バッテリーパスポートとは?バッテリーの資源循環を実現させる欧州発の新ルールについて解説!

近年、私たちの生活には多くの変化が訪れています。環境への意識が高まり、持続可能な未来を目指す動きが加速する中で、エネルギーの供給方法にも大きな転換が求められています。その中心にあるのが、リチウムイオン電池をはじめとするバッテリーです。この文章を読んでいるあなたも、まさに今、リチウムイオン電池を使用していることでしょう。

これらの電池は、電気を効率的に貯めておくための技術で、現代のテクノロジーや産業の基盤を支えています。しかし、リチウムイオン電池が普及する一方で、その製造や廃棄に伴う環境負荷や資源問題、資源の採掘における児童労働などの倫理的な問題も無視できなくなってきています。

このような背景から、バッテリーのライフサイクル全体を管理し、持続可能な利用を促進するための新たな枠組みが必要とされています。そのうちの一つがEUを中心に法制化が進む「バッテリーパスポート」です。本記事では、バッテリー産業の未来を左右する重要トピック「バッテリーパスポート」について解説します!

バッテリーパスポートとは?

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    バッテリーパスポート=バッテリーのライフサイクル情報を記録した証明書

    バッテリーパスポートとは、バッテリーのライフサイクル全体に関する詳細な情報を記録し、透明性とトレーサビリティを確保するためのデジタル証明書です。この証明書があれば、バッテリーの製造から使用、メンテナンスやリサイクルに至るまでの様々なデータを一元的に管理でき、サプライチェーン全体での情報共有が可能になります。

    バッテリーの持続可能な管理と資源循環を促進するためにすでにEU(欧州連合)では導入が開始されており、2027年からはEU域内で流通するすべてのポータブルバッテリー、LMT用バッテリー、産業用バッテリー(2kWhを超えるもの)、EV用バッテリー、SLIバッテリーを対象に義務化が予定されています。これに伴い、EU域内の企業はもちろん、各国の企業がバッテリー製品のデータ取得・管理に追われる事態となっています。

    バッテリーパスポートは「DPP(デジタルプロダクトパスポート)」の一種

    欧州では現在、サーキュラーエコノミーの実現を至上命題として、各製品のライフサイクル全体のトレーサビリティを確保する「デジタルプロダクトパスポート(Digital Product Passport、通称:DPP)」の導入が推進されています。この取り組みでは、製造元から原材料、リサイクル性から解体方法に至るまでの詳細な情報を提供することで、製品のライフサイクルを正確にトラッキングすることを目的としています。記録可能なものであれば、バーコード、QRコードなど多くの媒体が使用可能となっています。

    そんなDPPにおいて先鞭を付けたのがバッテリー分野であり、DPPを義務化した「新エコデザイン規則案(ESPR)」に呼応する形で施工された「欧州電池規則(EU Battery Regulation)」によって正式にバッテリーパスポートが拘束力を持ちました。

    DPPの対象は今後、バッテリー以外の製品にも順次拡大していく見込みで、将来的には食品・飼料・医薬品を除くほとんどすべての製品のサプライチェーンに関するデータを収集し、ライフサイクル全体での共有が期待されています。したがって、バッテリーパスポートには修理や二次利用といった資源の有効活用を目指す以外にも、「DPPの試験導入」といった一面もあるのではないでしょうか。

    DPPについては以下の記事で詳しく説明しています。

    欧州電池規則(EU Battery Regulation)とは?

    ここでは簡単に欧州電気規則についても説明します。

    欧州電池規則は、EUにおける電池の生産、使用、廃棄に関する環境基準を包括的に定めた新たな法律です。この規則は、電池の生産から廃棄に至るまでの全過程において、環境負荷を最小限に抑えることを目的としており、上述のバッテリパスポートの導入以外にも、リサイクル可能な材料の使用や使用済みバッテリーの効果的な回収・リサイクル、カーボンフットプリントの申告や責任ある調達を企業に義務付けています。

    実は、欧州ではこれまでもバッテリーに関する法規制は存在しました。それが、2006年に発効した欧州電池指令です。電池指令でも、加盟国に対し国内法を整備するなどの要件が課されていました。しかし、EUの法体系において「指令(Directive)」は、EU加盟国に対して特定の目標を達成するための枠組みを提供し、各国が国内法を通じて実施することを求めるに過ぎません。そのため、義務が課されるのはあくまで加盟国に対してであり、企業ごとの達成手段および方法については、加盟国の裁量に委ねられています。

