インターネットが生活に深く浸透した現代、オンラインでの「証明」は日常的な行為となりました。しかし、その裏側で常に懸念されるのが、個人情報の漏洩リスクです。「年齢確認をしたいだけなのに、生年月日全てを伝える必要があるのか?」「安全な取引をしたいけれど、どこまで情報を開示するべきか?」と感じたことはありませんか?そんな課題を解決し、安全性とプライバシー保護を両立する画期的な技術として、近年注目を集めているのが「ゼロ知識証明(ZKP / Zero-Knowledge Proof) 」です。
この記事では、初心者の方でも理解できるよう、ゼロ知識証明の基本的な仕組みから、私たちのデジタル社会にどのような変革をもたらすのか、具体的な活用事例を交えながら徹底解説します。
デジタル社会における「証明」の課題
オンラインで何かを証明する、という行為は年々複雑化しています。ひと昔前であれば、ユーザー名とパスワードだけで本人確認が完了するケースも多くありました。しかし現在では、2段階認証や顔認識、SMS認証など、より高度な手段が当たり前になりつつあります。背景にあるのは、情報漏洩やなりすましなどの被害が、私たちの日常に現実の脅威として迫ってきていることです。
実際に、米通信大手AT&Tでも顧客の個人情報約7300万件がダークウェブ上に流出。顧客名、電話番号、生年月日以外にも、現住所や社会保障番号までが流出の対象となり、被害に遭ったユーザーは大きな不安にさらされました。これほど大規模なケースはあまり多くはありませんが、これは決して他人事ではありません。どのサービスを使っていても、こうしたリスクに巻き込まれる可能性はゼロではないのです。
米AT&T、顧客情報の流出めぐり調査を開始 7300万人分 – 日本経済新聞
一方で、企業側にも悩みがあります。仮に「ユーザーの利便性を最優先し、最小限の情報だけで認証を行う」ような簡易的な仕組みにした場合、なりすましや不正アクセスが多発する危険性があります。例えば、少し前のSNSではログイン認証の仕組みが甘かったため、悪意ある第三者が別人になりすましてアカウントに侵入する事件が多数発生していたのは記憶に新しいかと思います。そのため、企業側もリスク低減のために「本人であるかどうかを確かめるには、どうしても情報を多く収集する必要がある」という認識が根強くなってしまうのです。
こうして生まれるのが、「信頼を築くには情報を渡す必要があるけれど、情報を渡すことで別のリスクが生まれてしまう」という矛盾です。これはまさに、情報社会における“信頼のジレンマ”ともいえる状況でしょう。このようなジレンマを抱える中で、私たちは本当に望ましい証明のあり方を見つけられていないのかもしれません。むしろ、“信頼を築くために情報を犠牲にする”という構図が、無意識のうちに当たり前になってしまっているのです。
では、本当にそれしか選択肢はないのでしょうか?情報を開示せずに、「私は信頼できる存在です」と証明する方法があったとしたら──それは、これまでとはまったく異なる、新しい信頼の形になるはずです。まさにその可能性を実現する技術こそが、次の章で紹介する「ゼロ知識証明(Zero-Knowledge Proof)」なのです。
ゼロ知識証明(ZKP/Zero-Knowledge Proof)=情報を見せずに真実を保証する技術
ゼロ知識証明(ZKP:Zero-Knowledge Proof)とは、「あることが真実である」と証明するために、その理由や根拠を一切明かさずに証明を完了できる技術です。もう少し噛み砕いていうと、「私はそれを知っています」「私はその条件を満たしています」と伝えるときに、“その内容そのもの”を開示せずに、相手に信じてもらえる仕組みです。
直感的には少し不思議に思えるかもしれません。例えば、飲食店等であなたが「20歳以上である」と証明したいとき、通常なら免許証やマイナンバーカードなど、年齢が記載された公的書類を提示する必要があります。ですが本来、必要とされているのは「20歳以上かどうか」だけであり、氏名や住所、生年月日といった、それ以外の情報は不要なはずです。ゼロ知識証明が目指すのは、まさにこの「必要な情報だけを、必要な範囲で、必要な相手にだけ明かす」という新しい証明の形です。
ゼロ知識証明では、「証明者(Prover)」と「検証者(Verifier)」という2つの概念によって、証明者が直接その情報(秘密)を見せるのではなく、暗号的な方法を使って「私は条件を満たしていますよ」という証明を行います。この概念を理解する際に役立つのが、ジャン=ジャック・キスケータらの論文「我が子にゼロ知識証明をどう教えるか(How to Explain Zero-Knowledge Protocols to Your Children)」で紹介されている「アリババの洞窟」です。
アリババの洞窟にはAとBの2つ道がある。太郎さんは洞窟の中にある秘密の抜け道を通るための合言葉を花子さんから教えてもらいたい。花子さんはこの合言葉を1万円で売ってくれると言っているものの、太郎さんは花子さんが本当に合言葉を知っていると確信するまでは支払うつもりはなく、花子さんも、太郎さんがお金を支払うまではそれを共有しない。
