく一部でしかありません。したがって、ビッグデータを活用してDXを実現するためには、まずデータを構造化する、あるいは自然の情報をデータ化するといった、①データ収集の作業が重要になります。

次に、①で集めたデータを適切に保存・管理していく必要があります。実は、これもデータ分析を行なった経験がないと想像しにくいことですが、データ分析において自分の思ったような形で正しくデータが揃っているということはごく稀です。実際には、データの一部が欠損していたり、データそのものの信用が怪しかったり、異なるデータベース同士を接合する必要があったりと、いわゆる「データの前処理」という地味で根気の要る仕事が大半を占めています。これは、そもそも現時点では、多くの産業や企業においてデータを適切に管理するための基盤が整っていないことに起因しています。したがって、DXに向けて大量のデータを正しく活用していくためには、②データの保存・管理の方法が大切なのです。

続いて、あるデータベース上に保存されたデータを分析していきます。当然のことながら、データは集めて保存しているだけでは価値がありません。付加価値を出していくためには、情報の羅列であるデータベースから、何かしらの目的を持って分析を行い、実際の業務等に反映して効率化を実現していく必要があります。ですが、現実には、ビッグデータが重要であるということだけを鵜呑みにして「とにかくデータを集めろ」で終わっている企業も少なくありません。これは、先ほどもみたように、データを適切に取り扱える人材が不足していることにも原因がありますが、それ以上に、「データは分析して実際に役立ててナンボ」という当たり前の考え方が欠落しているからだといわざるを得ないでしょう。そのため、ビッグデータ活用によるDXでは、この③分析のフェーズを意識して全体を設計していくことが重要だといえます。

最後に、分析の結果であるモデルに当てはめて、現実世界の施策として社会実装していきます。一般に「ビッグデータ」「DX」というとこの社会実装の部分ばかりがケースとして目立ってしまいますが、実は、①〜③の流れを適切に行うことができていれば、半分はクリアしてしまったようなものです。もちろん、実際には、理論を現実へと実装していく過程が最も困難な場合がほとんどではありますが、そうした困難の原因として、目的から正しく逆算せずに「場当たり的に」データ活用を行おうとした結果、当事者が納得するような施策にまで十分落とし込めなかったということが少なくありません。そのため、④データの活用、社会実装を適切に遂行する上でも、①〜③の収集→管理→分析が大切だといえるでしょう。

このように分解してみると、精緻な顧客分析、需給予測の観点から「金のなる木」という見方をされることも多いビッグデータですが、データそのものは単体ではただのデータに過ぎず、それ自体が直接的な価値を持つわけではないということがおわかりいただけたのではないでしょうか?むしろ、膨大な情報が眠る「鉱山」のような存在だと捉える方が適切でしょう。

そして、この鉱山から金を生み出す各プロセスで大切な役割を担うのが、IoT、ブロックチェーン、AIという3つの技術です。IoTは鉱山の位置を特定して価値ある鉱石(データ)を発掘する役割を果たし、ブロックチェーンは採掘された鉱石が本物であることを保証し、AIはその鉱石を加工して価値を最大化する、といった具合にそれぞれの役割を果たしながら連携することで、初めてDXが実現するのです。

DXにおいてIoT、AI、ブロックチェーンはどのような役割を果たす?

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IoT、AI、ブロックチェーン、そしてこれら3つの技術とDXとの関係性について大まかに把握したところで、それぞれが具体的にどのように作用し合い、ビッグデータの活用を支えているのかを掘り下げていきましょう。DXの中核をなすビッグデータの流れを見ていくことで、これらの技術が単独ではなく相互補完的に機能していることが明らかになるはずです。

先ほど見たビッグデータ活用によるDXの流れと、IoT、ブロックチェーン、AIの3概念は、それぞれ次のように対応させることができます。(※下記の対応は、必ずしも現時点でそうなっているとは限らず、今後の未来における一つの形を提唱しています)

  1. データを集める → IoTによるハードウェア端末でのデータ収集
  2. データを保存・管理する → ブロックチェーンによるデータベースの統合・管理
  3. データを分析する → AI(機械学習)による大量情報の処理
  4. データを活用する(社会実装する)

まず、IoTの役割は、私たちの日常に存在するあらゆるモノをインターネットにつなぎ、データを収集することです。これにより、身近な情報端末を通して、私たちの日々の行動パターンや好みをデータとして蓄積することが可能になります。たとえば、Amazon社の「Echo」シリーズやGoogle社の「Nest」シリーズに代表されるスマートスピーカーは、所有者が好む音楽、家族の声の波形、エアコンの設定温度といった多種多様なデータを取得しています。さらに、こうしたIoT技術は家庭内だけでなく、通勤経路や公共交通機関、オフィスビル、飲食店、学校、病院といった日常のあらゆる拠点で活用されるようになり、これまで活用されなかったデータの収集を可能にしています。

しかし、膨大なデータが収集されても、それを安全かつ効率的に管理する仕組みがなければ活用することはできません。現代社会では、数多くの企業がそれぞれ独自の端末やフォーマット、データ取得経路を用いてデータを収集し、それぞれの基準で管理しています。こうした分断されたデータベースでは、システム間でフォーマットが統一されておらず、データを横断的に活用することが困難です。また、セキュリティ要件が十分に担保されていない場合もあり、不正アクセスや改ざんといったリスクが潜在しています。このような状況では、ビッグデータを最大限に活用するための効率的なデータ統合が課題となります。

ここでブロックチェーンの技術が、DXを支えるための強力なソリューションとして機能します。ブロックチェーンは分散型の台帳技術に基づいており、改ざんがほぼ不可能なデータベースを構築できます。したがって、複数の企業が独立して管理しているデータを一元化し、異なるフォーマットや基準の間でも信頼性を持って統合することを可能にします。データの真正性も担保されることで、企業間を横断するようなデータのやり取りであっても、「〇〇社だけセキュリティ要件が満たされていない!」というような穴も生まれにくい構造になっており、IT部門・セキュリティ部門のYESも比較的取り付けやすいでしょう。世界経済フォーラムの試算によると、2025年までに世界のGDPの10%がブロックチェーン基盤上に乗るとされています。この予測は、ブロックチェーンが単なる技術革新にとどまらず、経済や社会全体の基盤としての地位を築く可能性を示しています。

最後に、ブロックチェーン基盤上で管理・統合されたデータを処理するのがAIの役割です。ビッグデータ、とりわけIoTで集められたデータ群は、これまでデータ分析の領域が取り扱ってきたものよりも変数が多く、モデルも複雑化します。こうしたデータを取り扱う上では、ディープラーニングを始めとした機械学習モデルが有効です。例えば、メーカーの大規模工場におけるDXのプロセスでは、各機械で計測されたセンサーデータをもとに、勾配ブースティングなどの機械学習モデルによる「異常検知」(機械の誤作動による不良品生産等のミスが起こる確率と条件をモデル化)を行うことで、工場のオートメーションを推進したり、無駄なコストを省くといった改善が試みられる、といった具合です。こうした分析は工場ライン一つ一つを具に見ていくだけではなく、全ラインを統合した形での全体分析を行う必要があり、まさに膨大な量のビッグデータを処理しなければなりません。AI(機械学習)は、こうしたデータ分析を実現する有効な手段といえます。

このように、IoT、ブロックチェーン、AIは、データの収集→管理→分析という一連の流れでそれぞれに長所を発揮しつつ、相互補完的な役割を果たす関連技術であると見ることができるのです。

DXでブロックチェーンが果たす重要な役割

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先にみたデータの収集→管理→分析という一連の流れの中で、地味ながらも非常に重要な役割を果たしているのがブロックチェーンによるデータの管理です。ビッグデータを活用してDXを実現するということは、ある一企業や企業内の一部門だけで完結する類のプロジェクトではなく、産官学、サプライチェーンにおける川上と川下、同業他社、生産者と消費者など、異なる立場(そして時には敵対する立場)にいる複数のプレイヤー間での協業が不可欠になってきます。また、取り扱うデータの総量が大きくなるにつれ、関係する人の数やプロジェクトの期間も増え、オペレーションエラー等のリスクが高まっていきます

しかし、その一方で、データ分析は非常に繊細な側面をもち、インプットするデータが少し変わるだけでアウトプットとなるモデルや仮説の精度が大きく左右されることも少なくありません。こうした前提条件のもとでは、複雑になりがちな管理をできる限りシンプルで、かつ、セキュリティ等のリスク要件を満たすような仕組みで解決できるような技術を採用する必要があります。ブロックチェーンは、こうした従来のデータベースでは解消が難しい複数の課題を解決しうるという点で、まさにDXにとってビッグデータを扱うのに打ってつけの技術なのです。

ここからは、ブロックチェーンの開発企業の目線から、ブロックチェーンの役割にズームしてDXを紐解いていきます。

ブロックチェーンの役割①:セキュアなデータ統合の仕組みを提供する

ビッグデータ利用にあたっての課題の一つに「データ統合」の問題があります。ビジネス上の価値があるデータは単体プレイヤーに閉じたものではなく、複数の異なるステークホルダーが持っているデータを統合した先にあります(例えば、口座のログイン情報は預金を引き出す上では金銭価値を持っている情報ともいえそうですが、ビジネスシーンではこうした情報は価値を持ちません)。