    これに対して、「規則(Regulation)」はEU全域で直接適用される法令であり、発効日に直接拘束力を持ちます。加盟国の国内法に関係なく、直接加盟国と企業等に効力を有するため、各国が個別に立法措置を取る必要はありません。

    このような背景があり、これまで一貫性が欠けていた法規制の効果を最大化するために、より厳格かつ統一的な規則への格上げが行われました。これに伴って、欧州電池指令は2025年08月に廃止される予定です。

    欧州電池規則はすべてのバッテリーに影響力を持ちますが、とりわけ車載⽤電池に関してはその需要が飛躍的に増加しており、さらなる市場拡大が見込まれるEVの製造にあたって、自動車業界等を中心に適⽤開始に向けた検討が急ピッチで進められています。

    バッテリーパスポートに必要な項目とは?

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    バッテリーパスポートには「〇〇」が必要

    バッテリーパスポートの内容は、欧州電池規則第9章および附属書XIIIにて明文化されています。具体的には以下の項目が義務付けられています。

    • 製造情報:バッテリーの製造元、製造日、製造場所、各部品の部品番号およびスペア部品の入手先などに関する情報
    • 技術仕様:バッテリーの種類、容量、エネルギー密度、電圧、化学組成、抵抗などの基本的な製品情報
    • 性能データ:バッテリーがどのような条件下で使用されたか(温度、充放電回数、電流値など)に関する履歴と、それらをもとに算出されるバッテリーの充放電サイクル数、劣化率、SOH(State of Health)などのバッテリー寿命や消耗に関する情報
    • 環境情報:バッテリーの製造・使用に伴うCO2排出量や、使用されている材料の環境アセスメント、責任ある調達に関する情報。
    • リサイクル情報:バッテリーのリサイクル可能な材料に関する情報や、分解図や解体手順などの解体情報
    • 安全情報:有害物質や推奨される安全対策などのユーザーやリサイクル業者などの安全に関わる情報

    これらのバッテリーに関するすべてのデータがデジタル形式で保存されるため、製造者だけではなくすべての関係者が必要な情報に迅速にアクセスできるようになります。

    バッテリーの「静的データ」「動的データ」とは?

    バッテリーパスポートに含まれるデータをさらに深く理解するためには、データの種類を学ぶ必要があります。今回の規則で記録が義務化されたデータは大きく「静的データ」と「動的データ」に分類されます。

    まず、静的データとはバッテリーの基本的な仕様や製造情報など、変動しない情報のことをいいます。たとえば、製造元、製造日、容量などの情報は不変の情報です。これらのデータは、バッテリーのトレーサビリティを確保し、製造・リサイクルプロセスにおける品質管理を支援します。この辺りのデータはバッテリーパスポートが登場する以前から取得され、企業のHP上や製品マニュアル等で確認できるものも多くあります。

    これに対して動的データは、バッテリーの使用中に変動するリアルタイムの(もしくは継時的に更新される)情報を指します。たとえば、劣化率などのデータは、同じ種類のバッテリーでも使用頻度や使用環境によって同じ使用回数でも異なります。しかし、これらのデータは現在、きめ細やかに取得されているというケースは多くはありません。したがって、これらのデータをリアルタイムで監視することで、使用方法やメンテナンスを最適化したり、リサイクルの可能性を大きく広げることにつながるでしょう。

    循環経済の実現をするためには、「静的」「動的」の双方のデータをうまく活用することが非常に重要です。

    重要項目「SOH」とは?