この両者硬直の状態を解決して取引を確実なものとするためには次のような証明手順を踏めば良い。 太郎さんは洞窟の外で待っている。花子さんはAかBどちらかの道で洞窟の奥へと進む(このとき太郎さんには花子さんがどちらを選択したかは見られない)。太郎さんは洞窟に入り、分岐点でAかBどちらかの道から戻ってくるよう花子さんに指示する。花子さんは太郎さんに言われた方の道から分岐点に戻る。1〜3を繰り返す。
この証明方法では、数回だけでは花子さんの運が良ければ推測が当たっただけの可能性もありますが、何度でも戻ってくることができるのであれば、花子さんが本当に暗号を知っている可能性は高まります。例えば、20回試行した後、花子さんが運だけで太郎さんの選んだ道から戻ってこられる確率は100万分の1未満となり、これは確率的な証拠となります。
こうした“納得感のあるやりとり”を行うことで、検証者は「確かに条件は満たされている」と確信でき、かつ、証明者の「内容を明かしたくない」という希望に沿うことができるという訳です。あまり日常的に接する概念ではないため、以下の米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のAmit Sahai教授の解説動画も参考にすると良いでしょう。
上記で示した証明パターンはほんの一例にすぎず、以下の条件を満たした上で、様々な暗号学的プロトコルや数学的な手法を組み合わせることで、多種多様なゼロ知識証明のスキームを構築することが可能です。
- 完全性(Completeness):正直な証明者が正しい主張をすれば、検証者は必ず納得できる。
- 健全性(Soundness):嘘をつく証明者は、高確率で見破られる。
- ゼロ知識性(Zero-Knowledge):検証者は、証明の過程から“本当の情報”を一切得られない。
ゼロ知識証明自体は、もともと学術的な分野で1980年代に理論化された技術ですが、近年では暗号資産(仮想通貨)やブロックチェーンの分野を中心に、実用化が急速に進んでいます。
実際、「Zcash」というブロックチェーンプロジェクトでは、送金額や送金者のウォレットアドレスを非公開にしたまま、取引そのものが正しいことをゼロ知識証明で保証しています。これにより、透明性とプライバシーの両立という、これまで相反していた2つの要件を満たすことが可能になりました。
また、最近ではVC(Verifiable Credentials)と結びつくことで、本人確認(KYC)以外にも資格証明などの用途にもゼロ知識証明が応用され始めています。VCについては、ここでの解説は避けますが、例えば、「この人は〇〇大学を卒業している」という事実だけを証明し、その卒業証書そのものは見せないといった使い方も可能になるでしょう。
こうした応用が進めば、私たちがWebサービスを利用する際に「いちいち名前や住所を入力したり、身分証をアップロードしたりする」必要はなくなるかもしれません。自分の情報を守りながらも、相手に信頼してもらえる世界が、ゼロ知識証明によって実現しようとしているのです。
もちろん、万能の技術というわけではなく、導入にはまだ課題もあります。しかし、この「見せずに伝える」「守りながら証明する」という考え方は、プライバシー保護やセキュリティがこれまで以上に重要視される今後の社会において、極めて本質的な価値を持つアプローチだといえるでしょう。
代表的なゼロ知識証明の種類
ゼロ知識証明という技術は、その本質的な魅力である「証明はできるが、情報は漏らさない」という特性によって、近年さまざまなプロトコルや実装方式が生まれています。中でも実用化が進み、広く知られているのが「zk-SNARKs」と「zk-STARKs」という2つの方式です。それぞれに技術的な特徴と利点・課題があり、どちらが優れているというよりは、目的や利用シーンによって選ばれているのが現状です。
このセクションでは、初心者の方でもイメージしやすいように、それぞれの技術がどのような背景で登場し、何を可能にしているのか、さらにその違いが私たちの未来にどのような影響を与えるかについて解説していきます。
zk-SNARKs
zk-SNARKsは、「Zero-Knowledge Succinct Non-Interactive Argument of Knowledge」の略称で、2010年代前半に登場したゼロ知識証明の方式のひとつです。その最大の特徴は、非常に短い証明文(Succinct)を、やり取りなし(Non-Interactive)で検証できるという点にあります。つまり、やり取りが1回で済み、証明のデータサイズもコンパクトで済むため、ブロックチェーンのような通信帯域が限られる環境にとって極めて相性のよい設計となっています。