ここで問題となるのが、異なるデータベース間でのデータ共有における安全性の問題です。データベースが異なるということは、データを保存するフォーマットや構造化の方法、単位等、あらゆる要素が異なってきます。そうした諸データを統合することはそれ自体難度が高いばかりでなく、統合の際にデータを欠損する等のオペレーションエラーを誘発する原因にもなりえます。

さらに、仮にシステム上は統合が可能であったとしても、例えば競合関係にある複数社による統合が試みられるとした場合、誰が中心となって、どこまでのデータを、どういった権限のもとに共有するかという論点が生じます。こうした場合、各社が「もしかすると他社のいいようにやられて大切なデータまで取られるかもしれない・・」といった疑心暗鬼の状態に陥り、プロジェクト自体が頓挫してしまうケースも少なくありません。

こうした課題に対して、ブロックチェーンは極めて有効な解決策を提供します。ブロックチェーンは中央管理者を必要としない分散型の仕組みを持つため、データ管理の主体が特定の組織に偏ることなく、複数のプレイヤー間で透明性のあるデータ共有が可能です。すべての取引履歴やデータ変更は暗号化された上でチェーン状に記録されるため、不正や改ざんが事実上不可能になります。これにより、各ステークホルダーが「データの正確性」と「セキュリティ」に対する信頼を持ちながら、安心してデータ統合に参加できる環境が整います。

また、ブロックチェーンでは、データの一元化も効率的に実現されます。従来のように異なるデータベース間でデータを移動・変換する必要がなく、ブロックチェーン上で統一されたフォーマットのもと、直接的なデータ共有が可能となるため、統合の手間やオペレーションエラーのリスクが大幅に軽減されます。

例えば、サプライチェーン全体の効率化においては、生産者、物流業者、小売業者など、異なる立場にいる各プレイヤーが同じブロックチェーン上でデータを共有することで、リアルタイムの情報共有と透明性の確保が実現します。これにより、在庫管理の最適化や無駄の削減、トレーサビリティの確保といった課題を効果的に解決できるのです。

実例として、NTTデータが提供する「バッテリートレーサビリティプラットフォーム」が挙げられます。このプラットフォームは、業界全体でのカーボンニュートラル達成や資源循環型社会の実現を目指し、電動車向けバッテリーの製造から廃棄、再利用に至るまでのデータを統合的に管理・活用する基盤を提供しています。ブロックチェーン技術を活用して異なる企業間でデータの共有や連携を安全かつ効率的に行うことで、カーボンフットプリントの管理やデータ主権の確保、スマートコントラクトによる効率的な運用が可能となっている点が特徴です。

出典:NTTデータ「産業データの安全な流通を実現する連携プラットフォームの提供開始」

この仕組みは、欧州連合(EU)の新しい規則である「電池規則」にも対応しています。この規則では、2027年以降のバッテリー販売において、ライフサイクル全体でのCO₂排出量の算出と開示が義務化され、さらに再生原料の利用率や適正処理の証明などが求められます。NTTデータは、日本政府主導で2023年に設立された、ブロックチェーン基盤で規制対応や産業競争力の向上を目指すコンソーシアム「ウラノス(URANOS)」にも参画しており、同プラットフォームを通じてバッテリーのトレーサビリティやサプライチェーン全体の脱炭素化を支援しています。

今回のNTTデータの取り組みはまさに、利害関係が複雑に絡み合う異なるステークホルダー間でデータ統合を行なっていくことの可能性を示しているといえるでしょう。このように、ブロックチェーンは、「セキュアなデータ統合の仕組みを提供する」という重要な役割を果たしています。

ブロックチェーンの役割②:データの真正性を担保する

ビッグデータ利用にあたっての別の課題として、「データの真正性」の問題も発生しています。データの真正性とは、「取り扱うデータが欠損や改ざん等の欠陥のない正しいものかどうか」を表す概念です。先述したように、データ分析の精度を大きく左右するのは、実は分析そのもの以上に、データの真正性であるとされています。なぜなら、AIではデータをインプットとして関数を組み、精度の高いモデルを生み出すことを目的としているため、インプットであるデータが間違っていたら、当然、結果も間違ったものができてしまうからです。そのため、データ分析の世界においては、データ自体の真正性をなんとか担保する試みとして「データの前処理」という工程が最も重要視されています。

一方で、取り扱うデータの総量や関わる人間の数、プロジェクトの予算等が大きくなればなるほど、何かしらのヒューマンエラーであったり、悪意のある第三者によるデータ改ざんの攻撃を受けやすくなります。データの前処理では、ある程度の欠損等には対応しうるものの、データの真正性自体を正確に担保することはできません。したがって、収集したデータを管理する時点で、改ざん等のリスクを減らす仕組みを導入する必要が出てくるのです。

こうした課題に対してブロックチェーンでは、先述のハッシュ値やナンスを用いたデータ管理や、個々のデータ履歴自体へのセキュリティ(秘密鍵暗号方式)、コンセンサスアルゴリズムと呼ばれる合意形成のルールといった複数の仕組みによってデータを分散管理し、すべての取引履歴が暗号化された状態で記録されます。このデータは一度記録されると改ざんがほぼ不可能であり、誰がどのタイミングでデータを書き込んだのか、その履歴がすべて残る仕組みになっています。これにより、データの透明性と信頼性が高まり、複数の企業や組織が同じデータ基盤を参照する場合でも、データの真正性について疑う余地がなくなります

例えば、食品産業においては、農場から加工工場、物流、そして店舗に至るまでのすべての流通プロセスをブロックチェーン上で記録することで、製品のトレーサビリティが担保されます。消費者は商品に付与されたQRコードをスキャンするだけで、その製品がどこで作られ、どのように流通してきたのかを簡単に確認できるようになります。この透明性は、食品安全の確保や企業の信頼性向上に大きく貢献します。同様に、医療業界では患者の診療データや治療履歴を安全に共有することで、医療機関同士の連携がスムーズになり、適切な診断や治療が迅速に行われる環境が整備されるでしょう。

ブロックチェーンによるデータの真正性担保の実例として挙げられるのが、旭化成とTISが共同開発した偽造防止ソリューション「Akliteia(アクリティア)」です。このソリューションは、旭化成が開発したサブミクロン(0.001mm以下)解像度の特殊パターンを印刷した透明な偽造防止ラベルを真贋判定デバイスでスキャンすることで、作品や鑑定書の真正性を確認することができるというものです。

出典:PR TIMES「偽造防止デジタルプラットフォーム「Akliteia」を美術品の真贋鑑定に活用開始」

このスキャンデータは、TISがブロックチェーンプラットフォーム「Corda」を活用して構築したクラウドサービス「Akliteiaネット」に記録されるため、改ざんが不可能な形で情報が保存されます。データの真正性が特に要求される美術品の真贋判定にも用いられており、棟方志功作品の鑑定を行う「棟方志功鑑定登録委員会」では、偽造や贋作への転用リスクが高い従来の紙の鑑定書から同システムに乗り換えたことで、作品損傷や過去の鑑定履歴の管理、偽造品の発生状況をサプライチェーン全体で確実に共有することが可能になりました。サプライチェーン全体で偽造品発生状況を共有することで、被害の定量的な把握や可視化も可能となるため、どの段階で偽造品が多く混入されたかなど、被害実態の定量的な把握・可視化が行えるようになります。Akliteiaは、美術品分野に限らず、他の業界における製品の真正性担保やサプライチェーンの信頼性向上にも応用可能なソリューションとして、ブロックチェーンの実用性を示す一例です。

このように、ブロックチェーンは単にデータを保存する技術ではなく、その真正性や信頼性を担保する仕組みとして、ビッグデータ活用における「根幹」を支える役割を果たしています。DXにおいては、データを「ただ集める」だけでなく、そのデータがいかに正しく信頼できるものであるかが問われる時代です。ブロックチェーンの導入は、企業や組織間の信頼を築き、DXのプロジェクトを確実に推進するための基盤になるといえるでしょう。

ブロックチェーンの役割③:フィジタルな価値を創出する

DXが目指す変革の本質は、単なる効率化や業務改善にとどまらず、デジタル技術によって「新たな価値」を社会に創出することにあります。DXの提唱者であるエリック・ストルターマン教授によると、DXでは「美的価値」が中心的コンセプトとして位置づけられており、物理的な世界(フィジカル)と心理的・感情的な世界(メンタル)がデジタルが融合することで、いかに「フィジタル(フィジカル+メンタル)」な価値をユーザー体験として提供していくかという点にも触れられています。ブロックチェーンを活用したDXでは、NFT(Non-Fungible Token)がその鍵を握っています。

NFTとは、デジタルデータに唯一無二の「本物」としての価値を付与し、所有権や取引履歴を証明できる仕組みです。従来、デジタルデータは簡単にコピー・改変できることから、希少性や真正性を確立することが難しいとされていました。しかし、ブロックチェーン技術によるNFTは、データの改ざんが不可能であること、所有者や取引履歴がすべて暗号化されて記録されることから、デジタルデータに「唯一性」と「真正性」を付与し、信頼できる資産としての価値を生み出すことができます。

こうしたNFTの持つ特性は、現代のDXが求める「共感」「応援」「参加」「共同」という新しい社会的価値の創出と重なります。例えば、アート作品や音楽、ゲーム内のアイテムがNFT化されることで、アーティストやクリエイターとファンが直接つながり、そのつながりを通じて新しい経済圏やコミュニティが生まれています。デジタル空間で手に入れたNFTは、単なる所有物ではなく、「本物」に触れる喜びや、クリエイターを応援するという心理的な価値も含んでいます。これは、DXが追求する新たな体験価値の創出に他なりません。