    動的データの概念を説明したところで、動的データの最重要項目ともいえる「SOH(State of Health)」についても簡単に見ていきましょう。

    SOHとは、バッテリーの健康状態を示す指標で、バッテリーの性能や寿命を評価するために使用されます。バッテリーの容量、内部抵抗、サイクル数などのパラメータから総合的に計算され、初期の満充電容量(Ah)を100%としてカウントします。つまり、SOHが50%というバッテリーは、完全に充電を行ったとしても初期と比べるとそもそも半分の容量しか持てない状態になっているということです。

    SOHは一般の消費者からするとあまり馴染みのない言葉のように感じますが、実は身近な端末でも確認することができます。たとえば、iPhoneをお使いの方は、「設定」アプリの中から「バッテリー」を選択して「バッテリーの状態と充電(一部機種では「バッテリーの状態」)」という項目を開くことで、iPhoneの最大容量を確認することができます。SOHという言葉こそ使われていないものの、これはSOHと非常に近しい概念です。

    このようなバッテリーの内部状態を計測する方法としては、バッテリーの内部抵抗の変化を測定し、劣化の進行を評価する「内部抵抗測定」とバッテリーの充放電サイクル数をカウントし、寿命の推定を行う「サイクル数カウント」が一般的です。

    今後、ほとんどすべての製品が電化されていくこと、そしてバッテリーの材料となるいくつかの鉱物が限られた資源であることを考えると、SOHの情報はもはや現代社会において必要不可欠かつ貴重な価値を持つ情報だといえます。

    バッテリーパスポートはなぜ必要?

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    バッテリーパスポートが必要とされる理由は多岐にわたります。ここからはバッテリーパスポートが必要とされている理由について解説します。

    資源の有効活用と経済安全保障のため

    バッテリーパスポートを活用することで、バッテリーの全ライフサイクルにわたるデータを収集し、資源を有効的に活用することができます。

    使い古したバッテリーは一見するとなんの価値もないように見えますが、バッテリーの材料となるコバルトやリチウムといった資源が含まれており、これらレアメタルはバッテリーの電極材料として重要な役割を果たす一方で摩耗することがありません。限りある資源といっても石油などの枯渇とは意味合いが異なるのです。

    バッテリーパスポートがあれば、このバッテリーにどれだけのレアメタルが含まれているのか、どのようにリサイクルすれば最も効率的に資源を回収できるのかをすぐに知ることができます。製造から使用、リサイクルに至るまで常に一貫したデータ管理が行われ、資源の有効活用が徹底されるのです。限りある資源を無駄にせず、次世代に引き継ぐための道しるべとして、バッテリーパスポートの重要性は年々増加しています。

    特にこれらレアメタルは中国への依存度が高く、国際的なサプライチェーンの極めて大きなリスク要因となっています。経済安全保障の観点からも、資源の有効活用は喫緊の課題となっています。

    環境負荷の軽減のため

    バッテリーパスポートを導入することで、バッテリーの全ライフサイクルを通じた環境負荷の軽減が期待できます。バッテリーは、その製造から廃棄に至るまで、地球環境に対して多大な影響を与えます。たとえば、リチウムやコバルトなどのレアメタルを採掘する際には膨大なエネルギーが消費されるため、環境への影響が甚大となっています。土地の荒廃や水質汚染といった問題が引き起こされ、生態系に深刻な影響を与えることもあります。

    しかし、バッテリーパスポートを活用すれば、使い終わったバッテリーからこれらの貴重な資源を効率的に回収し、再利用することが可能となります。新たな資源を大量に採掘する必要もなくなり、環境に与える負荷を大幅に減らすことができるでしょう。

    また、バッテリーパスポートによって、バッテリーの製造時に使用された素材やその環境負荷についてのデータを詳細に記録することができます。たとえば、バッテリーのライフサイクル全体にわたるCO2排出量を追跡・公開することで、消費者がより環境に優しい企業を選択することも考えられます。将来的には企業も、より環境に優しいバッテリーの開発へと軸足を変えていくことでしょう。

    このようにバッテリーパスポートは蓄電池業界全体がエコフレンドリーな方向へシフトし、地球環境への配慮を拡大させていくという意味でも重要な存在です。

    透明性とトレーサビリティの確保のため

    バッテリーパスポートは、バッテリーの製造から廃棄までの情報を一元的に管理し、透明性とトレーサビリティを確保します。これにより、バッテリーのサプライチェーン全体の透明性が向上し、不正行為を防ぐことができます。

    バッテリー産業において環境破壊と肩を並べて問題視されているのが児童労働の問題です。バッテリー製造に必要なコバルトの多くは中央アフリカのコンゴ民主共和国で生産されていますが、同国では2002年の第二次コンゴ内戦和平合意後も内紛状態が続いており、現在も国土に眠る豊富な天然資源を巡って武装組織が多数乱立している状態です。