この技術が一躍注目されたのは、先ほども軽く触れた匿名通貨「Zcash」への採用です。Zcashは、トランザクションの送金者、受取人、送金額といった詳細情報を公開せずに、正当な取引であることをネットワーク上で証明するという画期的な仕組みを導入しました。その中心にあったのが、zk-SNARKsの能力です。
ただし、zk-SNARKsにはひとつ大きな技術的前提があります。それは、「Trusted Setup」と呼ばれる初期設定が必要だという点です。このプロセスでは、検証に必要な公開パラメータを生成するために、特定の秘密情報(通称:トラップドア)が一時的に生成されます。トラップドアは、銀行の暗証番号に例えられるほど極秘にすべき情報であり、パラメータ生成後に安全に破棄されなければなりませんが、万が一その秘密情報が外部に漏洩して悪意ある者が保持し続けた場合、その者は偽造された証明を生成できてしまう可能性があるため、セキュリティの観点からしばしば議論の的になります。
Zcashではこの問題を回避するため、複数人でトラップドアの生成を分担し、誰も完全な秘密情報を持たないようにする「マルチパーティコンピュテーション(MPC)」という手法を採用しました。それでもなお、「誰かが不正に秘密情報を入手していたら…?」という疑念は完全には拭いきれません。そのため、後述するzk-STARKsのように、信頼されたセットアップを不要とする新たな方式が開発される動機にもなりました。
とはいえ、zk-SNARKsの利点は依然として魅力的です。証明サイズが非常に小さく、検証時間も短いため、モバイルデバイスやIoT機器などリソースの限られた環境でも比較的容易に扱えるという強みがあります。また、現時点でのライブラリやツールチェーンが豊富であることから、開発者にとっても実装のハードルが低く、実社会での導入が進みやすいという点も見逃せません。
技術の安全性と効率性、そして既存のエコシステムとの親和性を考慮すると、zk-SNARKsは今後も「堅実な選択肢」として、多くのユースケースで活用され続けることが予想されます。
zk-STARKs
zk-STARKsとは、「Zero-Knowledge Scalable Transparent Argument of Knowledge」の略で、2018年にイーサリアム開発者のエリ・ベン=サスーン(Eli Ben-Sasson)らの研究によって発表された、比較的新しいゼロ知識証明の方式です。zk-SNARKsと同様、第三者に対して「あることが真実である」と証明しつつ、その中身を明かさないという性質を持ちますが、根本的な設計思想や実装上の特徴には大きな違いがあります。
最大の特徴は、その名にもある「スケーラビリティ(Scalable)」と「透明性(Transparent)」です。zk-STARKsでは、zk-SNARKsのようにTrusted Setupを必要としません。この設計により、セキュリティ面での透明性が飛躍的に向上し、誰かが意図的に攻撃を仕掛けるリスクが原理的に排除されているのです。特に、公共性やオープン性が求められるブロックチェーンの世界において、こうした信頼性の担保は大きな利点となります。
さらに注目すべきは、zk-STARKsが非常に大規模なデータに対しても高速な証明を生成・検証できるという点です。この性能は、ビットコインのようなトランザクション(取引データ)の多いパブリック型のブロックチェーンにおけるスケーラビリティの課題を補完する可能性を秘めており、実際に、PolygonやStarknetといったプロジェクトでの導入が進んでいます。特にStarknetは、zk-STARKsを基盤に据えた独自のスケーリング技術を開発し、スマートコントラクトの高速実行とセキュリティ強化の両立を目指しています。
ただし、zk-STARKsには弱点もあります。代表的なのが、証明データのサイズが大きくなりがちであることです。zk-SNARKsでは数百バイト程度に収まる証明が、zk-STARKsでは数十キロバイト以上になるケースも珍しくありません。そのため、帯域やストレージに制限のある環境では導入に工夫が必要となります。また、計算量もやや大きくなる傾向があり、リソースが限られたデバイスにとってはハードルが高いという側面も否定できません。
とはいえ、その「透明性の高さ」と「高スケーラビリティ」は、今後のゼロ知識証明の主流となる可能性を大いに秘めています。特に、中央集権的な信頼を排除したいという理念が根底にあるWeb3や分散型金融(DeFi)の文脈においては、zk-STARKsは設計思想そのものがマッチしており、エコシステムの中心的技術として期待されています。
zk-SNARKsが「実績ある堅実な選択肢」だとすれば、zk-STARKsは「信頼性と未来志向を兼ね備えた進化形」といえるかもしれません。現時点ではまだ開発途上の要素も多いものの、セキュリティとパフォーマンスを両立する新たなゼロ知識証明として、今後さらに広い分野での応用が進むことが予想されます。
メリット:ゼロ知識証明がもたらす「安全性」とは?