NFTによる新たな価値提供の事例としては、NBA Top Shotが挙げられます。NBA Top Shotは、アメリカのプロバスケットボールリーグであるNBAの試合中の名場面を「モーメント」としてNFT化し、ファンがこれを購入、収集、取引できるプラットフォームです。このサービスはDapper Labsが開発したブロックチェーン「Flow」を基盤としており、高速かつ手軽な取引が可能で、これまでにない形でバスケットボールの魅力をデジタル空間に広げています。

出典:Forbes「NBA Top Shot Mints A Unicorn: How An Ethereum Competitor Cashed In On The NFT Craze」

NBA Top Shotでは、各モーメントがNFTとしての唯一性を持つため、収集家たちは自分のコレクションに希少性を見出し、その所有権を他者に証明することができます。ファンはお気に入りの選手やプレーのNFTを所有することで、単なる映像データを超えた「価値」を体感できるのです。また、取引市場がプラットフォーム内に整備されているため、NFTの売買を通じてコレクター同士の交流が生まれるなど、新しい形のコミュニティも形成されています。たとえば、ある名場面のNFTが高額で取引されるケースでは、バスケットボールファンの間でそのプレーや選手に対する注目が高まり、物理的なグッズとは異なる次元での「応援」が実現されています。

このように、ブロックチェーン技術を基盤とするNFTは、フィジカルとデジタルを融合した「フィジタル」な世界を具現化し、DXが掲げる「美的価値」や新たな体験価値の創出を支える役割を果たしています。ユーザーサイドに喚起される共感やつながりの意識、そして「本物」に触れる喜びは、デジタル技術が単なる効率化ツールではなく、人々の生活や社会を豊かに変革するための手段であることを示しているのです。

まとめ

ビッグデータの分析・活用はIoTに対する鍵であり、本質です。ブロックチェーンはIoTの可能性を広げる技術の一つとして期待されており、今後さらに多様なIoTとブロックチェーンの組み合わせが生まれていくと思います。将来的に、ブロックチェーンとIoTがどのようなサービスに変化するのか、その動向に注目です。

トレードログ株式会社では、非金融分野のブロックチェーンに特化したサービスを展開しております。ブロックチェーンシステムの開発・運用だけでなく、上流工程である要件定義や設計フェーズから貴社のニーズに合わせた導入支援をおこなっております。

ブロックチェーン開発で課題をお持ちの企業様やDX化について何から効率化していけば良いのかお悩みの企業様は、ぜひ弊社にご相談ください。貴社に最適なソリューションをご提案いたします。

【2025年最新版】カーボンクレジットとは?種類や企業に与える影響、最新動向までわかりやすく解説

現在、地球温暖化をはじめとした環境問題の解決を目指し、多くの企業がカーボンニュートラルの実現へ向けて対策に取り組んでいます。一方、自社だけで削減目標を達成できる企業ばかりではないため、「カーボンクレジット」のような排出権・排出枠を取引する制度を用いることで、より多くのプレイヤーが環境活動に参加できる下地が整いつつあります。

気候変動対策として近年注目を集めている同制度ですが、その概念は一見すると複雑であり、多くの人が正確な仕組みや意義を理解しているわけではありません。そこで本記事では、基礎知識から盲点となるポイント、国内外の事例も絡めてカーボンクレジットについてイチから解説します。

目次

カーボンクレジット=温室効果ガス(GHG)排出をオフセットするための手段の一つ

カーボンクレジットの定義には様々なものがありますが、一般的には「温室効果ガス(GHG)削減・吸収量に対して一定のルールに基づいた定量的な価値を設定し、取引可能な形態にしたもの」を指します。多くの場合、「排出削減証書」「排出許可証」のような形で発行され、証券のように売買されます。

カーボンクレジットの主な目的は、クレジット利用者の間で環境価値を取引できるようにすることで

  1. 努力しても削減しきれないGHG排出量を相殺する
  2. 脱炭素プロジェクトに資金を供給する
  3. カーボンニュートラル実現に向けたアクションのハードルを下げる

の三点を実現することです。

特に、ある企業が排出削減努力を尽くしてもやむを得ず排出してしまうCO₂の相殺(オフセット)を目的としたカーボンクレジット利用は年々取引量を増加させ、大手企業の間でも十分にその重要性が認知されています。

当初は「炭素排出量削減を促すためのルール」「政府からの規制的アプローチ」という見方もあったカーボンクレジットですが、企業による自主的な取引がここ数年で急拡大している影響で、世界のクレジット発行量・無効化量は増加傾向にあります(下図)。

出典:「カーボン・クレジット・レポート(経済産業省)」より作成

カーボンニュートラルとの違い

カーボンクレジットと混同されがちな概念に「カーボンニュートラル」があります。カーボンニュートラルとは、企業や個人、国などが活動において排出するGHGの量を、削減や吸収によって実質ゼロ状態にすることを指します。つまり、具体的な取り組みというよりは「目標」に近いニュアンスで、日本を含む120以上の国・地域が、2050年までのカーボンニュートラル実現を目標として宣言しています。

2050年がタイムリミットとなっている理由は、地球温暖化の研究を行う政府間組織であるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が、「地球の温度上昇を抑えるためには2050年近辺までにカーボンニュートラルを実現する必要がある」と報告しているためです。

このようにカーボンニュートラルは具体的なアクションを持たず、カーボンクレジットとは似て非なる概念ですが、政府がカーボンニュートラルへの取り組みを推進する方針を固めている以上、企業にとってはどちらも環境経営における重要なキーワードであるといえます。

カーボンオフセットとの違い

カーボンオフセットもまた、カーボンクレジットと密接に関わる概念です。カーボンオフセットは「ある場所で排出されたGHGを他の場所での削減活動で相殺すること」を指します。

多くの企業・団体が、カーボンニュートラルに向けた目標を設定し、事業の在り方を工夫するなどして、排出量を削減するための取り組みを行っているものの、どうしても自社・自団体で行う排出削減の取り組みでは達成しきれない部分が出てくる場合があります。そのような場合に、他社・他団体が達成した削減実績を排出権・排出枠として購入することで、結果的に排出量の相殺が行われるという仕組みです。この「購入」の際にカーボンクレジットをやり取りしているのです。

つまり、「カーボンニュートラル」「カーボンオフセット」「カーボンクレジット」の関係を整理すると、「カーボンニュートラルの達成のためには、GHG排出量そのものの削減とカーボンオフセットという2つのアプローチがあり、カーボンオフセットにおける売買の仕組みには、カーボンクレジットが用いられている」とまとめられます。

カーボンクレジットの取引制度とは?

カーボンクレジットの取引制度は、企業や国がGHGの排出量を減らすために重要な役割を担うシステムです。この制度には排出削減を促進し、効率的に排出量を管理するためのさまざまなルールと仕組みが存在しています。特に、企業が排出量削減に向けたアクションをとるにあたって取引制度の知識と理解は欠かせません。ここでは、主に二つの代表的な取引制度「ベースライン&クレジット」と「キャップ&トレード」を中心に、その仕組みと特徴について解説します。

ベースライン&クレジット

出典:中産連マネジメント研究所

ベースライン&クレジットは、排出量を取引するという考え方です。この制度の下では、低効率ボイラーの更新や太陽光発電設備の導入、森林管理プロジェクトといった削減努力により、プロジェクトがなかった場合の見通し(ベースライン)以下に抑えた排出量をクレジットとして発行できるという仕組みとなっています。

カーボンクレジットを創出した事業者は、クレジットを他の企業に対して販売することで販売収益を得ることができるため、自らの削減努力を資金化しやすいという点で排出削減への動機付けとなることが期待されています。

事業者の環境活動に柔軟性を持たせるこの制度は、特に途上国の排出削減プロジェクトや先進国の技術移転を含むプロジェクトで適用されており、同方式の代表例は、京都議定書のクリーン開発メカニズム(Clean Development Mechanism:CDM)や共同実施(Joint Implementation:JI)などがあります。日本においては環境省、経済産業省、農林水産省が運営している「J-クレジット制度」も、これに該当します。

キャップ&トレード

出典:中産連マネジメント研究所

一方、キャップ&トレードは、排出枠を取引するという考え方です。政府や自治体が中心となって特定の業種や産業ごとに許容される排出上限量(キャップ)を設定し、総排出量が割り当てされた排出枠を下回った事業者がその余剰排出枠を売却することができるという仕組みになっています。

排出枠に余裕のある排出者が、その余剰分をクレジットとして売却できるという点はベースライン&クレジットと同じですが、排出者に義務的な排出枠を設定することを前提としているため、目標削減量が不足している場合には、企業はクレジットを購入して排出枠を確保しなければならないという半強制的な力があるのが特徴的です。

経済的なインセンティブと法的拘束力を組み合わせたこの制度は基本的に公的機関によって発行されるカーボンクレジットに導入されており、京都議定書の排出量取引や EU域内排出量取引制度(The European Union Greenhouse Gas Emission Trading Scheme:EU-ETS)などがその代表例となっています。

カーボンクレジットの分類とは?