    加えて、コンゴは購買力平価GNI(国民総所得)で190カ国中、180位(2022年、世銀)と、経済的にも非常に貧しい国です。こうした国では法規制が機能しておらず、まだ10歳に満たない子どもたちが鉱山をはじめとした過酷な環境で長時間にわたって低賃金の労働を強いられています。

    こうした問題は、子どもたちの教育機会の損失という観点でも劣悪な労働環境だといえます。児童労働は、SDGsの目標8のターゲットとしても記載されており、2025年までにすべての形態の児童労働を撤廃すると明確に目標が立てられています。

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    2024年5月にはコバルト採掘における劣悪な環境での児童労働を描いたドキュメンタリー本「コバルト・レッド(Cobalt Red)」が、ピューリッツァー賞(一般ノンフィクション部門​​)の最終候補に選出されるなど、バッテリー産業が抱える闇には世界的な関心も高まりつつあるでしょう。

    その一方で、バッテリーのトレーサビリティが担保されなければ、子どもたちが働かされて生産された安価なバッテリーと、適正な賃金と安全な労働環境で生産された高価なバッテリーの生産過程を普通の消費者が見分けることはできません。こうした条件下では、安価なバッテリーばかりが売れてしまうため、「搾取」をしたほうが得をするような経済構造となってしまいます。

    ​​バッテリーパスポートは、バッテリーに使用される素材の原産地や製造プロセスの詳細な記録を義務付けることで、児童労働や強制労働といった不正な業者をマーケットから排除し、望ましい形での経済発展を推進します。複雑なサプライチェーンに埋もれ、実態の把握や解決が困難であるとされてきたコバルト採掘における児童労働撲滅に向けた強力なソリューションとしての期待を一身に背負っているのです。

    バッテリーパスポートに関する3つの課題

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    バッテリーパスポートには前述のような多大なメリットがある一方で、義務化がされる以前に対応を始めていた企業はごく少数でした。これは一体なぜなのでしょうか。この謎を理解するために、ここからはバッテリーパスポートの導入に関するいくつかの課題を解説します。

    導入コストの負担

    バッテリーパスポートの最大の課題はコストの問題です。バッテリーパスポートには、製品のライフサイクル全体の詳細な情報を記録することが義務付けられているため、その導入にあたってはデータ収集や管理システムの構築、認証プロセス、場合によってはバッテリーそのものの仕様を変更するなど、多額の初期投資が必要です。

    また、バッテリーパスポートに記録されるデータは、各経済事業者にデータの保管が命じられており、サーバー費用などのコストは半永久的に発生し続けてしまいます。このコストは製品単体で見た際には大したものではありませんが、全社的な取り組みとして行うとなるとかなりの金額に達することが想像に難くありません。

    したがって、バッテリーパスポートの導入によって電池メーカーの法令順守コストや事業リスクが大きく高まってしまうことは避けては通れないでしょう。

    こうした課題に対し、助成金によるコスト補填など、国家レベルでの支援体制を整備している地域もあります。実際にドイツでは、バッテリーパスポートの開発に総額820万ユーロを助成して、自国内企業を支援した事例があります。

    ドイツ政府、蓄電池の全ライフサイクル情報を記録する「パスポート」開発を支援(EU、ドイツ) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース

    情報セキュリティの確保

    電池メーカーのもう一つの悩みの種となっているのが情報セキュリティの確保です。

    現在、様々なDXによって我々の生活は便利になり、環境破壊や人権侵害といった社会問題を解決する糸口にさえなりつつあります。しかしその一方で、サイバー犯罪の被害も大きく拡大しています。見方を変えれば、DXがシステムの脆弱性を増大させているという捉え方もできます。Cybersecurity Ventures社が発表しているレポートによると、2024年にサイバー犯罪による被害が全世界で約9兆5,000億ドルに達すると予想されています。

    バッテリーパスポートもその例外ではありません。欧州電池規則が取得を義務付けているデータには、ユーザーの製品使用や電池内部の組成比、解体手順など多くの機密情報が含まれるため、不正アクセスやデータ改ざんを防ぐための高度なセキュリティ対策が求められます。したがって、事業者は高いコストを掛けてバッテリーパスポートを導入するだけではなく、安全に運用するためにさらなる負担を強いられることになるでしょう。