ゼロ知識証明は、ただのプライバシー保護技術にとどまらず、安全性の観点でも大きな可能性を秘めています。従来の認証システムやデータ管理では難しかった「改ざん」「なりすまし」「データ整合性」といった課題に、この技術はどのように応えているのでしょうか。ここでは、安全性の面からゼロ知識証明の価値を紐解いていきます。
改ざんを防ぐ強力な証明能力
ゼロ知識証明の最も大きな特徴のひとつは、情報の正しさを「第三者に内容を見せずに証明できる」点です。これにより、あらかじめ定められた条件を満たしていることを数学的に保証しつつ、元データを秘匿できます。例えば、あるシステムが「特定の手順に従って計算された結果のみを受け入れる」といったルールを持つ場合、ゼロ知識証明を用いれば、その正当性を誰でも検証可能な状態で証明できます。この仕組みは、情報そのものが公開されず、攻撃者が不正にデータを読み取って内容を書き換えることが困難であるため、特にデータ改ざんのリスクが高い分野で威力を発揮します。
また、万が一、データが書き換えられても、その不正行為は検出される仕組みになっているため、改ざんに対する有効なアプローチとなりえます。電子署名は「その人が本当にサインした」ことは保証しても、「内容が技術的に守られたものであるかどうか」までは保証してくれません。そういった点では、ゼロ知識証明は従来のデジタル署名とは異なる安全性のレイヤーを提供してくれる技術と言い換えてもいいでしょう。
ブロックチェーンとの親和性が高いのもこのためです。ゼロ知識証明を活用したブロックチェーンのスケーリングでは、個別のトランザクションをオフチェーンでまとめ、その整合性をゼロ知識証明によって保証する手法が取られています。この手法では、オンチェーンには「結果の証明」だけが記録され、元データは公開されません。それでも、誰もが「改ざんされていない」と検証できる状態が保たれるのです。
このように、ゼロ知識証明は「データが正しく生成されているか」という本質的な問いに対して、外部から確認可能でありながら漏洩のない形で答えを提示できるため、極めて強力な改ざん防止メカニズムとして機能します。
なりすまし防止への応用
本人確認のプロセスにおいても、ゼロ知識証明は高いセキュリティ性を発揮します。従来のログイン方式ではIDとパスワードなどの情報をベースとしたやり取りをするため、それらを盗まれれば簡単に他人になりすませてしまうという根本的な脆弱性が長年問題視されてきました。SNSの乗っ取り、フィッシング詐欺、アカウント共有など、私たちが日々直面しているリスクの多くは、認証情報そのものが「情報として流通可能」であるという構造的欠陥に起因しています。
しかし、ゼロ知識証明はこの問題を根本から覆します。ユーザーは「自分が正当なアクセス権を持っている」ことを数学的に証明できる一方で、認証情報そのもの(秘密鍵やパスワード)を一切相手に渡す必要がありません。つまり、証明する側は「知っている」ことを示すだけで済み、検証側はその「知識の存在」だけを確認すればよいという非対称的な構図が成立するのです。
特に、Web3.0や分散型アプリケーション(dApp)では、秘密鍵の管理がすべてユーザー任せになっており、紛失や漏洩のリスクは避けがたい課題でした。こうした環境下においても「なりすましによる不正アクセス」を抑止する技術として分散型ID(DID)などと共に注目を集めています。
また、国家や自治体レベルのデジタルID認証への採用も検討されています。ログインやアクセスの際に「18歳以上か」「有効な市民IDを持っているか」など、条件を満たしているかどうかだけを証明し、個人の詳細情報は伏せるというアプローチです。このような仕組みが広く普及すれば、プライバシーとセキュリティの両立が可能になり、「データを盗まれるから危険」だった世界から、「データを渡さないから安全」という新たな基準が成立するようになるでしょう。
データ整合性の担保
もう一つの重要な観点が、データの整合性です。仮に、サプライチェーンにおいて「ある製品が適切な手続きを経て正規に流通した」ことを証明したい場合、ゼロ知識証明は各プロセスの履歴や認証状況を暗号的に検証することで、「ある情報が確かに正しく、一貫性を保っている」ことを保証できます。