カーボンクレジットの取引が行われる市場は大きく2種類に分類されます。どちらの市場も「1クレジット=1t-CO2e」という排出量を基に取引が行われるものの、それぞれの分類が異なるルールや目的を持つため、カーボンクレジット市場全体を理解するにはこの分類を正確に把握することが重要です。

コンプライアンス市場

コンプライアンス市場は、法的義務に基づいた排出削減を行うためのカーボンクレジット取引を対象とした市場です。政府や国際的な取り決めによって排出削減義務が課される企業や国が、規定された排出量を守るためにクレジットを取引する仕組みが中心となっています。

この市場の特徴は、規制の遵守が取引の目的となる点にあります。各国の法規制や国際的な協定、例えば、京都議定書やパリ協定に基づく排出削減目標に対する義務を果たすためにクレジットが活用されます。企業は規制当局によって課された排出上限を守る義務があるため、脱炭素化への取り組みを避けることはできず、また、こうした法的枠組みの中で発行されるクレジットは、信頼性の高い測定、報告、検証(MRV)プロセスが求められるため、取引に参加するプレイヤーは一定の厳格な基準を満たす必要があります。

したがって、取引されるクレジットは規制当局によって厳しく監視され、取引データや排出実績が公的に報告されており、参加者間の信頼が確保されているため、取引の不正や不透明な排出量削減プロジェクトが起こりにくいという特徴があります。

実際に、2005年に導入されたEU域内排出量取引制度(EU-ETS)では、欧州内の大規模排出源である発電所や産業施設に対して排出上限が課され、2019年までの間に排出量を35%削減するという実績を挙げています。このように、コンプライアンス市場は特定の産業に対して強制力を持って排出を削減するための強力な手段として世界各国で導入が進んできた市場です。

ボランタリー市場

一方、ボランタリー市場は、法的義務ではなく、企業や個人の自主的な参加によって取引が生まれる市場です。この市場では、企業、団体、個人が環境意識を反映して排出削減やオフセットのために1t-CO2eに相当する削減や吸収が見込まれるカーボンクレジットを自由に売買し、ネットゼロやカーボンニュートラルを目指すために活用されます。

この市場の魅力は、多様なプロジェクトがクレジットの発行元となることです。例えば、再生可能エネルギーの推進や森林保護、途上国のクリーン調理器具の普及など、幅広い取り組みがクレジットの基盤となります。また、こうしたプロジェクトは、環境だけでなく社会的な共益ももたらすため、多くの企業や団体がCSR活動の一環として利用しています。

世界銀行発表のレポート「State and Trends of Carbon Pricing 2024」によると、2023年のボランタリークレジットの発行量は324.4MtCO2e、取引額は約6億6500万ドル、取引量は102.5MtCO2eとなっています。このことからも、企業が法的な枠組みに縛られることなく、ブランド価値の向上やESG目標達成を目的として積極的にボランタリークレジットを活用していることがわかります。

しかし、ボランタリー市場には多様なクレジットが存在し、その信頼性や効果が疑問視されることが少なくないため、「VCS(Verified Carbon Standard)」や「ゴールドスタンダード(GS)」といったクレジットの発行基準が存在します。これらの基準は、発行プロセスにおける透明性を確保しつつ、環境価値の信頼性を維持するための仕組みを提供しており、消費者向け製品のカーボンオフセットやカーボンニュートラル達成をアピールする場面でも活用されています。

コンプライアンス市場とボランタリー市場の相互関係

両者の違いを整理すると以下のとおりです。

同じカーボンクレジットでも、意思決定の主体によって異なる活用先・目的を持っており、コンプライアンスクレジットの強制力とボランタリークレジットの柔軟性をうまく生かしながら、それぞれの最適な領域でカーボンニュートラルを促進していくことが期待されます。

さらに、近年では両者が連携するケースも増えています。法規制のない地域や産業でボランタリー市場が排出削減活動を促進し、その後規制が導入されることでコンプライアンス市場に組み込まれるようなケースです。

実際に、国際民間航空機関(ICAO)が策定したCORSIA(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for International Aviation)というスキームでは、航空業界で排出削減義務を果たすために、主にボランタリー市場からのカーボンクレジットを利用していますが、第2フェーズにあたる2027年以降は、ICAO全加盟国が基本的に参加を義務付けられるというフェーズになるため、コンプライアンス市場とボランタリー市場が融合しながらの運用が予定されています。

需要家にとっては、ボランタリー市場で削減クレジットを購入し、自社の削減義務を補完する形でコンプライアンス市場に活用することで、柔軟な対応が可能となるため、今後はこうした相互補完的な関係性が、市場全体の拡大を後押ししていくと考えられます。

企業におけるカーボンクレジットのメリット

カーボンクレジットは、環境への責任を果たすだけでなく、企業にとって経済的・社会的なメリットをもたらす重要なツールです。これにより、企業は脱炭素社会への移行を促進しつつ、自社の成長戦略を強化することが可能になります。以下では、企業がカーボンクレジットを活用することで得られる主要な利点について詳しく解説します。

創出したクレジットを販売して売却益を得られる

カーボンクレジットを売却することで得られる収益は、単にプロジェクトのコスト回収にとどまらず、未来志向の研究開発を推進する資金としても役立ちます。特に、森林保全プロジェクトや再生可能エネルギー導入のためのインフラ整備など高額な初期投資を要する取り組みにおいて、カーボンクレジットによる継続的な収益性は、企業の非財務目標を達成するための重要な支えとなっています

2030年までに多くの企業がネットゼロや中間目標の達成を公約している現状、そしてコミット期限が近づくほど公式な排出量管理が厳格化されるという予測などを考慮すると、クレジットの需要と余剰するクレジット量は反比例することになるため、今後クレジットの市場価格は高騰することはあっても大きく下落することは考えづらいです。

したがって、早期からカーボンクレジットに取り組んできた企業や販売を前提としたクレジットの創出プロジェクトは、より付加価値が高まり、収益性がさらに強化されるでしょう。特に、CO2除去技術(DAC: Direct Air Capture)の商業化や、長期的な炭素貯留プロジェクトは、先に述べた市場の活性化によって金のなる木へと進化する可能性を大きく秘めているといえます。

温対法等の報告やRE100などの諸制度に活用できる

カーボンクレジットは、企業が国内外の環境関連規制や国際的な脱炭素イニシアチブの要件を満たすために重要な役割を果たしています。例えば、日本の温対法(地球温暖化対策推進法)に基づく報告義務に対応する際、クレジットを活用することで、自社の削減実績を効果的に補完することが可能です。これにより、事業活動の継続性を確保しながら、規制を順守する形で持続可能なビジネスモデルを維持することができます。

さらに、RE100やSBTi(Science Based Targets initiative)といった国際的な脱炭素目標に向けた枠組みにもカーボンクレジットは応用可能です。RE100では再生可能エネルギーへの完全移行を目指す企業が増えていますが、その目標達成までの期間における不足分を補う手段としてカーボンクレジットが効果的に機能しており、同様に、SBTiでは排出削減目標を科学的根拠に基づいて設定する必要があるものの、短期的に対応が困難な削減目標についてもクレジット活用が現実的な解決策となっています

投資家や消費者に対してESG経営をアピールできる

カーボンクレジットの活用は、企業がESG評価を向上させ、投資家や消費者からの支持を獲得するための強力な手段となっています。特に欧州や北米を中心に、ESG指標に基づく投資が拡大する中、カーボンニュートラルの実績や取り組みの具体性は、企業価値に大きな影響を及ぼしています。

例えば、EUの「サステナブルファイナンス開示規則(SFDR)」では、環境関連の目標設定とその進捗状況が厳格に開示される必要があり、これが投資家の判断材料となっています。同様に、米国ではSEC(米国証券取引委員会)が気候関連の情報開示を義務化する規則案を進めており、企業はより詳細な排出削減データの提供が求められています。このような背景において、クレジットを活用して削減実績を明確に示すことが、資本市場での競争優位性を確立する手段となっています。

また、消費者の購買行動にも大きな影響を与えています。特にZ世代を中心とした新しい消費者層は、環境配慮型の商品やサービスを積極的に選ぶ傾向があり、こうした世代に対して企業はカーボンクレジットを活用し、気候変動対策への具体的な取り組みを可視化することで、ブランドへの信頼性が向上し、リピーターやファンを増やすことが可能となります。

加えて、ブロックチェーン技術を活用したカーボンクレジットの透明性向上も進んでおり、報告制度への適合性が一層高まっています。こうした技術革新により、企業はクレジットの使用履歴や効果をより明確に示すことができ、ステークホルダーからの信頼を得ることが容易になっています。

企業におけるカーボンクレジットのデメリット

カーボンクレジットは、企業が環境目標を達成するための有力なツールですが、利用には課題や制約が伴います。これらを十分に理解し対応することは、持続可能な経営の観点からも重要です。

削減効果についてのMRV(計測、報告、検証)プロセスにおける不正が多発している

カーボンクレジットの信頼性を担保するためには、MRVプロセスが正確で透明性の高いものである必要があります。しかし、現状ではこのプロセスの多くが人力作業に依存しており、一部のプロジェクトでは、削減量が過大に報告されたり、既存の活動を新規プロジェクトと見なして不適切にクレジットを発行するケースがあります。

また、現状の認証プロセスでは、削減プロジェクトの実施内容やその効果を詳細に計測・報告する必要があり、承認に至るまでに長期間を要する場合が多いのが実情です。特に、削減プロジェクトの規模が小さい場合や資金に乏しいプロジェクトでは、必要なリソースを確保できないことが背景にあり、結果としてデータの改ざんや削減効果の誇張といった不正行為が発生しやすくなります。例えば、森林保護や再生可能エネルギー開発のように、早期の実施が重要なプロジェクトであっても、認証の遅れによって必要な資金が届かず、計画が頓挫するケースも報告されています。このような状況が続くことで、適切に評価されるべきプロジェクトが排除され、不正が横行しやすい環境が形成されるリスクが高まってしまいます。