    一方で近年、こうした情報セキュリティの観点から、ブロックチェーン技術にスポットライトが当てられるシーンも増えつつあります。ブロックチェーンは耐改ざん性に優れたデータベースであり、中央的な管理者を介在せずに、データが共有できるので参加者の立場がフラット(=非中央集権)であるため、ブロックチェーンは別名「分散型台帳」とも呼ばれています。こうした技術を活用することで、導入の障壁となるセキュリティリスクを低減させることが可能です。詳しくは以下の記事で解説しています。

    国際的な標準化

    実際にバッテリーパスポートが普及してからも様々な運用課題が表面化する可能性があります。そのうちの一つが「技術的な標準化が十分に進んでいない」という問題です。

    バッテリーパスポートに関する規制が整備されても、技術的な規格やプロトコルが統一されていないため、各国や各企業で異なるシステムが使用され続ける可能性があります。この結果、異なるシステム間でデータの相互運用性が確保されないことが懸念されます。

    たとえば、異なるデータ形式やプロトコルを使用している場合、データの一貫性や整合性を保つことが困難となり、経済圏によって異なる規格のバッテリーパスポートが考案されて市場が混乱するおそれがあります。

    こうした問題を避けるためには、国際標準化機関(ISO)や国際電気標準会議(IEC)などの国際的な組織と協力し、統一された規格を策定することが求められます。また、企業間や業界団体間での協力も重要であり、共通の目標に向けた取り組みが必要です。

    日本企業はバッテリーパスポートに対応しないとどうなる?

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    これまでの解説で、バッテリーパスポートはリサイクルや再利用を促進し、資源の有効利用と環境保護を目指すうえで非常に重要な新規制だということは理解いただけたかと思います。しかし、EUおよび欧州委員会が熱心に推進を図るこのルールは、日本国内に直接的に効力を持つものではありません。そのような背景もあり、国内での知名度はあまり高くないようにも感じます。

    では、日本企業がこのバッテリーパスポートに対応する必要はないのでしょうか。

    日本企業がバッテリーパスポートを未導入とした場合、まずグローバル市場での競争力が低下することは避けられません。バッテリーパスポートを含めた欧州電池規則は、バッテリーをEU域内で流通するすべての事業者に適用される規則です。したがって、このスタンダードにに対応できない企業は、EU市場への製品の投下が制限され、ヨーロッパという非常に巨大なマーケットを失うことになります。

    また、サプライチェーンの断絶という問題も無視できません。バッテリーはその性格上、他の部品と組み合わさって最終製品となるケースが多いです。したがって、規則に対応していない企業は、EU規制に準拠した企業から取引を拒否される可能性があります。これはグローバルサプライチェーンにおいても同様で、非対応企業との取引を避ける動きは今後、全世界的に強まっていくでしょう。

    さらに、環境イメージの悪化という影響も見逃せません。環境に配慮した企業活動は、今や国際社会での信頼獲得に欠かせない要素となっています。加えて上述の理由により、多くの企業はバッテリーパスポートへの対応に取り掛かることでしょう。そのような環境でバッテリーパスポートへの対応を怠ってしまうと、「環境問題に無関心」「営利主義」といったイメージを持たれる可能性があります。このようなイメージは、消費者のみならず投資家からの投資判断にも大きく影響するでしょう。

    これらの理由から、日本企業がバッテリーパスポートに対応しなければ、多くの問題を引き起こし得る重大なリスクを抱えることになります。不要なリスクを回避するためにも、早急に対策を講じ、持続可能なバッテリー生産と循環を目指す必要があるといえます。

    バッテリーパスポートの導入事例

    テスラ

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    アメリカの自動車メーカーであるテスラは、ドイツの自動車メーカーであるアウディと共同でバッテリーパスポートを活用した使用済みバッテリーに関するリサイクルプログラムを実施しています。

    2023年初頭にダボスで開催された世界経済フォーラムで、グローバル・バッテリー・アライアンス(GBA)によって発表されたこの実証実験では、バッテリーパスポートを通じてカーボンフットプリントの一部報告、材料調達先、人権パフォーマンスなど、環境・社会・ガバナンス(ESG)に関する情報を提供しました。

    実証の結果、使用済みバッテリーのリサイクル率が向上し、廃棄物の削減が達成されました。また、バッテリーパスポートを通じて、バッテリーの性能や寿命を正確に把握し、新しいバッテリーの設計や製造に反映させることで、製品の品質向上にも寄与しています。