私たちはこれまで、信頼を担保するには様々な「仲介者」に依存する必要がありました。クレジットカードの決済ではカード会社、雇用契約では人材紹介会社、賃貸契約では不動産業者。もちろん、これらの仲介者には重要な役割がありますが、一方で、手数料や時間のロス、そして情報の集中管理によるリスクも避けられません。ゼロ知識証明は、「信頼を外部に委ねずに済む」取引の形を可能にします。
この利点は、単なる改ざん検出にとどまらず、分散された環境、例えばブロックチェーン上の複数ノードが関与するシステムでも、すべてのノードでデータの一貫性が取れていることを確認できるのです。これにより、信頼できる第三者を介さずとも、データが正しく取り扱われていることを保証できるという、いわば“トラストレスな整合性確認”が可能になります。
さらに、医療や金融などの高信頼性が求められる業界では、データの内容にアクセスせずにその正しさだけを確認できるゼロ知識証明は、既存のガバナンス要件とも親和性が高いといえます。実際に、日本でも、2022年9月に日本銀行がまとめた「プライバシー保護技術とデジタル社会の決済・金融サービス」というレポートで、今後注目される暗号技術の1つとしてゼロ知識証明が紹介されています。
課題:ゼロ知識証明が抱える技術的ハードルとは?
ゼロ知識証明は、高い安全性とプライバシー保護を両立できる次世代技術として期待を集めています。しかし、現時点でその活用が一部にとどまっている背景には、技術的なハードルがいくつも存在しています。特に、計算資源や実装の難しさ、業界全体での標準化の遅れは、同技術の社会実装を加速させる上で避けて通れない課題です。
計算コストと実装の複雑さ
ゼロ知識証明はその仕組み自体が非常に高度な数学に基づいており、証明を作成・検証するための演算処理も膨大です。特にzk-SNARKsやzk-STARKsなどのプロトコルでは、証明生成にかかる時間やメモリ量が非常に大きくなることが多く、一般的なサーバー環境やエッジデバイスでは実用化が難しいという声もあります。
また、ゼロ知識証明を導入するにはアプリケーション側にも相応の準備が必要です。スマートコントラクトへの組み込みや、認証・認可の仕組みとの統合など、既存のシステムアーキテクチャに合わせた設計・開発が求められます。その過程では、暗号学の専門知識だけでなく、プロトコル設計やデータ構造への深い理解も不可欠となるため、実装のハードルは決して低くありません。
さらに、ゼロ知識証明を活用する場面では「何を証明するか」「どの範囲で情報を秘匿するか」といった仕様の決定も技術的に難しく、汎用的なテンプレートがまだ不足しています。これらの課題は、開発スピードを鈍らせる要因となっています。
標準化と相互運用性の必要性
ゼロ知識証明の技術が広く社会に浸透していくためには、業界全体での標準化と相互運用性の確保が不可欠です。現在、プロトコルやライブラリはプロジェクトごとに独自の仕様で構築されていることが多く、異なるシステム同士がスムーズに連携するのは簡単ではありません。
例えば、あるブロックチェーン上で利用されているゼロ知識証明ベースの認証情報を、別のネットワークに持ち込もうとすると、フォーマットやプロトコルが一致しないため再設計が必要になるケースもあります。これは、デジタルIDやサプライチェーンなど、複数のエコシステムが連携するユースケースでは大きな障害となり得ます。
このような状況を打開するためには、共通のプロトコルやAPI設計、暗号ライブラリの整備が求められます。実際、W3C(World Wide Web Consortium)をはじめとした団体が標準化の議論を進めていますが、まだ発展途上であり、導入現場では個別対応が続いているのが現状です。したがって、ゼロ知識証明が社会インフラの一部として定着するには、技術的な優位性に加えて「誰もが使える形に整えること」が欠かせません。信頼性や安全性だけでなく、開発者の手に取りやすい仕組みづくりが、今後の鍵となっていくでしょう。
ゼロ知識証明の具体的な活用事例:Google