さらに、プロジェクトの承認プロセスが地域や市場によって異なる点も問題を複雑化させています。途上国での削減プロジェクトは、国際基準に沿った認証を得るために高額な費用や高度な技術が必要になる場合が多く、不透明なプロセスを経てクレジットが発行されるケースも散見されます。その結果、正当な削減効果を示すプロジェクトが不当に評価されない一方で、不適切なプロジェクトが市場に流通する状況が発生しているのです。

需要家が購入判断をするために必要としている情報が不足している

需要家がカーボンクレジットを購入する際、その取引が自社の目標や価値観に合致しているかを評価するために、プロジェクトの詳細な情報が求められます。しかし、取引所を通じた取引では、その透明性が大きく制限されています。特に、取引所でのクレジットは流動性を確保するため、複数のプロジェクトをまとめた「方法論」「ヴィンテージ(発行年)」「排出係数」「創出元」などがカテゴリ単位で扱われ、個別の詳細がマスキングされることがあります。この仕組みは流動性を高める利点がある一方で、需要家にとっては購入判断に必要な情報が不足し、選択の自由度が低下するという課題を生じさせます。

一方で、マーケットプレイスやプロバイダを介した相対取引では、需要家が個別のプロジェクトを吟味し、環境価値や社会的インパクトを確認したうえで取引できるという利点があります。しかし、これには流動性が不足するリスクが伴い、市場価格が外部から見えにくくなるというトレードオフが存在します。これらの取引形態の選択肢にはそれぞれの課題があり、需要家は慎重な判断を迫られることになります。

国内におけるクレジットの法的性質について議論が成熟していない

日本国内では、カーボンクレジットの法的性質についての議論が十分に進んでいないため、取引における不透明さが問題となっています。例えば、クレジットの所有権の定義や取引後の法的責任の範囲が曖昧であることから、企業が長期的な戦略に基づいて活用する際に法的リスクが障壁となる場合があります。

また、クレジットの税制上の扱いについても不明確な点が多く、クレジット売却益や購入費用の税務処理もかなり複雑です。例えば、内国法人が他の内国法人に譲渡する場合、外国法人に譲渡する場合、外国法人から取得する場合、それぞれを有償・無償で取引する場合で課税や免税の仕組みも異なるというように、ガイドラインをもってしてもなお判断が難しいケースがあります。

クレジット市場の多様化に伴い、企業が今後実際に直面する状況は、さらに複雑化することが想定されます。したがって、クレジット関連取引の税務上の取扱いについては、使用目的などの事実関係を踏まえた上で、個別の検討も必要となるケースも増加するでしょう。これにより、特に中小企業にとっては市場参入のハードルも高くなっているといわざるを得ません。

複数の組織が同じ排出削減量を使用して削減を主張してしまう(多重カウント)

カーボンクレジットの注意点として、複数の主体によって同一の排出削減量が報告されてしまう多重カウントの問題も存在します。特に、近年散見されるようになってきたクレジットが付与されている製品については、販売企業や事業実施企業ではなく購入した消費者がオフセット主体となるべきものの、オフセット主体については取組実施者が任意に設定することが可能なため、実際の削減量よりも見かけの削減量が多くなってしまうのです。

こうした混乱を避けるためには申請者とオフセット主体を同一とすることが望ましいですが、マーケットに流通しているクレジットはトラッキングシステムを導入しているクレジットばかりではないため、根本的な解決は難しい現状です。

多重カウントのリスクは、カーボンクレジット市場の信頼性を著しく低下させる可能性があり、削減効果に対する信頼が揺らぐことで市場の成長が妨げられるため、早急な対策が求められています。

低コストでオフセットができると、企業の排出削減に対する意欲が低下する

これは制度運用上の課題というよりは、クレジットの本質に関する課題ですが、クレジットが比較的低コストで購入可能な場合、企業が自社内の排出削減努力を怠る可能性があります。特に資金的に余裕のある大企業であれば、大規模なGHG削減プロジェクトを立ち上げるよりもクレジットを買ってしまったほうが手っ取り早いということにもなりかねません。

このような状況は、特に環境規制が厳しくない地域で顕著になるでしょう。環境問題に取り組むよりも自国の経済成長を優先したい国では根本的な対策や技術革新が後回しにされ、短期的なコスト削減に依存する傾向が強まる可能性があります。

これらの課題を克服するためには、取引の透明性向上、法的枠組みの整備、そして企業内部での持続可能な取り組みの強化が不可欠です。市場価値を安定させ、「どうしても削減できない」という需要にピンポイントで応えることで、カーボンクレジットに依存しない、自社内での排出削減努力を優先するバランスの取れた戦略を持つ企業が育ってくるでしょう。

国内のカーボンクレジット

日本国内におけるカーボンクレジット市場は、政府主導の制度が多く、その運営は国際的な取り組みとは一線を画しています。日本特有の課題や強みを反映したクレジット制度が展開されており、企業や自治体が積極的に参加することで、排出削減目標の達成を目指しています。ここでは、代表的な「J-クレジット」と「Jブルークレジット」について詳しく解説します。

J-クレジット

出典:林野庁

J-クレジットは、経済産業省・環境省・農林水産省が共同で管理し、2013年から運用が開始されたカーボンクレジット制度です。この制度では主に省エネルギー、再生可能エネルギー、森林管理などを対象に幅広い分野で削減されたGHGを「クレジット」として認証し、国内での取引を可能にしています。

J-クレジット創出の認証対象となる活動は、環境省HPによれば主なものとして①省エネ設備の導入②再エネ導入③適切な森林管理の三つが紹介されていますが、「工業プロセス」「農業」「廃棄物」等の創出方法論も存在します。特に、農林水産分野ではこれまで森林管理が主体となってきましたが、近年では稲作の「中干し」という工程の日数を増やすことによるメタンガス排出削減が新たな方法論として認定されるといった柔軟な制度更新も行われています。

また、GXリーグの存在もJ-クレジット市場の成長を後押ししています。GXリーグは、2023年に経済産業省が創設した、企業が排出量取引を通じてカーボンニュートラルを目指すプラットフォームで、2024年4月時点で日本のCO2排出量の5割超を占める企業群が参画している巨大プロジェクトです。この構想では、企業間のカーボンオフセットの場として東京証券取引所に「カーボン・クレジット市場」が創設されており、試行的にJ-クレジットによる排出量取引がスタートしています。本格的な排出量取引は、現行の仕組みを強化して、2026年度ごろから稼働する予定です。

このように日本国内で広く活用されているJ-クレジットですが、温対法での報告や自主的なカーボンオフセットにおける活用にはすべてのクレジットの活用が可能な一方で、クレジットの種類によっては活用先の制限があるケースもあるため、最新の情報は環境省のサイトで確認すると良いでしょう。

Jブルークレジット

出典:PR TIMES

Jブルークレジットは、2020年にジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)が創設した、日本独自のブルーカーボンに特化したカーボンクレジット制度です。ブルーカーボンと呼ばれる、海草や藻類などの海洋生態系がCO₂を吸収・固定する働きを活用したCO₂削減・吸収プロジェクトを認証し、その成果をクレジットとして取引可能にする仕組みを提供しています。

具体的には、海草藻場の造成や保全、干潟の回復などが対象となり、昆布や和布といった海藻自体にに固定された炭素ではなく、海底や海水中に貯留された炭素量を認証するため、収穫されてもクレジットを創出できるといった独特の特徴があります。

令和4年度の承認件数は21件で、3,733.1t-CO2のCO2排出削減量が認証されるなど、承認件数は年々増加傾向にあり、ブルーカーボンの注目度が高まっています。一方で、クレジット取引量はそのうちの178.7トンt-CO2と、ごくわずかな量にとどまっています。これは、2023年11月時点の累積認証量が928万t-CO2を誇るJ-クレジットと比べると発行量が少なく、それ故に価格は高値で推移(2022年度には、1トンあたり平均78,036円という価格がついた。同年4月の再エネ由来J-クレジット平均取引価格は3,278円/トン)していることが原因です。

こうした課題に対してJBEは沖合に大規模な藻場を設置する計画を進めており、Jブルークレジットの大量創出による価格の安定化を目指しています。また、認証対象となるプロジェクトの種類を拡大し、地域経済や環境保護へのさらなる貢献を目指す取り組みも進行中です。

近年では、ブルーカーボンは国際的な枠組みでも注目されており、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の中でも海洋の役割が議論されています。Jブルークレジットの存在は、日本がこの分野でリーダーシップを発揮するきっかけとなる可能性を秘めているといえるでしょう。

海外のカーボンクレジット

グローバル市場におけるカーボンクレジット制度は、国際機関や各国政府が協力して温室効果ガス排出を削減するための重要な手段として運用されてるものに加え、日本国内ではあまり活発ではないボランタリークレジットの取引も盛んです。ここからは、海外における主要なカーボンクレジット制度であるCDM(クリーン開発メカニズム)、JCM(二国間クレジット制度)、VCS(Verified Carbon Standard)、GS(Gold Standard)について紹介します。

CDM(Clean Development Mechanism/クリーン開発メカニズム)