    一方でこの実証時点では、取得すべきデータも追跡可能なバッテリーの数もまだ不完全であり、電池パックに使用されているすべての材料のわずか1%に留まるなど、完全なトレーサビリティを担保するにはまだ長い道のりが待ち受けています。

    ボルボ・カーズ

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    スウェーデンの高級車メーカー、ボルボ・カーズは、バッテリーパスポートの本格導入においてパイオニア的な役割を果たしています。同社では、電動SUVの旗艦モデルである「EX90」に、材料の原産地、部品、リサイクル素材、カーボンフットプリントなどを詳細に記録するバッテリーパスポートを導入することを発表しています。

    世界初のEVにおけるバッテリーパスポートの導入に際しては、英国の新興企業であるCirculor社と提携し、5年以上にわたり開発を進めてきました。ボルボのオーナーは車両の運転席ドアの内側に設置されたQRコードを使用することでパスポートにアクセスでき、バッテリーの最新状態を確認することができます。1台あたりのコストは約10ドルに抑えられており、EUで2027年から義務付けられているEVへのバッテリーパスポート規制に先んじて対応を進めた形です。

    同社は、EV領域において今後も高い市場競争力を維持し、環境負荷の低減に貢献することを目指しており、今後、バッテリーパスポートを全ての電気自動車に段階的に導入していく方針を明らかにしています。

    バッテリーパスポートの今後の展望

    バッテリーパスポートは、EUで義務化されたことで一気に注目を集めましたが、今後この動きはEUに留まらず、世界各地にも拡大していくとみられます。ここからは各地域における対応動向と今後の展望について解説します。

    アメリカの動向

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    アメリカでは、バッテリーのリサイクルと持続可能な管理に関する関心が高まっています。特に注目すべきは、政府・議会ともに中国に対してバッテリーサプライチェーンでデリスキングを図る動きが続いており、バッテリーパスポートは中国企業の締め出しおよびサプライチェーンの可視化という観点で大規模に採用される可能性があるという点です。

    アメリカにおいては2022年に施行された「インフレ抑制法」(Inflation Reduction Act)のもとEVの普及推進をバイデン政権下の国家プロジェクトとして行ってきました。この法律では、新規EV購入に係る税額控除ばかりがフォーカスされがちですが、バッテリー部品の原産地に関する厳しい地理的制限が含まれています

    バッテリー部品のうち、リチウムやコバルト、ニッケルといった重要鉱物については一定の割合以上、アメリカまたはFTA(自由貿易協定)締結国で製造・リサイクルされていることを要求しており、加えて中国などの「懸念外国企業(Foreign Entity of Concern)」とみなされる国の企業が製造または加工したバッテリー部品に関しては、税額控除の対象から除外されることになっています。

    こうした一連の政策の背景には、主要なサプライチェーンを米国の経済圏に戻し、敵対国への依存を減らすという目論見があるといわれています。バッテリーパスポートは、製造元や材料の供給源に関する透明性の確保が求められるアメリカのバッテリー産業において、これらの情報を一元的に管理し、バッテリーのサプライチェーン全体のトレーサビリティを向上させるための重要なツールとして活用されることが期待されています。

    近い将来、アメリカにおいてもEU同様、バッテリーのライフサイクルを可視化する具体的な手段としてバッテリーパスポートが活用され、義務化されていくことでしょう。

    中国の動向

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    アメリカやEUからの締め出しを食らう形となっている中国においてもバッテリーパスポートは喫緊の課題として注目されています。そもそも各経済圏から敵視をされているのも、同国が世界最大のバッテリー生産国であり、リチウムイオン電池市場において絶対的な存在だからです。価格競争において他を圧倒する中国の存在が今回の新規制に影響したことは疑いようがないでしょう。

    しかし、中国側からすると、中国製バッテリーの市場流通を阻止する建前として使用している環境問題と人権問題に対する懸念さえ払拭してしまえば何も問題が無いわけです。こうした背景から、中国では企業のみならず国家レベルでバッテリーのトレーサビリティ確保に取り組んでいます