ゼロ知識証明は、単なる理論上の技術ではなく、すでに多くの分野で実用化が進んでいます。ここでは、実際にどのような場面でこの技術が活用されているのか、具体的な事例としてGoogle社の事例を見ていきます。

Googleがゼロ知識証明を取り入れた事例は、日常の中で感じがちな「ちょっとした不安」に真正面から応えるようなものでした。例えば、マッチングアプリを利用する際には身分証データの提出を求められます。今でこそこうしたサービスの利用は一般的ですが、「免許証を撮影するのは抵抗があるな」と感じた人も一定数いるのではないでしょうか。Googleはまさにその疑問に応えるかたちで、ゼロ知識証明という技術を自社のウォレットサービスに組み込みました。
この仕組みでは、「18歳以上であること」などの条件を満たしているかを証明するために、具体的な生年月日や身分証の画像を提出する必要がありません。年齢という“事実”だけを、安全な方法で証明できるのです。しかもその裏側には、ブロックチェーン技術に基づいた複雑な暗号処理が施されており、誰が、どのような情報を持っているのかを他者が知ることはありません。年齢という条件に合致するかどうかだけを計算し、その結果のみを提示する──そんな“スマートな”証明の形が実現しています。

この技術の導入は、出会い系アプリ「Bumble」との提携から始まりました。Bumbleでは、ユーザーがGoogleウォレット内に保存したデジタルIDを利用し、その中に組み込まれたゼロ知識証明によって年齢確認を行います。つまり、誰が何歳かをBumbleが知る必要はなく、「年齢制限を満たしていること」だけが保証されるのです。このように、アプリの運営者にもユーザーにも安心をもたらす仕組みとなっています。
さらにGoogleは、このゼロ知識証明の仕組みを広く使えるよう、モバイル端末やウェブサービスと連携できるAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)として公開しています。英国ではパスポート情報からデジタルIDを生成し、交通機関の割引パスの利用資格確認に活用する事例も始まっています。また、米国では運転免許証や州発行のIDと連携し、空港の保安検査や公的手続きでも応用され始めているのです。
この一連の動きの背景には、年齢確認や本人確認の需要が増す一方で、プライバシー保護に対する社会的な感度が高まっているという現状があります。従来の方法では、確認のために必要以上の情報が求められ、その管理にもリスクが伴っていました。ゼロ知識証明の導入によって、Googleは「情報を“見せる”のではなく、“証明する”」という新たな道筋を示したともいえるでしょう。
Googleがこうした革新的な技術を、単なる実験ではなく、日常のサービスに本格的に組み込んできた点には本当に驚かされます。しかもこの技術は、閉じた仕組みの中にとどまらず、他の企業やサービスでも活用できるよう、オープンソース化される方向で進められているのです。技術の透明性と拡張性を重視する姿勢は、Googleがゼロ知識証明を単なるトレンドとしてではなく、将来を見据えた重要なインフラ技術として捉えていることの表れでしょう。
まとめ – ゼロ知識証明が拓く信頼とプライバシーの新時代
ゼロ知識証明は、あなたの大切な情報を守りながら、必要なことだけをスマートに証明できる画期的な技術です。「見せずに伝える」というこの仕組みは、プライバシー保護とセキュリティを両立し、オンラインでの「証明」のあり方を大きく変えようとしています。zk-SNARKsやzk-STARKsといった進化する技術が、すでにGoogleのような大企業にも導入され始めていることからも、その未来への期待がうかがえます。
我々、トレードログ株式会社は、この記事で解説したゼロ知識証明をはじめとするブロックチェーン技術の最前線で開発を進めています。ブロックチェーンを用いた認証・管理システムの導入をご検討されている方は、ぜひ当社までお問い合わせください。貴社の課題やビジネス要件に応じた最適なソリューションをご提案し、安心と信頼のデジタル社会の実現を共に目指します。