出典:林野庁「クリーン開発メカニズム(CDM)の基本ルール」

CDM(Clean Development Mechanism/クリーン開発メカニズム)は、先進国(付属書Ⅰ国)が途上国(非付属書Ⅰ国)において共同で気候変動の緩和に貢献するプロジェクトを実施し、追加的な排出削減があった場合に投資国(先進国)が自国の目標達成に利用できるカーボンクレジット(CER)を発行する制度です。国連気候変動枠組条約の第3回締約国会議(COP3)において採択された「京都議定書」の第12条に定められており、類似した他2つの仕組み(JIとGIS)と合わせて「柔軟性措置(または京都メカニズム)」と呼ばれます。

CDMプロジェクトには「排出削減CDMプロジェクト」と「新規植林/再植林CDM(A/R CDM)プロジェクト」の2つの種別があり、森林火災や枯死によって再排出の可能性がある新規植林/再植林CDM(A/R CDM)プロジェクトにおいては、GHG吸収の非永続性を解消するために短期期限付きクレジット(Temporary CER :tCER)や長期期限付きクレジット(long-term CER :lCER)のような期限付きのクレジットが発行されています。

削減量に応じて発行されたクレジットは、世界規模で売買が可能なものの、プロジェクトの実施が比較的簡単でコストも安いGHGの末端処理を行うプロジェクトに人気が集中したり、審査開始からクレジット発行までの期間が非常に長いといった様々な問題点も指摘されており、これらの課題を解消するため、後述のJCM(Joint Crediting Mechanism/二国間クレジット制度)活用や国連管理型のパリ条約6条4項メカニズムへの移行が検討されている状況です。

JCM(Joint Crediting Mechanism/二国間クレジット制度)

出典:マリモライフ

JCM(Joint Crediting Mechanism/二国間クレジット制度)は、日本と途上国間(JCMに関する二国間文書に署名したパートナー国)において優れた脱炭素技術、製品、システム、サービス、インフラ等の普及や対策を通じ、実現したGHG排出削減・炭素吸収・炭素除去についてカーボンクレジットを用いて定量的に評価する制度です。

パリ協定第6条2項で言及されている協力的アプローチの一つと位置づけられており、CDMでは京都議定書締約国やCDM理事会が一括してプロジェクトを管理していましたが、JCMでは当事者同士の「合同委員会」が管理する形を取っているので、より柔軟で迅速な対応が可能となっています。

先進的な低炭素技術の多くはコストが高く、投資回収の見込みが立てにくいという状況がある中で、先進国からの資金・技術提供を得て排出削減に取り組むことができる当制度は途上国からの期待も高く、2025年現在、すでに29か国と二国間文書について署名済みで、240件以上のJCM資金支援事業を行っています

一方、JCMで創出されたカーボンクレジットには協定を結んだ両国以外の国との制度的な互換性がなく、クレジットの利用範囲が国内に制限されています。したがって、今後はJCMのルールを各国間で少しずつ擦り合わせることで、クレジットの経済圏を拡大させていくような姿勢が求められています。

VCS (Verified Carbon Standard)

VCS (Verified Carbon Standard) は、WBCSD(World Business Council For Sustainable Development) や IETA(International Emissions Trading Association)などの民間企業が参加している団体によって2005年に設立された世界的なカーボンオフセット認証基準であり、現在は米国の非営利団体であるVerraによって開発・運営されています。

VCSの最たる特徴は、幅広いプロジェクトを認証の対象としていることにあります。認証対象にはエネルギーや工業プロセス、建設、輸送、廃棄物管理、農業、森林管理、草地や湿地の保全、家畜および糞尿管理など、多様な分野が含まれており、プロジェクト開発者が独自に提案する方法論を提案して新たな環境価値を創出することも可能です。

特に、森林減少や劣化を防ぐREDD+プロジェクトに対する認証については、VCSプログラムの下で開発された方法論のみを使用することができるとされており、自然環境と人々の生活を支える多面的な効果を生み出しています。

こうした点から市場におけるVCSのシェアも極めて高く、2018年のボランタリークレジット市場では66%という圧倒的なシェアを記録しました。これは、VCSが提供する透明性と信頼性、そして柔軟性が市場で広く支持されていることを示しています。VCSは、カリフォルニア州の排出量取引制度や国際航空業界の温暖化対策プログラムといったコンプライアンス市場においても活用が進んでおり、今後もその適用範囲が広がることが予想されます。

GS (Gold Standard)

GS (Gold Standard) は、2003年にスイスのジュネーブで設立された認証基準で、カーボンオフセットおよび再生可能エネルギープロジェクトに特化しています。VCSと並ぶ代表的なボランタリークレジット制度の一つであり、この基準の策定には世界自然保護基金(WWF)をはじめとする国際的な環境団体が深く関与しています。

GSの最大の特徴は、炭素排出削減効果の実現と同時に、地域社会や環境に対する付加価値を生み出すことを重視している点にあります。プロジェクトの認証には、地域コミュニティの福祉向上や経済的利益への貢献が求められるため、再生可能エネルギーの普及やエネルギー効率化、持続可能な農業、植林、クリーンな調理技術の導入など、多岐にわたる分野のプロジェクトが対象となっています。

また、GSは単にVerified Emission Reduction (VER、第三者認証排出削減量) を発行するだけでなく、地域社会や環境に貢献するCDMプロジェクトを認証し、その価値を高める取り組みも行っています。地元共同体への貢献や持続可能な開発を促進するプロジェクトに対し、GSが特別な認証を付与することで、単なる排出削減の枠を超えた社会的および環境的価値を付加しています。

さらに、GSは国連の持続可能な開発目標(SDGs)との連携を重視しており、プロジェクトが具体的にどの目標に貢献しているかを明示する仕組みが整っています。これらの特徴により、GS認証プロジェクトは他の認証基準と比較して社会的意義がより高いと評価されています

その名が示すとおり、GSはかつての金本位制のように、価値と信頼の象徴として市場を牽引し、揺るぎない基準を提供し続けています。

まとめ:カーボンクレジットを活用して脱炭素社会を実現しよう

カーボンクレジットは、企業や国がカーボンニュートラルの実現に向けて、温室効果ガス(GHG)排出量を相殺しつつ持続可能な未来を目指すための有力なツールです。コンプライアンス市場とボランタリー市場の両方がそれぞれの特性を活かし、企業の脱炭素戦略を支えています。また、クレジットを活用することで、環境保全だけでなく、ブランド価値向上や経済的メリットの創出など、多面的な効果が得られます。

2025年以降、さらに厳格化が進む環境規制や脱炭素イニシアチブに対応するためにも、今からカーボンクレジットの活用を積極的に検討し、持続可能な社会の構築に貢献することが重要です。未来のために、企業としてどのような形でカーボンクレジットを活用できるか、改めて考えてみましょう。

太陽光発電のPPAモデルとは?仕組みやメリットを解説!

太陽光発電の導入を検討する際、初期費用やメンテナンス費用がかからないPPA(Power Purchase Agreement)モデルが注目されています。特に企業においては、自家消費のエネルギーを再生可能エネルギーにシフトしたいというニーズが高まっているため、今後ますますビジネスシーンでの普及が予想されています。

そこで本記事では、PPAモデルの仕組みや、そのメリット・デメリット、さらにはどのような種類があるのかを詳しく解説していきます。ではまず、PPAモデルとは何かについて説明していきましょう。

PPAモデルとは?

出典:太陽光設置お任せ隊

PPA(Power Purchase Agreement:電力販売契約)モデルとは、需要家がPPA事業者(太陽光発電の事業者)と契約して太陽光発電システムを初期費用ゼロで設置し、発電した電力を自家消費するのではなく、PPA事業者に対して使用した電気量の代金を支払うモデルです。企業が小売電気事業者や発電事業者と長期契約を締結し、再エネ電力を購入できる仕組みとして活用されており、「コーポレートPPA」の名称で呼ばれることも多いです。

また、第三者が保有する太陽光発電システムを通じて発電された電力を契約によって購入する仕組みであるため、「第三者保有モデル:Third Party Ownership(TPO)」とも呼ばれています。

この説明だけ聞くと、「自分の土地に太陽光を設置したのに電気代は発生し続けるの?」という疑問が浮かぶかと思います。しかし、PPAモデルで太陽光発電設備を導入した企業には初期費用や保守メンテナンスなどの維持費はかかりません。そればかりか、再生可能エネルギーの利用することで様々なメリットもあります。

ここからは、こうしたPPAモデルのメリットについてさらに詳しく見ていくことで理解を深めていきましょう。

PPAモデルのメリット

PPAモデルの主なメリットは、下記の4つです。

  • 初期費用・メンテナンス費用を抑えられる
  • 電気代の負担を減らせる
  • CO2排出量の削減になる
  • 契約期間が満了した際に設備が譲渡される

順番に解説していきます。

初期費用・メンテナンス費用を抑えられる

出典:Shutterstock

PPAモデルの最大のメリットは、初期費用やメンテナンス費用を抑えられることです。事業用の太陽光発電設備を導入する場合、規模によって費用相場には幅があるものの、小規模なものでも数百万円以上かかることも珍しくありません。また、太陽光パネルの強度についてはJIS規格で厳格な条件が定められていますが、雹や冠水などによって故障するケースもあり、高額の投資を行ううえでは不安もあります。

一方、PPAモデルでは先に説明してきたように、発電システムの設置やメンテナンスはPPA事業者が行います。当然、その際の費用もPPA事業者が負担するため、契約者はシステム運用にかかるコストや天災によるリスクを避けることができます。したがって、資金に余裕がない企業であっても銀行から融資を受けることなく、高額の産業用の太陽光発電システムを導入できます。