    2022年に施行された「新エネルギー車産業発展計画(2021-2035年)」では、水素などの新エネルギー車の開発と並んで、バッテリーのリサイクルとトレーサビリティが重点課題として取り上げられています。バッテリーのライフサイクル全体を通じたデータ管理を実現することで、リサイクル効率の向上と環境負荷の低減が可能です。サプライチェーン全体の透明性を高めることで、違法な鉱物採掘や劣悪な労働条件に関する批判も回避できるでしょう。

    欧州電池規則の施行に伴って「北京資源強制回収環保産業技術創新戦略連盟(ATCRR)」「中国電池産業協会(CBIA)」「国家標準化管理委員会(SAC)」といった様々な機関が標準形成に向けて活動をしており、国際的な規範に準拠した倫理的な調達を実現できるバッテリーパスポートはこうしたエコシステムの中核を担う存在として強く期待されています。

    日本の動向

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    日本政府は「資源有効利用促進法」に基づき、使用済みバッテリーの回収とリサイクルを義務付けているものの、現時点で日本国内においてバッテリーパスポートに関する法規制は依然として整備されていません。そのため、上記2カ国と比べると対応に若干の遅れを見せていると言わざるを得ません。一方で、日本のバッテリー産業においては民間企業、とくに自動車業界が導入する形でトレーサビリティ向上に向けた取り組みが試みられています。

    ホンダや日産といった自動車大手はフォード・モーターやゼネラル・モーターズなどから成る企業連合「Mobility Open Blockchain Initiative(MOBI)」においてバッテリーパスポートの規格案を取りまとめています。本規格ではブロックチェーンを活用しており、バッテリーごとの識別番号をもとに正確なトラッキングを行うことで、製造から廃棄に至るまでの情報を透明性をもって管理し、消費者や企業がバッテリーの環境影響を評価しやすくすることが期待されています。

    日本の自動車産業のライバルともいえるドイツにおいてもやはり同様の動きがあり、フォルクスワーゲン(VW)社、BMW社といった独自動車大手が企業連合「Battery Pass」を組織しています。規格のイニシアチブ争いという点でも、日本企業は政府の動きを待たずして自主的に規格策定に関与し、企業間での連携強化に取り組んでいます。

    また、主要自動車メーカーや日本自動車部品工業会、電池サプライチェーン協議会などが設立した「自動車・蓄電池トレーサビリティ推進センター(ABtC)」は2024年5月にサプライチェーン企業間でバッテリーに関するデータ連携を行えるサービス「トレーサビリティサービス」の提供を開始すると発表しています。

    同プラットフォームはカーボンフットプリント情報(欧州電池規則ではカーボンフットプリントの申告も義務付けられている)にターゲットを置いていますが、将来的にはデューデリジェンスなどでの活用等、ライフサイクルアセスメント全体への適用も視野にいれるなど、バッテリーパスポートとしての機能も果たすことが期待されます。

    このように日本国内においても、徐々にバッテリーに関するデータを企業間で連携するというバッテリーパスポートの下地が整いつつあります。各社EVへも本格的に参入をし始めており、今後は欧州の法規制対応に向けてこの動きもさらなる加速を見せることでしょう。

    まとめ

    本記事ではバッテリーパスポートについて解説しました。脱炭素化と電化の潮流のなかで、ちょうどその交点となるこのルールは、資源循環・サーキュラーエコノミーに関するルールメイキングが進むいま、業界・業種を問わず避けては通れない重要な経営課題となっています。民間の企業はこの流れを先取りし、積極的にバッテリーパスポートの導入を進めることで、世界水準に乗り遅れるリスクを低減させながら、持続可能な未来を築いていくことが必要です。

    また、それと並行してブロックチェーン業界へのアンテナを常に張っておくことも忘れてはなりません。記事内でも触れた通り、情報セキュリティや複数プレイヤーによる分散的な情報管理という側面から、分散型台帳技術であるブロックチェーンが世界のスタンダードとして認められつつあります。

    日本においては暗号資産やNFTといった金融に近い領域のブロックチェーン事例は数多く存在するものの、非金融領域や産業用途に向けたブロックチェーン活用はあまり進んでいないのが現状です。しかし、今後はこうした先進技術の技術実証やサービス化に向けた取り組みを行っていかなければ、時代に取り残されてしまうことは明白です。既存のビジネスモデル・マーケットで強い力を持っている日本企業だからこそ、将来に備えたリスクヘッジが求められます。

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