さらに、運用コストが発生しないことは会計上のメリットももたらします。たとえば、PPAモデルで設置した太陽光発電システムは資産計上の必要がありません。電気代の支払先が電力会社からPPA事業者に変わるだけに過ぎないため、事業の財務諸表から切り離して処理することができ、再生可能エネルギーを調達しながらバランスシートの改善にも期待できるというわけです。

こうした費用面でのメリットは、企業がPPAを検討する最大の理由になっています。

電気代の負担を減らせる

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PPAモデルを採用することで、電気代の負担を軽減できることも大きなメリットの一つです。通常、電力会社から供給される電気には再エネ賦課金や、電力市場における価格変動リスクが含まれています。とくに、電力会社が買い取っている再エネ由来の電力について、電気を使用するすべての消費者が電気料金と一緒に負担している再エネ賦課金は、以下のように近年、負担が増加傾向にあります。

年度買い取り単価
2018年度2.90円/kWh
2019年度2.95円/kWh
2020年度2.98円/kWh
2021年度3.36円/kWh
2022年度3.45円/kWh
2023年度1.40円/kWh
2024年度3.49円/kWh

その点、PPAモデルでは再エネを自家発自家消費したとみなされるため、再エネ賦課金が課されません(後述するオフサイトPPAモデルでは再エネ賦課金が発生します)。長期的に発生するコストを削減できるという点は企業にとって非常に大きなポイントです。

また、電力市場では需要や供給状況、国際的な燃料価格の影響を受けて電気料金が変動しますが、PPAモデルでは、一般的に電気料金は固定単価であり、電力会社の電気料金のように変動しません。契約時に決められた価格で電力が供給されるため、仮に市場価格が急騰しても、PPA事業者との契約価格は変動せず、電力コストが予想外に膨らむリスクを回避できるでしょう。

このように、初期費用・メンテナンス費用に加えて月々の電気料金に関しても、PPAモデルには導入するだけの利点があるといえます。

CO2排出量の削減になる

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PPAモデルは、企業のCO2排出量削減にも大きな影響を与えます。太陽光発電によって生成される電力は、化石燃料に依存しないため、CO2の排出がほぼありません。そのため、企業は直接的に自らのCO2排出量を減少させることが可能です。

また、PPAモデルを通じて導入される太陽光発電システムは、LCA(ライフサイクルアセスメント)の観点からも環境に優れています。LCAは製品やシステムが製造から廃棄されるまでの環境負荷を評価する手法で、太陽光発電はその運用期間中に発生するCO2排出量が極めて低いため、一般的な発電システムと比較しても環境に与える影響が少ないとされています。

現在、多くの企業では持続可能な発展を目指して環境負荷を削減する取り組みが求められています。特に、国際社会の潮流である「RE100」を目標に掲げる企業は、自らの事業活動におけるエネルギー消費を100%再生可能エネルギーに転換することが急務となっています。

「RE100」に加盟すれば、環境問題への意識の高さを消費者に示せるだけでなく、SDGs達成への貢献やCSR活動といった脱炭素経営・環境経営に取り組む企業が選ばれる「ESG投資」を呼び込みやすくなる面もあるため、こうした点は環境経営を進める企業にとって大きなメリットとなるでしょう。

契約期間が満了した際に設備が譲渡される

出典:Shutterstock

PPAモデルでは第三者が太陽光発電システムの所有権を持っていると説明しましたが、多くのPPA契約では、契約期間の満了後に発電システムが需要家に譲渡されることになっています。この仕組みを利用することで、契約終了後には設備が無償または低価格で手に入り、それ以降は完全に自社の資産として活用することが可能になります。

契約期間中はPPA事業者のメンテナンスによってコンディションが十分に維持されているため、譲渡後も一定の発電能力を有しており、それ以降の運用については自家消費として発電される電力を無料で使用できるため、電力コストのさらなる削減にも期待できます。

このように、契約終了後も企業のエネルギー自給率を高め、持続可能な事業運営を続けていくための基盤を築くことができるという点もPPAモデルならではの特徴だといえます。

PPAモデルのデメリット

前述の通り、コストを抑えて再エネ移行を進めていきたい企業にとっては良いことずくめに見えるPPAですが、どのようなシステムにもメリットと同時にデメリットが存在し、PPAモデルも例外ではありません。

PPAモデルの主なデメリットは、下記の4つです。

  • 長期契約が必要
  • 自己所有型よりも月々の節約額が少ない
  • 設置場所に制約がある

順番に解説していきます。

長期契約が必要

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契約形態はPPA事業者によっても異なりますが、10年以上の長期契約を結ぶことが一般的です。しかし、これだけの期間ともなると、契約期間中に発電技術が大きく進展する可能性もあります。たとえば、太陽光発電システムの発電効率が大幅に向上したり、他の再エネ技術が普及することで、現在の契約が割高になる恐れもあります。そうした場合でも、毎月固定の価格で電力を継続購入しなければならないため、電力購入の費用やシステムの譲渡条件などに細心の注意が必要です。

さらに、契約期間中に解約する場合にはほとんどのケースで違約金が発生することになります。発電設備が自社の敷地にあるとしても、その所有権は別のところにあるため、勝手に移動や撤去ができないことに注意が必要です。導入企業においては自社物件の取り壊しや移転など自社の展望についてもある程度、計算に入れて置かなければならないでしょう。

自己所有型よりも月々の節約額が少ない

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PPAモデルは低リスクではありますが、その分、自己所有型と比較した場合、月々の節約額が少なくなります。自己所有型の太陽光発電システムを導入した場合、発電した電力を自社で直接利用することができ、余剰電力は電力会社に売電することが可能です。これにより、電力使用にかかるコストを大幅に削減できるだけでなく、売電によって収益を得ることもできます。

一方、PPAモデルでは、発電した電力をPPA事業者から購入する形式となります。契約時に設定された固定料金で電力を購入するため、自己所有型と比較すると、電力コスト削減のメリットは相対的に少なくなります。また、契約期間中は売電による収入もありません。つまり、PPAモデルを選択することで、コストや運用リスクを抑えることができるものの、自己所有型と比べて長期的な運用における節約効果は限定的なものとなっています。

設置場所に制約がある

出典:Shutterstock

PPAモデルの利用には、設置場所に関する制約が存在する点もデメリットになり得ます。特に、オンサイトPPA(詳しくは後述)では契約者の施設や敷地内に発電設備を設置する必要があるため、適切なスペースが確保できない場合は導入が難しくなります。具体的に以下のような条件では、PPA事業者が期待する発電効率に達せず、契約が難航するケースがあります。

  • 屋根のスペースが狭い
  • 日射量が不十分である
  • 積雪や強風などの被害が予見できる
  • 既存の建築規制に抵触する
  • 安全性が確保できない
  • メンテナンスの負担が大きい

このような制約がある場合、PPAモデルを採用するためには別の設置場所や設置方法を模索しなければなりませんが、それにはさらに追加のコストや時間がかかる可能性があるという点には十分留意する必要があります。

PPAモデルの種類とは?

PPAモデルのメリット・デメリットを把握したところで、今度はPPA自体の仕組みについて見ていくことで、よりイメージの解像度を高めていきましょう。

コーポレートPPAには、大きく分けて「オンサイトPPA」と「オフサイトPPA」の2種類が存在します。どちらも再エネ電力を調達する「コーポレートPPA」の一種ですが、発電システムを構築する範囲によって区別されており、それぞれ特徴が異なります。詳しく解説します。

オンサイトPPA

出典:企業省エネ・CO2削減の教科書

オンサイトPPAとは、PPA事業者が需要家の敷地内に発電設備を設置して電気を提供する仕組みです。今までの説明を聞いて、大半の方がイメージしたのはこちらのモデルかと思います。国内でのPPA導入が本格化した当初の主流モデルで、自社敷地内に発電所を設置する十分なスペースがあれば費用をかけずに太陽光発電設備を導入でき、メリットでも簡単に触れましたが、再エネ賦課金の徴収対象外となるのは通常の送電線を使わずに電力を供給するオンサイトPPAだけです。小売電気事業者の送配電網の使用料である「託送料金」もかかりません

こうした点から、一時は企業から大きな注目を集めたオンサイトPPAでしたが、世界的な脱炭素化社会に向けて企業の再エネ電力への期待とニーズは高まる一方で、前述したような設置場所の制約が大きな障壁となり、積極的な導入ができたのは一部の企業に限られてしまいました。そこで、設備規模に制限のない敷地外に発電設備を建設することでこの課題を解決したオフサイトPPAが求められるようになったのです。

オフサイトPPA

オフサイトPPAは、需要家が発電システムを自身の敷地外に設置した上で、PPA事業者が電気や環境価値などを提供する仕組みです。地理的な制約を受けにくく、敷地内に発電システムを置くスペースが十分に確保できない企業でもPPAモデルを導入できるという利点があります。

オンサイトPPAでは設置された設備を直接利用する方法しかありませんが、オフサイトPPAにはさらに「フィジカルPPA」と「バーチャルPPA」という2つの主要な形式が存在します。これらは契約方法や電力取引の仕組みにおいて異なる特性を持っています。

出典:みずほフィナンシャルグループ

フィジカルPPA

フィジカルPPAは、企業と発電事業者が直接的な電力供給契約を結び、遠隔地に設置した太陽光発電設備で発電した電気を送電網を介して実際に需要家に届ける形態です。「実際の物理的(=フィジカル)な電力供給がある」という点がポイントです。言葉で定義すると小難しいですが、私たちの住む一般住宅への電力も、各発電所で発電した電気が小売電気事業者の送電網を通って供給されている(再エネ由来ではなく火力発電由来がほとんどですが)ので、契約先がPPA事業者に変わっただけと簡単にイメージしてもらえば問題ないです。

フィジカルPPAは、オンサイト同様、企業は一定量の電力を安定して得ることができ、再生可能エネルギーの利用比率を向上させることが可能です。特に、大企業においては消費するエネルギー量も一般家庭とは比にならないほど莫大なものになるため、自社保有地の発電だけでは限界があります。オンサイトPPAでは発電用に提供可能な敷地面積が小さい場合、発電量が限られてしまい、多くの再エネ電力を調達できない可能性がありますが、フィジカルPPAは自身が保有する土地の敷地面積にとらわれないため、発電量を増やしやすい面があります。実際にRE100の加盟企業などではフィジカルPPAを活用した取り組みも少なくなく、徐々にその割合が拡大しています。

一方、フィジカルPPAにはデメリットも存在します。送電インフラの整備や送電ロス、託送料金(送電費用)なども気になるポイントですが、最大のデメリットは現在の電力契約を継続できない点です。というのも、使用電力量が多い場合やコストの観点から、フィジカルPPA単体では不足している供給量については、エリアの小売電気事業者からの供給により賄う必要があります。しかし、PPA契約を結んだ上で従来の小売電気事業者との契約を見直す場合、割高な料金を請求されたり、そもそも契約を拒否されるケースがあるのです。

これには、公正取引委員会と経済産業省も「適正な電力取引についての指針」の中で、小売電気事業者に対して部分供給の要請を受けた場合には不当に取り扱わないように求めているものの、現状では強制力があるものではありません。それどころか、新たに導入が検討されている「分割供給」というルールでは、大手電力会社に課せられていた負荷追随供給の義務(新電力の要請に応じる義務)が撤廃されており、新規でフィジカルPPAを導入する企業では電力の供給不足に陥る可能性があります。

こうした課題を受け、さらに柔軟にPPAを導入することできるモデルが登場しています。それがバーチャルPPAです。

バーチャルPPA

出典:Whole Energy

バーチャルPPAは、需要家が物理的な電力供給ではなく、再エネが持つ環境価値だけを取引します。CO2の排出権を取引するカーボンクレジットのようなものだと考えると良いでしょう。電力と環境価値をセットで購入するフィジカルPPAと異なり、バーチャルPPAでは電力の供給自体は現在の小売電気事業者から継続して供給を受ける仕組みのため、電力の供給不足に陥る可能性はありません。

直接電力を供給されるわけではありませんが、その電力が再エネ由来であることを保証する「非化石証書」や「グリーン証書」などを取得することができ、自社の環境貢献を示すことが目的であれば、バーチャルPPAは最も導入ハードルが低いPPAであるといえるでしょう。

一方で、バーチャルPPAでは市場価格とあらかじめ合意したPPA契約の差額を支払う差金決済の仕組みが取り入れられています。たとえば、固定価格が市場価格よりも低いが場合、発電事業者は差額に発電量を乗じた金額を需要家から受け取り、逆に市場価格が固定価格より高い価格は発電事業者は差額に発電量を乗じた金額を需要家に支払う必要があります。

ここで問題となるのが、コストの問題と会計の問題です。上述の通り、市場価格とPPA契約の差金が補填されるのが特徴のバーチャルPPAですが、市場価格が長期に渡って下落した場合、需要家から毎月、発電事業者に対する補填を行わなければならず、需要家にとってはメリットの無い契約となる恐れがあります。

また、バーチャルPPAはあらかじめ取り決めた金額で電力の購入を予約するという仕組みのため、商品先物取引法上の「店頭商品デリバティブ取引(商先法第2条第14項)」にあたるのではないかという議論もあります。デリバティブ契約に該当すると見なされると、取引内容の定期的な報告や企業会計処理上の整理が必要となるケースもあります。したがって、導入に際しては徹底したリーガルチェックの必要があります。

このように、一口にPPAと言っても、その中にはいくつかの種類があります。それぞれのメリット・デメリットを計算しながら自社への導入を検討する必要があるでしょう。

他の太陽光発電システム導入との違いとは?

出典:Shutterstock

最後に、他の太陽光発電システム導入形式との違いについても見ていきましょう。太陽光発電システムを導入する場合、PPAモデル以外にも「自己所有型」や「リース型」などの選択肢があります。それぞれの導入方法は、所有形態や費用の負担方法、メンテナンスにかかる手間などが異なり、企業や個人のニーズに応じて選ばれています。ここでは、自己所有型とリース型について解説します。

自己所有型

自己所有型は、導入者が太陽光発電システムを自ら購入し、設置・運用を完全に管理する方法です。このモデルでは、設備の購入費用や設置費用をすべて自社で負担することになるため、初期費用が非常に高額になる点が最大の特徴です。企業や個人にとって、この一括の設備投資は大きな負担となる可能性がありますが、その分発電された電力のすべてを自家消費でき、余剰電力は売電収入として得られるというメリットもあります。つまり、初期コストを投資と捉え、長期的な収益を前提とした導入となります。

PPAモデルと比較すると、自己所有型は発電設備が自社の資産となるため、発電量や運用方法を自由にコントロールし、余剰電力を電力会社に売電して収入を得られるという魅力があります。しかし、その一方で、設備の維持やメンテナンス、故障時の修理はすべて自己負担となります。天候による影響や経年劣化を考慮すると、予期せぬ修理費用が発生する可能性があり、このリスクも併せて考慮する必要があります。

また、太陽光発電システムは会計上、資産として計上されるため、企業のバランスシートに影響を与えます。これは設備の耐用年数に応じた減価償却費を毎年計上する必要があり、キャッシュフローに対する負担となります。これに対してPPAモデルでは設備を第三者が所有し、メンテナンスも事業者が行うため、財務的な負担が軽減されるという違いがあります。

このように、自己所有型は長期的な収益を重視する企業や個人に向いていますが、PPAモデルにおいては一定期間経過後に設備が譲渡される(自己所有型に移行する)ケースもあるため、PPAモデルで安価に導入して期間が終了するまで待つ、というのも一手かもしれません。自己所有型にも補助金や税制優遇などの恩恵はあるので、自社の置かれた環境を整理し、どちらが優位になるかを判断すると良いでしょう。

リース型

リース型の太陽光発電システムは、PPAモデルと自己所有型の中間に位置する導入方法です。このモデルでは、太陽光発電システムをリース会社から借りる形で導入し、月々のリース料金を支払うことによって設備を利用します。従来の車やコピー機でおなじみのシステムですね。

この方式の主なメリットは、初期費用がかからない点と、月々のリース料金を経費として計上できるという点にあります。企業にとっては、リース費用が一定額であるため、電気の使用料に応じて支払額が変動するPPAモデルよりも簡易的で予算管理がしやすく、財務計画の安定性が確保される利点があります。さらに、太陽光発電のリース契約は車やコピー機と異なり、契約期間を終えるとシステムの所有権が契約者に移るというオプションも一般的です。

また、リース型のもう一つの魅力は、契約期間中に発電した電気を自家消費しながら、余剰電力を電力会社に売電することが可能な点です。これは自己所有型と同様の仕組みで、発電した電気を活用して余剰電力による売電収入を得ることができるため、電気代削減の効果が期待できます。特に、企業が日中の業務に多くの電力を消費する場合、リース型によって自家発電による電力を有効活用でき、売電によってさらにコストを抑えることができます。

しかし、リース型にはいくつかの注意点もあります。リース料金は毎月固定されていると説明しましたが、リース型は月々の支出が予測しやすい一方で、電気使用パターンによっては導入前の電気代よりも支出が増えるリスクがあります。特に、リース型では日中の電力消費量が比較的少ない家庭や企業では、売電収入よりもリース料金と発電しない時間帯に使う電気代(夜間に電力会社から購入する電気代など)のほうが大きくなってしまうため、導入前の検討が欠かせません。この点が、リース型とPPAモデルとの大きな違いといえるでしょう。

主な項目で今までの3モデルを比較すると以下の通りです。

PPAモデル自己所有型リース型
所有形態PPA事業者が所有自社所有リース業者が所有
初期費用不要必要不要
利用料不要不要必要(リース料)
メンテナンスPPA事業者自社リース業者
余剰電力の売電収入なしありあり
自家消費分の電気料金有料無料無料
資産計上不要必要必要

まとめ

これまで見てきたように、PPAモデルの導入は、再生可能エネルギーの普及を促進し、CO2排出量の削減に大きく寄与します。気候変動対策の一環としても、持続可能な社会の実現に向けた重要な取り組みであるといえますね。

一方で、企業にとっては、PPAモデルを活用することで再生可能エネルギーの導入を進めるとともに、ESG投資の観点からも高い評価を得られる環境経営を実現できます。電力の安定確保を通じて、BCP(事業継続計画)の一環としてリスクマネジメントの強化にもつなげることができ、持続可能な運営を行う上でPPAの存在は無視できません。

環境への配慮と経済的メリットを兼ね備えたPPAモデルは、現代のエネルギー問題に対する解決策として企業も個人も積極的に検討する価値があるでしょう。今後の動向にも注目です。